3年前に送信所(NHK的には「放送所」)を訪ねて記事にした、NHK大阪放送局の美原&羽曳野ラジオ送信所。


その時は、まだ“予定”で具体的な日程は不確定でしたが、昨年11月に総務省に本年3/31付の廃止届が提出され、放送でもミニ番組「らじるの時間」で告知される様になりました。


番組では、“再編”とか“生まれ変わります”、そして“3波から2波にまとまり”などぼかした表現がされていますが、平たく言うと「減波」であり、第二放送の廃局なわけです。

まあ、NHKやリスナーの意思ではなく、“国策”な面もありそうですが、ネットで音声番組が流せる時代ですから、莫大な経費が掛かる中波放送の設備を、学習番組のためだけに維持し続けるのは不経済ではあります。

しかしその番組再編で、FM放送の夜半以降を第二でやってた学習番組で占めさせるのはどうなんだろう…と思ったりも。


当方も“いい歳”になってきて、夜は「ラジオ深夜便」を流しっぱなしにして寝ているのですが、午前1時(第二番組移行準備時期は2時)からFMでも放送していたのが無くなり、設備メンテナンスでAM(中波)が休止になる場合どうすっか…寝るときにスマホ(らじる)で流してまでは…

と、ふと昔やってた遠距離放送局受信の趣味を思い出す。

ラジオ受信に使っている、アンプだけ残ったコンポのチューナーに、各地域拠点局の一部と、周辺県のラジオ第一をプリセットして、地元が休止の際にはそちらに合わせることにした。


さて、廃止が決まった第二放送…

その設備は…どうなる?



大阪の第二放送送信所…

第一放送の送信所から第二放送のアンテナを望む。高速道路辺りに境があり、第一は堺市美原区、第二は羽曳野市に所在。


大阪のNHKラジオ送信所があるこの辺は、ため池や水田が広がっていて、第二放送送信所の横はため池を使ったゴルフ練習場があります。
ほとんどのNHK送信所は一本のタワーで第一と第二の放送を行っているので、機器の調整だけで終わりでしょうか。
しかし、大出力の局では、この大阪の様に第一と第二で個別のタワーを立てているので、撤去されると空き地が発生…
どーすんだろーな〜、とか。

第二放送の大出力局は、500kWの札幌(747)・秋田(774)・東京(693)・熊本(873)と、300kWの大阪(828)。
※他はだいたい、1〜10kW(福岡は50kW)
この内、東京は隣り合った敷地(所在地は埼玉県久喜市)にあり、大阪も高速道路を挟んではいますがほぼ隣の敷地で、アンテナ間の距離は東京も大阪と同程度です。札幌は田園地帯にあり、1km余り離れています。
そのまま予備として置いておくなんて不経済なことはしないでしょうが、一本化で第二の方に第一を…というケースもあるのか、無いのか??(ちなみに札幌は第二で第一を放送出来る様になっているとか)

そして、秋田と熊本。
元々、第二放送開局時は九州の中央放送(拠点)局だった熊本はありとして、なぜ秋田を大出力にしたのか“?”なところが…
その2局の第二放送送信所は、それぞれ第一放送送信所とは離れた、全く別の場所にあります。

秋田第二放送は、秋田駅から北西に約30km離れた八郎潟干拓地の南西角。
熊本第二放送は、熊本駅から東北東約20kmの大津町の山沿い辺りにあります。
大出力なので市街地を避けた広い場所を選んだのでしょう。(2県の第一放送送信所は、それぞれ中心地から比較的近い場所にあります。)

第二放送は原則として全国画一放送なので、大出力局を数ヶ所だけ設置して全国をカバーさせようとしたのでこの形にした様です。秋田は、札幌や東京との距離や、日本海に面した地理的条件から選ばれたのかもしれません。
熊本は周りは田畑。秋田のタワー周りは草っぱらで、その周りは水田と湖面…
市街地に在る第一の土地を明け渡して第二の設備を活用…て可能性も??

さて、試しに夜、同一番組しか流れないので気にしたことがなかった、その大出力の第二放送の周波数に合わせてみました。
地元大阪は当然として、秋田がとても良好に入ることが分かりました。熊本も、まあまあ良好に受信。東京と札幌は少し不安定でした。
秋田第二は、日本海の海岸付近に送信所があるから電波が飛びやすいのか、朝方・夕方も聞こえます。
日中は受信できませんでしたが、それぞれの中間地点まで行ったら聞こえるのかな?

で、さよなら特番とかあるんでしょうか…
第二放送の開局はほとんどが戦後ですが、東名阪は戦前の昭和6〜8年に開局しています。そのまましれっと終わったりはしないと思うのですが…



意外にも一面記事に挙げた所は無かったですが、毎日はインデックス(NEWSLINE)にカラー肖像がありました。(各紙、大阪版)

コラムは、日経「春秋」、朝日「天声人語」(夕刊「素粒子」も)、毎日「余録」が取り上げていました。(読売「編集手帳」は翌日15日に取り上げた)

各紙訃報は社会面にありましたが、大きかったのは朝日で、カラー写真ありで約半面、次いで毎日は1/3面程度使用。

読売と日経は小さく、産経は少し多め。

各紙評伝や交友のあった人の言葉でしたが、産経のみ功罪が書かれていました。

…って方、おられると思います。


あの朝、建物や高速道路の倒壊、LPガスタンクからのガス漏洩、岸壁損壊などの情報が錯綜する中、


「NTTの鉄塔が倒れる恐れ、周辺に避難指示」


と言うニュースが流れた。


改めて調べてみると、三ノ宮近くの神戸港ビルと、兵庫区の神戸大開ビルの鉄塔(電波塔)がそれだった。


すぐさま対応されたのか、程なく避難は解除されていたと記憶している。


港ビルは現在「NTT西日本神戸中央ビル」

に建替えられ、現存しない。

画像を探すもヒットが無く、ようやく出て来たのは、40年程前の映画の一場面の神戸湾岸の様子で、そこに写っていた神戸港ビルの姿。

アングルトラスというタイプの、下広がりで角錐型のよくある部材が細めの鉄塔で、よく保ったな…と思ったが、更に探すとNTTの資料がヒットして、脚が座屈して傾き、修復不能ということで、すぐに大型クレーンを出して解体撤去されたとのこと。

現在は…

左側のビル(NTT西日本神戸中央ビル)の建つ場所が、その跡地。右の電波塔ビルは後に建ったドコモのビルと電波塔。


一方、大開ビルの鉄塔(電波塔)は現存しています。

こちらは太い鋼管一本柱のシリンダー鉄塔で、下部の支柱の一部が基礎部で破断、塔との接続部ではボルトが切断したが修復補強したとのこと。

このブログで取り上げ済で、その画像を再掲載…

数年前に塗装更新された後の姿。
そして下の画像は、別記事に載せた、海側から撮った神戸の遠景で写っていた大開ビル電波塔。震災2年前で、当時は大きなパラボラ等が沢山付いていた。

再び現在の姿…
基礎部の支柱が見えます。これらの一部が、塔との接続部と基礎の溶接部で破損した様です。

八戸の鉄塔では上部の方で破断しましたが、東日本大震災でも多少なりダメージを受けていたのかも?

八戸の電波塔もそうですが、現在NTTでは主要な通信網は光ファイバーが使われており、NTTビル(電話局)に立つ鉄塔にはNTT通信回線の(パラボラ)アンテナは、ほぼ付いておらず、今付いているのは主にドコモの基地局と中継パラボラ。
山頂や海峡部等に在った電波塔はほぼ撤去されており、KDDIも含めて通信会社の通信網は光ファイバーが主役になっています。





本年、日本の放送…即ちNHKのラジオ放送が1925年3月22日に東京で始まって100年になることから、去年辺りから多くの特集番組が放送されています。


その中でよく流れていたのが

「じぇい、お〜、えい、けぇ~」

の音声。


JOAK…当時は「東京放送局」、今のNHK東京第一放送(R1)のコールサインですね。


そして、3月の東京から遅れること2ヶ月余り、6月1日に開局したのがJOBK大阪放送局、今のNHK大阪放送局。

さらに7月にはJOCK名古屋放送局(同じくNHK名古屋放送局)が開局しています。

これら3局は、当初それぞれ独立した社団法人として発足しましたが、国策で1926年8月に統合され、今のNHKの前身となる社団法人日本放送協会となります。


去る(今年)6月1日には、大阪放送局と所轄府県のラジオ第一放送(R1)で、午前10時から午後6時まで特別プログラムが放送されました。また、ちょうど日曜日でもあったことから、大阪放送局のアトリウム(ロビー)では番組と合わせたイベントも行われました。

(来月の名古屋もやんのかな?こども電話相談の公開収録が開局日の前週にある様だが)

その特番冒頭で、色々な音声の中で「じぇいおーびーけい、大阪中央放送局です」というのが聞こえた。

この「中央放送局」というのは、今の地域拠点局の昔の呼び方で、日本放送協会に統合された後に各放送局に付された称号なので、よく流れていた“JOAK”の音声と違い、統合後の音声であるのが分かります。


その番組や、これまで放送されたラジオ100年関連の番組内でも語られたAK・BK・CKは、開局(申請?)順でABCとなっているわけですが、私が聴いていた限り、その次の“「D」” が語られる事は無く、敢えて触れない様にしている感じさえしました。


東名阪の次は日本放送協会の支部として、1928年に全国の地域拠点都市に放送局が開局しました。コールサインは広島中央放送局(軍都として発展していたので先行?)がFK、熊本中央放送局(福岡よりも先だった。終戦後に中央放送局は福岡に変更。)がGK、仙台中央放送局HK、札幌中央放送局IKとなっています。

(松山放送局が四国の“中央放送局”になったのは1945年)


…「DK」は何処へ?

ちなみに「E」は聞き違え対策で使用されなかったらしい。


結論から言うと、「JODK」は、“現存”していません。

しかし、それを割り当てられた局を発祥とする放送局は、現存しています。


答えを言うと、当てられたのは…


京城放送局という局です。後に「朝鮮放送協会、京城放送局」となります。

「京城」は、今のソウルに当たります。

「JODK」の後身は、今の韓国KBSですね。

日本放送協会とは別組織で発足しており、日本の統治から離れ現在は外国となり、他にも複雑な背景もある様で、ややこしくなるので触れたくないんでしょうね〜


空きになったコールサインは新たに再割当てされることも多いのですが、その辺りの事情もあってか、今でも「JODK」は“欠番”にしているのかもしれません。






毎年、初夏と初秋の特定日に、関西の夕刊紙面を彩った女子生徒の登校風景の写真が終焉?を迎えた様です。

毎年、この女子校の制服が夏服へ、と冬服へ、の衣替えになる日の関西の夕刊各紙には、神戸の松蔭中学・高等学校の登校の様子が“カラー”写真付きで記事になっていたのです。
当然、学校の許可を得ての取材・撮影だったのでしょうが…

しかし今年、5月12日の衣替え当日の全国紙夕刊(関西版)で記事があったのは読売だけ、しかも社会面で白黒のベタ扱い。ネットの該当記事は神戸新聞しか出て来なかたっし、本紙は例年レベルだったかもだが、未確認。

よくよく記事を見ると、松蔭中高は来年度から共学になり、女子の制服もジャケット(スラックスあり)になるとのこと。(大学は今年から共学化)
この象徴的なワンピース制服ではなくなる(あと2年程度は残るだろうが)ってことで、他紙は早々と取り扱うのを止めた、ってとこだろうか。