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★自作乙★

小説について考える日々のあれこれ。創作日記。読書。自己分析。

相変わらず世界は「金」である。金金やかましいのである。すれ違う人間は皆守銭奴と考えたほうがいいだろう。財布一つロクに落としてくれないのだから。


先日創作活動を志した僕にとっては、もはや金など無用なのだが、生きるということは当たり前に金がかかるわけであり、例えば、こうやってブログを書いている時間でさえ、PCは電気で起動している。つまり電気メーターは回っている。毎月15日に電力会社から請求書が届く。金が払えなければ電気が止まる。暖も取れない。米も炊けない。良くて凍死、悪くて餓死。自分はただ、創作をしたいだけなのに。例え趣味余興といえど、働かざるものラノベ書くべからず、というわけだ。心ゆくまで創作できる時間が欲しい。


そこで、当たり前の考えに行き着く。

「文章で、食えないものか」と。


愚問である。日本人の三千万人くらいの人は、一度はそう考えるが、内九割はしっかりと現実を見定めペンを折り、原稿用紙を丸め、くずかごにスラムダンクを決める。これは正しい判断だ。断念のきっかけはともあれ、己の文才の無さに気づくこと自体、それはそれで立派な才能である。


本当に文才のある人間は、小説家などにはならない。送付状一つで大起業の中核に飛び込み、美女をラブレター一通で落とすだろう。


小説家としてやっていける人間は、特殊な構成能力のある者か、特殊な経験をした者だけだ。何を書いても読ませてしまう文章力をもった作家は、日本ではおそらく「村上春樹」ただ一人である。そんな村上春樹は、海外作品を翻訳をするにあたり、英語をはじめ、ドイツ語フランス語スペイン語ギリシャ語トルコ語を習得したという。言葉に対する真剣さが違いすぎる。氏の小説は、一見、誰でも書けそうな平坦な日本語だが、あれは誰にも書けるものではない。誰にでも書けそうに見えるのに、書けない。その理由は何となく分かるのだが、その理由を上手く文章で書いてみろと言われたら、書けない。これが文才の無い証拠だ。さあ、やる気が失せてきた。依然、ワードは真っ白である。