『書かなければよかったのに日記』 | 出ベンゾ記

出ベンゾ記

ベンゾジアゼピン離脱症候群からの生還をめざして苦闘中。日々の思いを綴ります。

『書かなければよかったのに日記』(深沢七郎/中公文庫/2018.12.25初版)



原本『流浪の手記』(1963年初版)を改題増補。


世に言う「風流夢譚事件」の後を受けて、深沢七郎は全国放浪の生活に入る。本書収録の幾篇かには、その北海道時代のエピソードが書かれている。


もともと奇抜で得体の知れない人物深沢の、これらはもっとも謎に満ちた書き物であろう。


風流夢譚事件とは何か。


1960年12月号「中央公論」に掲載された深沢七郎作『風流夢譚』という小説を読んで、世間は仰天した。日本に革命が起こったという設定のもと、当時存命中だった昭和天皇夫妻、皇太子夫妻の斬首の場面が描かれていたからだ。


右翼はこれを指弾、版元社長宅を急襲し使用人を殺害、社長夫人に重傷を負わせるという事件に発展した。深沢は警察の保護下に入り、所在を転々とする生活を始める。深沢のもとには、全国から脅迫の手紙が送られて来たが、北海道からはただ一通のみだったという。


その一通に引き寄せられるように、深沢は北海道にやってくる。


「私はここへなにしに来たのだろう? 私はある一人のヒトに会うために来たのだ。その人の名も知らない、住所も知らない。ただ『石狩の人だ』ということしか知らないのだ。私はその人をたずねて、会って、自分の名を知らせて、その人に殺されようと、来たのだ」


深刻の極みといった決意だが、深沢の怪人ぶりが発揮されるのはこの後だ。


当文庫解説の戌井昭人も呆れたようで、次のごとく要約している。


「とにかく、ものすごく深刻で、(略)そのような状況の中、深沢が、ハマナスの咲き乱れている石狩の浜辺をうろうろしていると、チンピラと出会い、(略)彼と一緒に札幌へ向かうのだが、そこからの動きが、なんだかフザケているような、トボケた感じになる。金が無くなって知人に借りに行ったり、クラーク博士を崇拝している若者に向かって、クラーク博士について毒舌をかまし、(略)アイビキ喫茶のようなところに行き、若い女とキスをして、舌を入れたとかどうだとかチンピラと話したり」


という有り様で、まったく得体の知れないこととなる。深刻と、破れかぶれと、もともとのおのれの感覚と、異郷への好奇心と…もろもろが脈絡なく表れてきて、それが人間の生活だと言われればそのとおりかも知れない。知れないが、この状況下でそれをぬけぬけと書けるというところが、深沢の物書きとしての強みなのだろう。


話は転がって行って、最後は唄のように美しい場面となって突如として終わる。生き死にもなにもない、透き通った虚無のなかに溶けて流れてゆくように終わるのだ。


エッセイ集のなかに収められてはいるが、ここに至って、これが小説であることに私はようやく気づいた。


考えてみると、深沢のエッセイ、日記は、小説として読むほうが腑に落ちるものが多いようだ。戌井が書いている深沢の「トボケ」という姿勢も、そのことに関係していることだろう。


ときに『風流夢譚』の挿絵が、長く週刊新潮ののどかな表紙を担当していた谷内六郎によるものであることは意外だった。



上の写真は、自身が経営していた今川焼店「夢屋」で今川焼を焼く深沢(笑)。