“ヒノミサキ”の灯台と言えば、島根県の出雲日御碕灯台が俄然有名なのだが、灯台が置かれたのは和歌山県のこちらの方が8年早い明治28年。
まぁ、出雲の方は出雲大社という超観光地?の近くで、しかも歴史的建造物が現役の灯台で塔の高さも日本の灯台では最高、となればそうそう敵う物は無いってとこだろう。
しかし、こちら和歌山の紀伊日ノ御埼灯台には、壮絶で悲哀で波乱万丈な歴史を刻んで来た灯台だったりする。
初代の灯台は、今よりも岬の先端近くにあり、室戸岬や大分の関埼灯台と同じタイプの鉄造灯台だった。
この灯台、大阪への航路になる重要なポイントに在った為か、大戦末期に執拗な攻撃を受け、再起不能になる。
終戦直後の混乱期、灯台長の家族が相次ぎ病死。
初代の建つ場所に地割れが見られた為二代目は陸寄りの高所へ新築移転。(昭和26年)
その後、二代目灯台は周辺地盤の地滑りで危険になり、更に移動し平成29年に三代目が建つ。
この画像は二代目で、撮影は1992年(平成4年)。
でも、GPSが台頭する昨今でも廃灯せずに更新しているってことは、現在でも重要なポイントとなっているのでしょう。

ちなみに、この日ノ御埼と徳島の蒲生田岬を結ぶ線から北が、法的に瀬戸内海になるのだそうです。
蒲生田岬と言えば、NHKラジオの航行警報で自衛隊や海上保安庁が射撃訓練をする地点の目安として耳にする地名…その蒲生田岬の灯台は、比較的小型の物で、その東側に浮かぶ伊島の灯台が大型になっています。