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( ̄~ ̄;)まず知るコトから始めたい

欲しいと思うのは、身体がソレを求めているから。だから、欲しいモノを素直に食べたり飲んだりするのが、いちばん健康に良いんだよ。

【文献】差異の政治学(2002年 上野千鶴子:岩波書店)

<範囲>セクシュアリティの社会学(p32-55)

【テーマ】内容を2000字で要約

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近代以前には、セクシュアリティという概念そのものが存在しなかった。近代科学的な知に限定されていない、広い意味の「性に関する知」は、自然科学を範とする近代西欧的な知に編成されていった。『性の歴史』の著者、ミシェル・フーコーによれば、この近代科学的な編成こそが、セクシュアリティの概念を成立させている。セクシュアリティ研究は、概念そのものの成り立ちへの問いを含む自己言及的な研究だ。

セクシュアリティとは、人々がセクシュアリティだとみなしているものの意に他ならない。「無定義概念」だ。そして、セクシュアリティ研究とは、人々がセクシュアリティと呼び、表象するもの、そしてその名のもとで行為する仕方について研究する領域だ。

性の社会構築主義の立場からは、性科学の、性に関わる自然へのまなざしそのものが説明されるべき対象となる。フーコーはセクシュアリティの研究を自然科学の対象から学際的な人文・社会科学の探求の対象へとパラダイム転換した。

ウィークスはフーコー前史として、性心理学・文化人類学的研究・アナール派社会史の歴史研究をあげる。さらに、フェミニズムは、フロイトの主張する「解剖学的宿命」に対抗するために、セックスと区別してジェンダーの概念をつくりあげた。ジェンダーが社会構築的な概念である事がわかれば「異性」「同性」というジェンダーに向けられたセクシュアリティの社会構築性も明らかになる。

フーコーは「セクシュアリティの近代」の中に、性に関する抑圧仮説を導き出した。さらに、抑圧仮説から、性の言説を通じて真理の産出される過程を問題化した。セクシュアリティという領域の成立は、それを通じて「私的な領域」というものが公的につくりだされるための装置だったのだ。

公的人間の背後にある「内面」「心理」というものが捏造され、セクシュアリティについて語ることが真理について語ることと同義になる。真理は公的領域から隠された事柄と同義になり、人々は秘匿された自己の真実を「個性」や「人格」とみなすようになる。セクシュアリティが私領域を構成し、それが「公領域」「公的人間」を背後から支えている。かくしてセクシュアリティは、身体を通じて個人を管理する権力の技術となった。

「性の非公然性」の原則のもとで、セクシュアリティは私領域に封じ込められる。公領域を非-性化し、私領域をセクシュアリティの用語で定義するルールに他ならない。人々がひそひそ隠れて語ることを、公的な場で過剰に言い立てることそれ自体が、叛逆的で革命的であるかのような錯覚が、政治的に成り立った。本来公的領域から排除されるべきもの(オフ・シーン)が場違いに公領域に登場することこそ、猥褻なのだ。

公領域における性の排除は、裏返しに私領域における性の言説を特権化し、爆発的増殖をもたらした。セクシュアリティ研究につきまとう大きな問題は、言説や表象がどれほど現実を代表しているか、という言説と実践との関係だ。表象と現実の二元論に立つ必要はない。言説は、現実を構成する諸実践のひとつであり、規制的実践だからだ。

性についての科学的なまなざしは、性を言説ではなく実践のレベルで捉えようとした。アメリカの「国民健康社会生活調査」はランダム・サンプリングという社会学的な定量調査の方法を正確に踏襲した性行動の大量調査だ。結果が明らかにするのは、平均的なアメリカ人は凡庸な性生活しか送っていない、という事実だ。この調査自身も、それ自体によって性についての規制的実践を行なっている。それは「平均型」というものを生み出すことで「標準」をつくり出す、「社会科学的」な「真理」の強制と言い換えられる。アメリカ人が刺激的な性生活を送っているという「神話からの解放」を図るという使命を帯びているかのようなコンテクストは、同時に「隣人の性生活」の真実を知りたい、という「セクシュアリティの近代」の脅迫がもたらした当の産物なのだ。

どのようなデータも臨床的なものだ。言い換えれば、情報の送り手と受け手の相互作用のなかからしか成立しない。たとえ科学的に見える調査でも、問われないことに対して被験者は答えない。被験者が与えた情報でも、読み手が取り落とすこともある。ここには、調査のカテゴリーそのものが社会的に構築されているという事実がある。

そしてカテゴリー化とは、すぐれて政治的な言説実践にほかならない。「現実」の生成と「言説実践」とが分かちがたく結びついている。セクシュアリティ研究そのものが、セクシュアリティを論じるためのメタ・コンテクストを造り上げていることにじゅうぶん自覚的でなければならない。

セクシュアリティの社会学は、性の言説の特権化のメカニズムを明らかにすることを通じて、近代の言説の布置を脱構築化し、その研究の対象から、どのような特権性をも奪うことを企図する。

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