令和きんぐだいありぃ~ -62ページ目

令和きんぐだいありぃ~

今までもそしてこれからも
だら~んと気ままに書き残します。

ども。
今日は九度山に来てます。
慈尊院から町石を少し巡ってから
ここからはしばらく南海高野線の駅を巡って行きます。


11年前に南海高野線巡りをしたので
それと対比しながら進めていきます。
 ※ 当時の記事は→コチラ

 

 

 



九度山駅にやって来ました。
 ※ 九度山駅のwikiは⇒コチラ 


これが以前の駅舎。

真田色がより強くなってます。
写真左下の自販機も真田ですからね。

 

ホーム。

 

11年前の駅ホーム。

 

何か雰囲気が違うと思ったら・・・11年前には無かったものが今はあります。

 

コレですね。

 

 

構内から駅舎を撮る。

 

コチラが11年前。

 

 

駅名看板も真田の六銭紋が入りました。

 

 

キレイに整備されてるココ。

 

11年前に訪れたときはまだ工事の途中でした。

 

 

 

保線基地

これは昔から変わらない光景です。

 

 

 

吊り下げ駅名標。

 

こう見ると、昔のは殺風景に感じますね。

ども。

今日は九度山に来てます。



慈尊院に行ってから







この119段の階段を上って丹生官省符神社へ。


ここはワタクシの小さい頃よく遊んだ所です。





今日はお参りだけして

町石道を進みます。







これが179町石。






さらに、こんな細い坂道をのぼって行って


178町石

 

こんな感じであります。

 

 

 




177町石



アカンアカン。ずっと行ってたらキリが無いってことで

町石をたどるのは一旦ここでストップさせます。

ども。
今日は九度山に来てます。


まずは空海も渡ったという船着き場跡。

今も船着き場だった雰囲気を感じなくも無い。
さすが昭和30年代まで舟が往き来してただけはある。

 

 

 

慈尊院から町石道が始まっています。

 ※ 高野山町石道のwikiは→コチラ

 

その町石道を歩く前に、この船着き場に「下乗石」が立ってました。。。

 

180町からだんだん減っていって1番は伽藍の中にあります。

空海さんはこの紀の川から舟でたどり着いて慈尊院に行き
その上の丹生官省符神社から高野山登山入り口になります。
そして高野山に向かうのです。

 

 


そして慈尊院の入り口。
 ※ 慈尊院のwikiは→コチラ

 

この入り口脇(写真左側)に先程説明した下乗石の先っぽがあります。

 

慈尊院の正門入り口手前左に卒塔婆型の下乗石の上部が建てられている。

ただし残念ながら、下乗の「乗」の文字が土中に埋まっています。

 

そもそも下乗石は、ここから馬や駕籠をおりて参拝する目印であったが、

高野山の場合ここが結界であって平安時代は、ここで貴族も侍も駕籠や馬を降りて

高野山に参詣した記録があります。

元々は紀伊名所図会によると定海が保延2年(1136年)に建立し、

今の場所には天文9年(1540年)の大洪水で破損したため上部のみ移し残ったと考えられる。

藤原道長も白河上皇や後宇多上皇も徒歩で高野山に参詣したと伝わっている。

 

 

 

 

 

 

 

多宝塔

 

丹生官省符神社に続く階段。

この階段。119段あります。

ワタクシ、この階段で昔よく遊びました。

 

その階段の途中に・・・

 

 

180町石が立っています。