孫子の旗に呼ばれて | PERFECT PERSONAL WORLD

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西に東に、はてしない追っかけ日記

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本日は東京を早朝に経って、三年振りの甲斐遠征。
思えば、昨年の今日くらいは越後遠征をしてました。
越後遠征や米沢・会津遠征でお声をかけていた方、すみませんm(_ _)m

休みの日数的に、北に行くのがキツくて。それでも別に計画はしてましたが、最終的に倒れました(^^ゞ行った場所を簡単に。


「甲斐」とは山の峡(かい)が語源と読んだことがありますが、高尾を越えた辺りから山が目立ってきて。
先ず訪れたのが、織田・徳川連合軍に追い詰められた武田勝頼公親子が自刃した、田野地区。勝頼公親子と、付き従った土屋昌恒や小宮山内膳らの菩提寺の景徳院。

甲斐武田源氏の終焉の地と触れ込まれてますが、やはり胸に迫る物が。心の底から主従の冥福を。


次に訪れたのは、塩山地区の菅田天神社。ここには、現在国宝で、武田家及び甲斐源氏の家宝で、甲斐源氏の祖、源義光が着用の楯無鎧が奉られています。

が、残念ながら現在は非公開。昔は見れたのに(泣)観光事務所で聞くと、保存状態がかなり悪いらしく、ボロボロなんだとか。技術的に難しいそうですが、どうにか修復を望みます。



続いては、甲斐善光寺。川中島合戦の折、信州の善光寺如来が戦火に遭うのを恐れた信玄公、が先ずは禰津の里、次いで甲斐に移した折に建立。信州の善光寺と、全く同じレイアウトです。
武田家滅亡後は、甲斐が徳川家の支配になった関係からか、境内には武田菱と葵の御紋が混じってあって、不思議な感じでした。



本日最後に訪れたのは、3年前に続いて2度目の、旧・信玄公の居館、つつじヶ崎館こと武田神社。祭神が信玄公なので、参拝した後、宝物殿で、前回無かった、信玄公の母・大井夫人の懐剣や、武田の軍旗・孫子の旗(風林火山の旗)等を見学。孫子の旗は、全て快川国師の揮毫と思ってましたが、幾つか違う物があるとか。

武田神社参拝後は、武田通りを下りながら、馬場美濃守や、武田信繁、秋山信友ら、武田二十四将の屋敷跡の案内にドキドキしながら、甲府駅方面へ。



写真は、上から景徳院の山門、甲斐善光寺、武田神社です。