Hotel California / Eagles
ウエスト・コーストの眩しい日差し、パームツリーの影、そして風……。
日本で70年代中頃から高まった「西海岸」志向。
ロサンゼルスを中心とした、カウンター・カルチャーとしての
西海岸の文化やスポーツ、生活そのものへの憧れ。
1976年、ウエスト・コーストがまるごと雑誌になったような
「Popeye」の創刊とともに、日本でのウエスト・コースト熱はピークを迎えます。
もちろん日本の音楽シーンでもウエスト・コースト・サウンドが大流行。
ドゥービー・ブラザースやイーグルスが躍進してきた時代は、
このような時代でもあったのです。
1960年代、アメリカ西海岸を中心に、カントリーとフォークを源流とする
新しい音楽の流れが起こります。
CSN&Y、ジェファーソン・エアプレインやジャクソン・ブラウンからはじまって、
最盛期にはドゥービー・ブラザースやイーグルスが
ウエスト・コースト・サウンドと呼ばれるようになった音楽を
代表するグループになり、その人気は頂点を迎えます。
そのイーグルスは1971年にデビュー。初期にはやはりカントリー色の濃い音でしたが、二枚目のアルバム Desperado あたりから徐々にロック色を強めていきます。
さらに三枚目のアルバム On The Borderからドン・フェルダーがギターで加わり、
1975年リリースの四枚目のアルバム One of These Nights がついに全米チャート1位に。
一躍アメリカを代表するハード・ロック・バンドに躍進したのでした。
しかし、その人気の高まりとは裏腹に、グループ内での亀裂は大きくなります。
グループの音の方向性についていけなくなったバーニー・リードンが脱退、
ジョー・ウォルシュがギタリストとして加わり、
イーグルスはさらにハードな音作りに変化してゆくのですが……
そのような一番ピークを迎えていた時期に発表されたのが、
イーグルスのアルバム「ホテル・カリフォルニア」でした。
このアルバムは、イーグルスにとっての最高傑作との評価を受けます。
とりわけタイトルチューンである「ホテル・カリフォルニア」は、
その出来の良さから日本でシングルカット、ついで本国アメリカでも
シングルになり、世界中で圧倒的なセールスを記録します。
この曲はあとで振り返れば、ウエスト・コースト・サウンドの頂点となっただけではなく、イーグルスにとっても絶頂のピークとなりました。
しかしこのアルバムは、イーグルスの苦悩を象徴するアルバムでもあったのです。
この時は、まだ多くの人はそのことに気づいていませんでしたが…
もちろん拙者もですが…
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<つづく>