堀辰雄『聖家族』の謎 | 出ベンゾ記

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ベンゾジアゼピン離脱症候群からの生還をめざして苦闘中。日々の思いを綴ります。



手元に『燃ゆる頬・聖家族』と題した文庫本が2種類ある。いわずと知れた、堀辰雄の名作だ。


ともに新潮文庫であるが、一冊は新漢字・新かなづかいの新版、もう一冊は正漢字・歴史的仮名づかひの旧版だ。


新版は何度か買いなおしたもので、今持っているものは昭和55年の版である。ただし新版とは仮に言うので、現在流通している版とは異なるかも知れない。


堀の同作を読んだのは、多分、中学生のときだと思う。そのときはやはり新潮社が出していた、日本文学全集とかいう、真っ赤な表紙に真っ赤な箱のB6判のシリーズの一冊で読んだのだった。堀の作品を今もって手元に置くのは、やはり中坊の胸をうつものがあったのだろう。


『聖家族』の書き出しを新版から引くと次のごとし。



「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった」。印象的な一行で中学時代から暗記しているフレーズだ。


旧版を入手したのは5~6年前くらいのことになろうか。神保町の古書店の店頭のワゴンから拾いだしたもので、多分100円だったと思う。版面(はんづら)が黒っぽいので、よく見ると漢字が正字で組んである。当然、旧仮名づいひであって、奥付けには検印紙が貼り付けてあり、「堀」と三文判が押してあった。嬉しくなって買ってきた。



さて、そのままうっちゃっておいた旧版に、あるとき、ほんの気まぐれから目を通してみた。


懐かしい『聖家族』の書き出しである。「死があたかも一つの季節を開いたやうだつた」。ん? 仮名づかひの違いだけではない。文章の調子・調べがまるで違うではないか。



新版「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった」。旧版「死があたかも一つの季節を開いたやうだつた」。


恐ろしいことだ。地べたが崩れ去っていくような感じがした。


旧版では「かの」の2文字が欠落しているのである。


堀の判子が押してある旧版は昭和22年11月30日初版発行。28年2月10日7刷。もし、旧版の誤植だとしたら、28年逝去した堀の没年まで、正されずに刊行され続けていたことになる。


それどころではない。新版の奥付けにはこうある。昭和22年11月30日初版発行。45年3月30日26刷改版。55年5月30日41刷。初版の日付は旧版と同じだから、この新版が旧版に基づいて制作されたことは明らか。


精査していないので憶測になるが、そうなると45年の改版まで、書き出し2文字の欠落が続いていた可能性が出てくるではないか。

さらには堀がこの異同を容認していた可能性すら出てくる。


Webを瞥見するに、『聖家族』書き出しを、文庫旧版によって引いている例はない。おそらく新版は全集による表記に即しているものと想像するが、旧版表記は堀の生前、長らく正されていなかったのである。


熱心に探しているわけではないが、このあたりの事情を明らかにした資料は、今のところ私の目には入ってきていない。不思議なことだ。