いつ頃からだろうか‥

やっぱ、かわいい娘や有名人とか、チャンスに巡り会えれば、ツーショット写真を撮りたいと思うのは、極めて普通の感情である。

もちろん、私も、そうで・・・あった。

そう言うツーショット写真というのは‘会った証拠’という物の他に、
“つかの間の、けれども、その写真の中では永遠の‘恋人同士’”
になれる物‥
だからこそ、それが叶わない相手であればこそ、ツーショット写真を写したくなるのだろう。

明らかに傾向が変わって来たのは、主な撮影対象が、風景からミュージシャンになった頃かな、と思う。

人を‥それも、主に女性が被写体になった。
有名人ではないにしても、れっきとしたミュージシャン、である。憧れの対象だった人達のカッコいいとこを捉えたり、私の方をしっかり見て微笑んでくれてたりするのだ。
ミュージシャンの素晴らしい一瞬を、自らの手によって残すことが出来る‥だから、ツーショットなんか要らない、って感じになったのかな。

自分のカメラで撮るミュージシャンが写る写真は、作品であるから自分が写っていたらダメ、ってのもあるだろうが‥だいたい、自分の姿なんて、しみじみ見たいとも思わないし(笑)

また、前出の‘写真の中だけの‥’という‘ウソの幸せ’は要らない、と思うようになったのもあるかも‥

ちょっと重くなったが、もう少し単純な理由も‥

少年サンデーだったか「スマイルfor美衣」ってマンガがあった。
女の子が、報道(だったと思う)カメラマンとして成長して行く物語で、その話の中でカメラマンサバイバル大会みたいなのがあって、競技のひとつに‘写されたら負け’ってのがあったんですね。
その後、フォトグラファーを目指すようになってそれを思い出し‥
で、‘カメラマンはカメラマンに写されてはいけない’という不文律が、私の中に存在している、てゆーのも、ある(笑)