『増補 論壇の戦後史』 | 出ベンゾ記

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『増補 論壇の戦後史』(奥武則/平凡社ライブラリー/2018.10.22初版)



原本、2007年初版。


カバーにはごくごく小さく[増補]と印刷してあるが、これは単にデザインだとして見過ごすわけにいかないだろう。それだけ、この本にとって増補の意味は大きい。構想の組織を根本から変えるくらいの意味を持っているのではないか。


面倒そうなタイトルがついているけれど、著者は元新聞の論壇担当記者で、記述に晦渋なところはひとつもない。例えば「論壇」とは何ぞやと問われれば、私など答えるのに難儀するが、著者自身の答案は次のごとし。


「国内外の政治や経済の動きなど、さまざまな領域の、広い意味での時事的なテーマについて、専門家が自己の見解を表明する場」


そして、その舞台は総合雑誌ということになる。冒頭は、その総合雑誌の代表格「世界」(岩波書店)創刊前後の動きから始まるが、初代編集長として登場するのが吉野源三郎。数年前、異例のベストセラー・ロングセラーとなった『君たちはどう生きるか』の著者である。


他に「展望」(筑摩書房)、「中央公論」「思想の科学」なども競合し、総合雑誌は、この時代の世論の動向に大きな影響力を持つこととなった。背景にあるのが、講和問題と60年の安保改定反対闘争だ。そして8年後の大学紛争と過激派の自壊という事件を、雑誌として象徴したのが「朝日ジャーナル」ということになる。


ここまでに登場する名前をざっと挙げれば、清水幾太郎、久野収、福田恆存、丸山真男、粕谷一希、林健太郎、都留重人、中野好夫、桑原武夫、中村光夫、鶴見俊輔、花田清輝、羽仁五郎、日高六郎、加藤周一、竹内好、吉本隆明、谷川雁、埴谷雄高、村上一郎、江藤淳、浅利慶太、開高健、大江健三郎、石原慎太郎、谷川俊太郎、寺山修司、武満徹、小田実、高坂正顕…。当然のことながら、戦後知識人を総覧することになる。


ただし、2007年刊行の原本の記述は70年代いっぱいまで。著者はその理由を書いているが、読むほうとしてはいかにも物足りないこととなるだろう。


そこで新版で増補された「付論」の意味が限りなく大きくなってくる。「『ポスト戦後』論壇を考える」と題された本章は、2018年、自死におよんだ西部邁への追悼から始まる。そして、著者は、西部が福田恆存について論じた、次のような一文を引きながら、西部における絶望の深さをえぐり出してみせるのだ。



「しかし、福田氏の生涯を眺めていえば、彼のいいたかったのはもっと深い意味での言論についての絶望だったのではないだろうか。……彼のいうクリティーク(批評)とは、いわゆる『ナレッジ・オヴ・イグノランス』(無知の涙)に焦点が当てられていた。福田が『言論は虚しい』といったのは『おのれの知ることがいかに少ないかを知る』者が、昔も今も極度に少なく、それゆえ自分の言説が歴史的に残るなどということも期待できない、ということだったのではないだろうか」(西部邁)



こうして著者は、本書原本がその記述を終えた70年代終わりから、西部の自死との間に横たわる40年の空隙が、論壇の衰微、崩壊の明らかな過程でもあったと示しているようでもある。かててくわえて、本書は加藤典洋による「戦後の読み直し」に触れてその増補を終えるのだが、その加藤が、令和に入った直後に没したことは、私には、なにか恐ろしい象徴的な出来事のようにも思われる。