『うずまき』 | パーキンソン氏の気怠い日々

パーキンソン氏の気怠い日々

ベンゾジアゼピン離脱症候群からの生還をめざして苦闘中。日々の思いを綴ります。

その後、難病パーキンソン病の確定診断が付きました。やれやれの老後です。

『うずまき』(耕治人/河出書房新社/1975.10.30初版)



東京・中野区に野方という町がある。私は1年ほどそこで暮らした。40年近くも前のことになろうか。すこし前に訪ねてみたが、町並みはほとんど変わっていない。そして、それなりの活気が残っている。




耕治人はこの町で82年の生涯を閉じたが、耕が住みはじめたころ、周辺は一面の麦畑であったという。


耕が家を建てるために借りた土地の一部に、世話になった作家の親戚がやはり家を建てる。耕の勧めであったともいうが、これが訴訟に至るながいトラブルの始まりとなるのである。


困ったことに、この時期、耕は睡眠薬中毒に陥っており、心臓に障害が出たばかりでなく、頭脳を冒されて妄想の虜になっていた。やがて自殺未遂にいたり、脳病院に入院することになった。耕は、その原因が土地問題に悩まされた結果であると思っている。しかしこれは、別の目から見ると、耕の妄想の所産であるということになるらしい。


本短編集では、このトラブルそのものではなく、周辺事情が描かれている。そして、それは自らの幼年期の家庭的不幸の回想に、おもむろにつながっていく。


おどろおどろしい話ではない。すべて淡々と語られていくのである。そして、時折、妄念のかけらのようなものが、ちらりちらりと微かな光を放つ。回復していないな…そう感じさせるところが、疎ましくもあり怖くもある。



1988年、ほぼ無名に近かった耕治人に、にわかにスポットライトが当たった。NHKのドキュメンタリー『ある老作家夫婦の愛と死』が放送されたからだ。半生を妻に支えられて、かつがつ生きついできた耕だが、晩年にいたり妻が認知症となり、その介護のさなかに癌を発病した耕が先立つ。今日、命終三部作と呼ばれ、代表作となった『天井から降る哀しい音』『どんなご縁で』『そうかもしれない』の世界を追った番組だ。



そして本書もまた、耕が生涯を懸けて追求した、私小説の王道といって間違いない。ただし、古い形の私小説、その夕映えの輝きというべきか。