ただただショックで呆然としてしまった二年前に続く今年の知覧特攻平和会館訪問では、少しは前回より多くのことを見てこれた。

特攻隊というと、戦争開始時には、その優れた飛行性能により無敵だった零戦が、戦争後半に登場してきた米国の戦闘機に性能面で逆転されてしまい、爆弾を積んで(更に機動性能を悪化させ)連合国の軍艦に突撃していったイメージを抱いていた。

知覧は陸軍基地なので(海軍機)零戦ではなく陸軍の隼が特攻機として出撃していったものというイメージを持っていた。

しかし、知覧にて愕然とする事実を今回、知った。

ガラスケースに展示されている遺書ではなく、ファイル展示されている遺書(のコピー)では、遺書を書いた本人の経歴や出撃機の情報も載っていたが、一式戦闘機「隼」(またはそれ以上の性能を有する三式「飛燕」など)で出撃した人は殆どいない少数派。

多くの人は戦闘用の機種でない、極端に劣る練習機や偵察機に爆弾を積んで出撃していったことが記されていた。

練習機って…スピードが最も速い戦闘機の半分ぐらいしでしか飛べない筈。

米軍も特攻の防御対策として軍艦に突入される前に、レーダーで監視して戦闘機を派遣しての迎撃を強化。

素(非特攻機)でも零戦や隼では米軍の戦闘機には太刀打ち出来ないのに、それより大きく性能の劣る練習機に更に重い爆弾積ませて攻撃を行なっても軍艦に辿り着く前に敵の迎撃戦闘機に撃墜されてしまう…

パイロット達は、そんな成功確率が厳しい状況をわかっていながら遺書の多くには

明日は見事に空母を仕留めます。

と書かれており、ただただ頭の下がる思いでいっぱいになりました。


Pちゃん徒然ブログ-兵舎横.jpg
特攻隊員の兵舎は半分埋まって屋根には木を被せてカモフラージュして敵の空襲から身を守っていた。