2歳から小学校に上がるまで、そこで育った。
育ったのは菓子屋である。
向かいはテーラー小島という仕立屋だった。店主の小島金造さんは、足袋を履いた足でミシンを踏み、休憩時には煙管タバコで一服するという、完全な職人だった。
仕事が終われば、夕食前に近くの酒屋で角打ちだ。4歳の私は、金造さんにくっついて酒屋にいき、ショットグラスで赤玉ポートワインを飲んだ。毎日である(笑)。
街のテーラーなどというものは、すでに滅亡したように思っていたが、気を付けて見ているとけっこう仕事をしているものだ。
最近見かけたテーラーを並べてみる。