Perfumeの10年
やっとNET環境を手に入れました。
今回MYノートブックを持って行ってたのですが(要は仕事用と2台)
何とか無線LANにつなぐ事が出来ました。
ホテルや公共の場所ならつなげる事が出来るようですね。
渡米後半月、溜まっていた思いがあるので記事長くなります。
(いつも長いので反省……してません^^)
何で持って行ったかというとDVD再生用にです。
今回は"bitter"、"GAME"、"Budoukaaaaaaaaaan!!!!!"、"⊿TOUR"、
"不自然G"を持って来たので禁断症状は軽くて済みました。
ただ2台となるといくらノートでも重いしどうしようかと悩んだのですが、
1か月の長丁場なんで、まあいいや、持ってけと決行。
ううう良かった(TT)これで異常な携帯料金と浦島状態から解放される(^^)
でやっと一通りいつもお邪魔している方のブログはチェックできました。
3時間ぐらいかかった(汗)
YOUTUBEやデイリーモーションも削除されていない怒涛のTV出演番組をチェック。
これも3時間ぐらい。でニヤニヤ。浦島は大変です。
ネットが繋がるまで今までは何していたかというと、持参のDVDを時系列順に
じっくり見る事に専念してました。
(同僚2名と仕事後の一杯が終わったら、ホテルなんで他にする事が無い)
"bitter"の2006年12月から"不自然G"の2010年4月(PV撮影は2月?3月?)
DVDでは約3年と少しですが、これらを久しぶりに順番に見て、改めて彼女達の
思う10年とはどうだったんだろうと、DVDには無い「上京前後」位からの事を
含めて書いてみます。
ただ特にBEE-HIVEの頃の事は、タブーの様に彼女達の口からは話が出ません
ので、あくまで僕の想像の域を出ません。
今年は「攻めの年」という事で耳がタコになる程、「10・5・3」という数字を前面に
押し出しての活動が続いています。
まあ結成10周年は横に置いておいて、彼女達が東京に出てきた2003年4月から
数えると丸7年、今年は8年目になります。
上京を起点とするとbitterの時点では3年8か月。GAMEでは5年。武道館5年7か月。
⊿6年4か月。間に僕が初めて参戦した代々木がありこれは6年1か月。
これを日数に直すと、
bitter/約1,300日、GAME/約1,800日、武道館/約2,000日、代々木/約2,200日、
⊿TOUR/約2,300日、そして現在怒涛のメディア攻勢を行っている2010年4月は
上京してから約2,600日。
こんな事数えてどうするの?ですが、長いです。やっぱりとてつもなく長いです。
上京してからの彼女達がここに立つまで道のりは。
なぜ結成10周年では無く、上京時の2003年を起点と僕が考えるか。
少なくとも広島から上京して来た時点ではASHの金の卵、芸能界入り一番乗りと
言う事で、とてつもない期待をかけられていたはずです。
本人達もローカルながら広島でCDを2枚出し、TV出演などもしていた訳で、また
芸能界に広島出身のアーティストや女優さん等も数多くいる訳ですから、当然
意気込みも相当な物だったかと思います。
「ASHの卒業式」も卒業というより「壮行会」の趣きです。
13~14歳の彼女達が右も左もわからぬまま上京し、BEE-HIVE寮に入る。
すぐに5月・BEE-HIVE公演のステージが控えており、学業と厳しいレッスンの毎日。
すでにプロデビューしているBOYSTILEや、COLORからBuzyへと変貌中の6人、また
同時期に集められた全国からの選りすぐりメンバー、含めて総勢17名。
まさに蜂の巣をつつくような賑やかな寮だったと思います。
広島から意気揚々と出てきた3人は、実績をすでに持っている先輩たちを見て
まず最初にここで鼻をへし折られた。"う~ん自分達にはまだまだ足りない事が
いっぱいある"という事に気付いて、それこそ寮生であるから夜中まで自主練習を
たくさんやった事かと思います。まるで部活動の様に。
彼女達の生活も広島時代とは考えられないほど激変したはずです。
だから僕はこの時点を起点と捉えている訳です。
一生懸命にやっていれば必ず成果がある。ひたすらそう思って14歳~16歳までの
彼女達は頑張ってきたに違いありません。
しかし結局BEE-HIVEプロジェクトは成功しなかった。
2003年4月から続いたBEEカメも、2005年11月に終了。
実質的にBEE-HIVE・PJも終了します。
別に彼女達のせいではありません。しかし彼女達の心には今でも大きな傷が
残っているに違いありません。
また賑やかだった寮も2年経ち、高校卒業の退寮者や芸能界を去った仲間もいて、
静かになっていたのではないかと思います。
Perfume自体も最後の方はカメラの前に出る事が少なくなっていたようですし。
最後のBEEカメ/2005年11月18日

僕はリアルタイムで見ていた訳では無いのですがPerfumeWikiの中に"2ch過去
ログ集"というのがあり、そこにリアルなBEEカメ最後の放送が語られてます。
Perfume自体はこの2か月前、2005年9月に「リニア」でメジャーデビュー。
3部作と名付けられた傑作群として2006年2月に「コンピューターシティ」、
同年6月に「エレクトロ・ワールド」を発表。8月に「コンベス」をリリース。
そして12月のbitterのライブとなります。
僕がbitterに哀愁を感じるのは、途中モノクロの回想部分。
あの賑やかだったスタジオで3人だけが練習をしている風景。
あのスタジオの隣の部屋のライブカメラは撤去されたんでしょうが、
かしゆかの背後に一瞬映る、天井からぶら下がったカメラ。
満を持して投入した「エレワ」で惨敗。
コンベスは何とかセールス的にある程度の数字は出しましたがそれでも
目標の1万枚に当初は届かず。
bitterでは皆笑顔全開ですが、周りの状況を見ても、今後の事で本当に
不安が一杯だっただろうと思います。
僕は2000~2002年の広島時代を「第1期ぱふゅ~む」とすれば、
上京後の2003年~2006年「コンベス」発売までの期間を「第2期Perfume」。
その後の2007年「チョコ/TSPS」~2008年「武道館・紅白」までが「第3期」。
そして2009年「ORD」で始まり"代々木DDD"、"⊿TOUR"~現在までが「第4期」
と考えます。それで考えても、上京してからでも「転換期」が3回あったわけです。
(人によってはもっと細かく分ける方もおられるかも、ですが)
何回も言いますが2,600日は長いです。
よくここまで生き残ってきた。奇跡のユニットとしか言いようがありません。
どこかで誰かが"神の見えざる手"を働かせているのではと思うほど…
他にこんなガールズユニットがあるだろうか?いや無い。
でも自分達でその運命を引き寄せたのは間違いないでしょうね。
その理由の中でも絶対的に大きな部分は、
彼女達の「謙虚さ」
これが自ら大きな運を引き寄せた最大の理由と言っても間違いないと
僕は思います。
以前「音楽と人」でPerfumeが出た時、インタビュアーの金光さんが
(この人いつも良い具合に引き出してくれます)インタビュー後記として
下記にまとめてました。
原文が今手元に無いので記憶で記述しますが、
「売れなかった頃、彼女達は他の誰にもわからない"絶対的な何か"を共有した」
という感じだったかと思います。
思わず、これは名文だと思いました。
それこそ、今でも非常に仲の良い彼女達ですが、ただ仲が良いだけではなく、
またいつもべったりくっついている訳でなく、絶妙に適当な距離感を保ちながら、
しかしこの「絶対的な何かを共有」している"戦友"として。
今後もこの「謙虚さ」を大事にしながら節目の年を
トップギアで走り続けて行くはずです。

今回MYノートブックを持って行ってたのですが(要は仕事用と2台)
何とか無線LANにつなぐ事が出来ました。
ホテルや公共の場所ならつなげる事が出来るようですね。
渡米後半月、溜まっていた思いがあるので記事長くなります。
(いつも長いので反省……してません^^)
何で持って行ったかというとDVD再生用にです。
今回は"bitter"、"GAME"、"Budoukaaaaaaaaaan!!!!!"、"⊿TOUR"、
"不自然G"を持って来たので禁断症状は軽くて済みました。
ただ2台となるといくらノートでも重いしどうしようかと悩んだのですが、
1か月の長丁場なんで、まあいいや、持ってけと決行。
ううう良かった(TT)これで異常な携帯料金と浦島状態から解放される(^^)
でやっと一通りいつもお邪魔している方のブログはチェックできました。
3時間ぐらいかかった(汗)
YOUTUBEやデイリーモーションも削除されていない怒涛のTV出演番組をチェック。
これも3時間ぐらい。でニヤニヤ。浦島は大変です。
ネットが繋がるまで今までは何していたかというと、持参のDVDを時系列順に
じっくり見る事に専念してました。
(同僚2名と仕事後の一杯が終わったら、ホテルなんで他にする事が無い)
"bitter"の2006年12月から"不自然G"の2010年4月(PV撮影は2月?3月?)
DVDでは約3年と少しですが、これらを久しぶりに順番に見て、改めて彼女達の
思う10年とはどうだったんだろうと、DVDには無い「上京前後」位からの事を
含めて書いてみます。
ただ特にBEE-HIVEの頃の事は、タブーの様に彼女達の口からは話が出ません
ので、あくまで僕の想像の域を出ません。
今年は「攻めの年」という事で耳がタコになる程、「10・5・3」という数字を前面に
押し出しての活動が続いています。
まあ結成10周年は横に置いておいて、彼女達が東京に出てきた2003年4月から
数えると丸7年、今年は8年目になります。
上京を起点とするとbitterの時点では3年8か月。GAMEでは5年。武道館5年7か月。
⊿6年4か月。間に僕が初めて参戦した代々木がありこれは6年1か月。
これを日数に直すと、
bitter/約1,300日、GAME/約1,800日、武道館/約2,000日、代々木/約2,200日、
⊿TOUR/約2,300日、そして現在怒涛のメディア攻勢を行っている2010年4月は
上京してから約2,600日。
こんな事数えてどうするの?ですが、長いです。やっぱりとてつもなく長いです。
上京してからの彼女達がここに立つまで道のりは。
なぜ結成10周年では無く、上京時の2003年を起点と僕が考えるか。
少なくとも広島から上京して来た時点ではASHの金の卵、芸能界入り一番乗りと
言う事で、とてつもない期待をかけられていたはずです。
本人達もローカルながら広島でCDを2枚出し、TV出演などもしていた訳で、また
芸能界に広島出身のアーティストや女優さん等も数多くいる訳ですから、当然
意気込みも相当な物だったかと思います。
「ASHの卒業式」も卒業というより「壮行会」の趣きです。
13~14歳の彼女達が右も左もわからぬまま上京し、BEE-HIVE寮に入る。
すぐに5月・BEE-HIVE公演のステージが控えており、学業と厳しいレッスンの毎日。
すでにプロデビューしているBOYSTILEや、COLORからBuzyへと変貌中の6人、また
同時期に集められた全国からの選りすぐりメンバー、含めて総勢17名。
まさに蜂の巣をつつくような賑やかな寮だったと思います。
広島から意気揚々と出てきた3人は、実績をすでに持っている先輩たちを見て
まず最初にここで鼻をへし折られた。"う~ん自分達にはまだまだ足りない事が
いっぱいある"という事に気付いて、それこそ寮生であるから夜中まで自主練習を
たくさんやった事かと思います。まるで部活動の様に。
彼女達の生活も広島時代とは考えられないほど激変したはずです。
だから僕はこの時点を起点と捉えている訳です。
一生懸命にやっていれば必ず成果がある。ひたすらそう思って14歳~16歳までの
彼女達は頑張ってきたに違いありません。
しかし結局BEE-HIVEプロジェクトは成功しなかった。
2003年4月から続いたBEEカメも、2005年11月に終了。
実質的にBEE-HIVE・PJも終了します。
別に彼女達のせいではありません。しかし彼女達の心には今でも大きな傷が
残っているに違いありません。
また賑やかだった寮も2年経ち、高校卒業の退寮者や芸能界を去った仲間もいて、
静かになっていたのではないかと思います。
Perfume自体も最後の方はカメラの前に出る事が少なくなっていたようですし。
最後のBEEカメ/2005年11月18日

僕はリアルタイムで見ていた訳では無いのですがPerfumeWikiの中に"2ch過去
ログ集"というのがあり、そこにリアルなBEEカメ最後の放送が語られてます。
Perfume自体はこの2か月前、2005年9月に「リニア」でメジャーデビュー。
3部作と名付けられた傑作群として2006年2月に「コンピューターシティ」、
同年6月に「エレクトロ・ワールド」を発表。8月に「コンベス」をリリース。
そして12月のbitterのライブとなります。
僕がbitterに哀愁を感じるのは、途中モノクロの回想部分。
あの賑やかだったスタジオで3人だけが練習をしている風景。
あのスタジオの隣の部屋のライブカメラは撤去されたんでしょうが、
かしゆかの背後に一瞬映る、天井からぶら下がったカメラ。
満を持して投入した「エレワ」で惨敗。
コンベスは何とかセールス的にある程度の数字は出しましたがそれでも
目標の1万枚に当初は届かず。
bitterでは皆笑顔全開ですが、周りの状況を見ても、今後の事で本当に
不安が一杯だっただろうと思います。
僕は2000~2002年の広島時代を「第1期ぱふゅ~む」とすれば、
上京後の2003年~2006年「コンベス」発売までの期間を「第2期Perfume」。
その後の2007年「チョコ/TSPS」~2008年「武道館・紅白」までが「第3期」。
そして2009年「ORD」で始まり"代々木DDD"、"⊿TOUR"~現在までが「第4期」
と考えます。それで考えても、上京してからでも「転換期」が3回あったわけです。
(人によってはもっと細かく分ける方もおられるかも、ですが)
何回も言いますが2,600日は長いです。
よくここまで生き残ってきた。奇跡のユニットとしか言いようがありません。
どこかで誰かが"神の見えざる手"を働かせているのではと思うほど…
他にこんなガールズユニットがあるだろうか?いや無い。
でも自分達でその運命を引き寄せたのは間違いないでしょうね。
その理由の中でも絶対的に大きな部分は、
彼女達の「謙虚さ」
これが自ら大きな運を引き寄せた最大の理由と言っても間違いないと
僕は思います。
以前「音楽と人」でPerfumeが出た時、インタビュアーの金光さんが
(この人いつも良い具合に引き出してくれます)インタビュー後記として
下記にまとめてました。
原文が今手元に無いので記憶で記述しますが、
「売れなかった頃、彼女達は他の誰にもわからない"絶対的な何か"を共有した」
という感じだったかと思います。
思わず、これは名文だと思いました。
それこそ、今でも非常に仲の良い彼女達ですが、ただ仲が良いだけではなく、
またいつもべったりくっついている訳でなく、絶妙に適当な距離感を保ちながら、
しかしこの「絶対的な何かを共有」している"戦友"として。
今後もこの「謙虚さ」を大事にしながら節目の年を
トップギアで走り続けて行くはずです。
