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★自作乙★

小説について考える日々のあれこれ。創作日記。読書。自己分析。

やれやれだぜ。ラノベを書するといいながら、書いているのは人間不条理の詩ばかり。このままでは、このブログの存在理由(レゾンデートル)が示せん。


やはり、モチベーションを上げるため、投稿を動機としたものを一作仕上げ、何かの賞に送るのも一つの手かもしれない。賞金もあるだろうし、賞金もらったら、今度こそ納得のいくラノベを書くために参考文献として、ラノベを買おう。


吉幾三の東京感のようになってきているが、それはそれで合掌。

と、いうわけで、ラノベの賞について更に深く調べてみた。


今のところ現存する賞は


電撃大賞

講談社ラノベ文庫新人賞

講談社ラノベチャレンジカップ

角川スニーカー大賞

MJ文庫Jライトノベル新人賞

えんため大賞

GA文庫大賞

ファンタジア大賞

スーパーダッシュ小説新人賞

小学館ライトノベル大賞


といったところである。


春先が〆切である電撃と講談社は無理そうだ。いくらラノベといえど、二三ヶ月での完成及び投稿は、職務中の身では厳しいだろう。経験上、文章校正には最低一ヶ月を要する。ワードの変換は信用ならない。ここぞという大事な漢字を間違えてくれやがる(そして書き手は一向に気づかない)


と、なるとやはり妥当なのは、スニーカーだろうか。見た限りでは一番文学している?ようであるし「ハルヒ」の実績も無視できない。ついでに言えば僕は長門有希に萌えている。もっと言えば「長門有希の100冊」に載った書籍の内12冊が家にある。もっと言えば長門有希のフィギュアがパソコンデスクに添えられている。


いろんな意味で、角川スニーカーに投稿することは間違いではなさそうだ。そんなわけで今日は朝からアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」を見ていたりする。

萌・・・いや、分析のために。

実際、ライトノベルでアニメ・小説、共に成功した例は「ハルヒ」と「とある魔術~」の二作品だけではないだろうか?この二作の優れた点を見出す作業は、ある程度必要である。現在のライトノベル普及の裏には「ハルヒ」の功績が確かに存在している。何かが「流行る」ということは、これまで食わず嫌いを通してきた連中を引き込んだということである。ハルヒは「一般」に読ませることに成功した最初のラノベでもあるのだ。


例えば、現在日本にHIPHOPが「邦楽」の一部として根付いたことの最大の理由は「ドラゴンアッシュ」の登場である。ZEEBRAにパクリと罵られ、現在は大きく音楽性を変えての活動となったわけだが、他のラッパーが何を言おうと大衆の耳にヒップホップを馴染ませたのは降谷建志であることに違いはない。人には必ず「抵抗」というものが存在する。あるシーンにおいて革命を起こす作品、あるいはアーティストには、その「抵抗」を中和する何かが必ずある。ライトノベルにおいてハルヒの「中和物質」とは何だったのだろうか?


中和物質の正体。この答えは簡単である。



「なんだ。こんなのだったら俺でも書ける(歌える)じゃねえか」



つまり、模倣が容易である(と思わせる)ことにある。もちろん作品の質は重要だが、それ以上にある種の真似のしやすさが、時に大衆の心を掴んでしまう。ドラゴンアッシュ全盛期、男子共は揃ってカラオケでグレイトフルデイズを熱唱していた。高いキーを必要としないラップの歌唱法は、声量に自信の無い男子たちに活躍の場を増やした。

ハルヒの文体もそうである。語り手の男子高校生が、実に好き勝手言っている。パッと見は、ほとんど愚痴でしかない。回りの登場人物が面倒を起こし続ける中、被害者の視点で文句を言いまくる。当時はこういった一人称はラノベには少なかった。多少知的ぶった単語の起用が目立つが、基本的に文体そのものはラフであり、何となく書けそうな感じを与えてしまう。現在も、影響を受けているだろうと思われる作品は少なくない。


その表現が意図的にしろ、無意識にしろ、誰かが真似したくなるような素材を秘めていれば、それは大概成功する。しかし、それが一番難しいのは言うまでもない。おそらく表現者本人ですら、それは予想してなかったことではないだろうか。