国内随一の海上交通の要衝かつ難所である関門海峡には、当然の如く真っ先に灯台が設置された海域のひとつ。

まず明治4年、日本海側入口の目印となる地点に六連島灯台、次に明治5年、瀬戸内海側入口の目印となる地点に部埼灯台が共にブラントン氏により設置され、共に当初の灯台が現役で現存している。

しかし他のブラントン灯台と比べて、退息所と呼ばれた旧官舎の残存状況は良好とは言えない…

部埼灯台の旧官舎は、外観や一部内装は残っているが、潮流信号の大きな電光掲示板の土台になってしまっている。

六連島灯台は…無人化された後に解体になり、その石材は灯台敷地を囲む塀になった…


この地区には明治年間設置の現存は他にもあるが、岩礁や浅瀬に立つ“灯標”が多く、他に撮りに行けているのは台場鼻灯台のみ。電光掲示板とレーダー鉄塔に挟まれた小ぶりの灯台だったが、こちらは灯台そのものが廃止になって解体撤去となった。