『私の東京町歩き』 | 出ベンゾ記

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ベンゾジアゼピン離脱症候群からの生還をめざして苦闘中。日々の思いを綴ります。

『私の東京町歩き』(川本三郎・著/武田花・写真/ちくま文庫/1998.3.24初版)



原本は1990年刊。バブル崩壊前後の出版ということになる。内容は当然、崩壊前夜の再開発のさなかに書かれた文章だ。


「文庫版あとがき」で、著者は次のように書いている。〈『ノスタルジー』という近代の独特の感情が東京の人間にはとりわけ強いのは、結局は、東京がどこよりも破壊と再生のサイクルが早いからだろう〉


いっぽう、この8年前、単行本が出たときの「あとがき」では、川本はこんなふうにも書いている。


〈東京は変化が激しい町だがよく見るとそうでもなく、十年前、二十年前の風景がまだあちこちに残っている〉



矛盾? そうではあるまい。単行本あとがきの90年、バブルの記憶が生々しい時点では、まだ開発の意味がうまく対象化できていない。いくら東京でも10年前の風景が消えてしまうということはあり得ないのだ。しかし、それがあり得ると錯覚させられるほど、当時の変化はやはり激しかったわけだろう。しかし川本はその激しい変化を表立って非難することはしない。開発から取り残されたような場所を、通り抜けるようにしてただ見るだけだ。


現今の「昭和レトロ」ブームには、なにか軽薄な気分が張り付いていて、陰の部分をすっかり洗い流してしまったような、奇妙な明るさがあるのだが、バブルの狂騒から目を背けるような川本の視線には、どこか虚脱したような雰囲気を感じる。


本書冒頭近く、蒲田・羽田を訪れた回に、1967年10月8日、羽田空港での大学生の死について、短く触れている。







〈いわゆる第一次羽田闘争である。そして空港近くの弁天橋という小さな橋の上で学生と機動隊が衝突し一人の学生が死んだ。(略)ここに来るのははじめてである。当時はデモなどにめったに参加しない、いわゆる一般学生で大学の授業にも出ず、毎日、新宿で映画を見たり、アルバイトをしたりしていた。そんな人間だからこそ、自分と同世代の人間がデモで死んだことに衝撃を受けたのである〉


どうも複雑な心理である。しかし、このことが、先に述べた「虚脱したような視線」の裏にはたしかにあるだろう。川本は東大法学部卒業である。ただし、著者の本心がチラリと覗いたのはこの一瞬のみ。あとは、最近まで絶えない下町本、居酒屋本の原型のような記述が続く。


しかし、繰り返すが、これらはバブル全盛期に発表されたもの。あえてうらぶれた町筋を歩き、取り柄もない飲み屋でビールを飲むそのスタイルには、当時の世相に背を向ける「反時代的精神」が潜んでいたかも知れない。


いま、それを読みとるのは難しいかも知れないけれど。