いよいよ天守閣へ。天守閣前の広場には、上田城との友好城郭記念碑が。
解説を読むと、上田城を築城した真田昌幸と、豊臣秀吉を真田幸村(信繁)の縁で繋いでるけど、わざわざ幸村まで溯らなくても、真田昌幸だって秀吉と縁があるのに……。
何か圧倒的に上田城側にメリットがある提携に思えました。売店には真田家関連書籍も売ってましたし。とはいえ、上田城(いつか必ず行きます!)に行って見ないと分かりませんが。
ちなみに「真田幸村を大河に」という署名活動があったので参加しました。活動してる人達に、去年の大河の幸村について聞いてみたいところです(笑)
さて天守閣。鉄筋コンクリート造りでも、心躍るものが!いつものカメラを持ってこなかったことが悔やまれます(>_<)
お城自体は、昨年夏の魚津城址、春日山城址以来ですが、天守閣まで考えたら、一昨年春の会津若松城(鶴ヶ城)以来!
大阪城自体は3回目です。入ってみると、いきなりのエレベーター待ちの列にゲンナリ(-_-;)
上から降りながら見る作戦でしょうか。
城内には、秀吉や幸村の兜被って喜んでる観光客や、撮影禁止なのに写真ばっか撮ってる外国人観光客や、ゲームのキャラクターと肖像を照らし合わせてる高校生や、デート中のカップル等、観光地を実感させてくれます。
そんな人込みを掻き分けながら、今回登城の目的、豊臣秀頼から直江兼続公宛の黒印状を発見!
目玉の一つなので、わざわざ「初公開」とキャプションがついてあります。
内容は、歳暮にもらった呉服一重のお礼。どうも上杉家の米沢移封後に贈った物らしく、減封後で決して豊かでもなかったであろうけど、「筋を通す」上杉家の家風が偲ばれます。
その横には、直江兼続公が最上領に侵攻したことを伝える伊達政宗の書状も。
今回は、直江公直筆ではなかったにせよ、秀頼と政宗の書に記された「直江山城守」という文字に、胸が高鳴りました。
まだまだ直江兼続という人物に魅せられているみたいです。
上杉家関連といえば、朝鮮の役時に、日本軍撤兵に関する指示を与えた、脇坂安治宛の五大老連署の書状も。徳川家康、前田利家、毛利輝元、宇喜多秀家に並んで、上杉景勝の花押に、やはり胸が高鳴って……
あと気を引いたのが、徳川秀忠から、兄の結城秀康宛の書状。
内容は、家康か死期間近の利家を見舞って、両陣営の和議を祝ったもの。末尾に記された「五人の衆(五大老)に加わること、喜ばしいことだと思います」という文言。結城秀康の大老入りの話(家康の画策?)があったのですね。
他に、やはり人気があった真田幸村の具足や、毛利輝元、細川忠興の画像、石田三成の書状等を楽しみ、天守から大阪市内を一望して下場。
山里曲輪では、秀頼と淀君の自刃の碑に手を合わせました。碑には、線香や花が供えられていて、大阪の人達の、理不尽な言い掛かりから、滅亡に追い込まれた豊臣家への同情を感じました。
その後、極楽橋から大阪城公演駅へ、ほぼ待ち合わせ時間とおり、福岡から来た友人と鶴橋で会えました。
今回は3時間と短い時間ではありましたが、比較的に大阪城を楽しめた気がします。


