4曲目の「いちょう並木のセレナーデ」
5曲目の「神秘的」
で
小沢くんが昔『犬は吠えるがキャラバンは進む』のなかの
「向日葵は揺れるまま」について
自分で
女の子のお母さんウケがよさそうな歌だよねって
どっかで言ってたのを思い出すように
どちらも、小沢健二、「彼女の母に好かれる好青年」の一面を感じさせるステージから。
6曲目、7曲目と
小沢くんの今回ライブツアーをやるにあたり
ファンの期待のずっとずっと上を超えてきた選曲。
ただ明るいだけでも、辛抱強いだけでもなく
ただ闇を見せてるだけでも、やっぱり理屈詰めなだけでもない選曲。
しかも中盤の大事なポジションにおける
6曲目「いちごが染まる」。
蒼茫という感じの深海で
小沢君がかなり暗い中
センターマイクに向かい切々歌い始めると
ひかりさんが、小沢くんの周りに透明な4つのポールを立てる。
そのポールをひかりさんは
蛍光のピンクとイエローのゴムっぽい糸みたいなもので
ぐるぐると囲んでいく。
国際フォーラム2階席、武道館スタンド2階席から遠めに見た感じでは
アングラ劇団が行う妖しげな実験的パフォーマンスにも感じる怖さがあって。
3日の武道館でアリーナから見た感じでは
その暗い不安と不穏とその闇から芽が育まれる様子は
むしろ芽を育てる人の愛の重さが強いのと
その「いちごが染まる」生命のダイナミズムが溢れてる。
「我ら、時」(2012)に新曲として収録された「いちごが染まる」は
「魔法的」で披露された「飛行する君と僕のために」に近い。
メロディはマイナーで暗いのに、とにかくリズムと歌詞の不整脈感に引きずり込まれる。
歌詞も「重力に逆らう」「重力を狂わす」という「飛行する君と僕のために」にあるようなまがまがしさと
自然の摂理を蹴飛ばして生きようとする
まあ「愛」とか「欲望」みたいなもの
つまり誰かを愛するがゆえに予定調和を壊して生きてしまうことへの償いっていうのかなあ
とにかく「愛」って絶対的な正義ではなく
「愛」って大義名分のもとに
いろんなこと人は犠牲にしてるよね。
そんな愛の側面が
あなたの喜ぶ顔見たさに
他の雑草の命と引き換えに
ひたすらにイチゴの実を赤く染めてくその作業に
描かれて。
「いちごの種だと あなたは尋ねる
・・・
双葉が芽生える 苗を植えかえる
良い場所を選び 命育ちたまえと」
「ひいきをするように 余計な草抜く
遅くなった夜も 粉雪の朝も
寒くはないかと 藁を木にかける
地の神に祈る 命守りたまえと」
「いちごが染まると あなたは喜ぶ
わざわざ見に来る 頬に笑みを湛えて」
誰かの笑顔のために頑張ることは純粋な愛
しかし必ずその愛の裏に見えない涙や語られない他の命の犠牲もある。
そんな人間のエゴイズムすら愛おしく歌い上げる。
「天使たちのシーン」と対極にあるかもしれないくらいだし
「フクロウの声が聞える」で相対的に描かれるこの世界の矛盾する価値観よりやっぱ純粋だし
そんな物凄い
暗澹たる純愛に行きたい
決して彼女のお母さんから好かれはしないだろう
小沢くんがフォークナーが好きだった10代を経た
小沢くんのなかの暗部でありしかし
光あふれる彼を生み出してる「中の人」の渾身の一曲に震える。
そして
7曲目「あらし」
で『Eclectic』の官能、まさに裏おざけん発動。
わたし、23日の東京フォーラムで「あらし」を「麝香」と勘違いして以来
ずっと「麝香」と思ってきたけど「あらし」だったのね。
この曲がないと「フクロウの声が聞える」とか「飛行する君と僕のために」は生まれなかったんでしょうね。
『Eclectic』が出た頃は小沢くんブラックミュージックへの傾倒ここに至れりなのかと思ったりしたけど
「いちごが染まる」からの流れで聞いて
「フクロウの声が聞える」を知ったうえで聴くと
「あらし」は、
今回のツアーの中で一番象徴性の高い
いわば「シンパシーを抱きにくい」し
純粋に音楽と言葉の融合度が高くて
「売れはしないだろうけど」
一番「小沢くんの内部から出てくる、源泉無濾過なエロさが満載」な曲。
おざわくん、こっちで勝負するんすか
でもそれすげーかっこいいよ。
だって、わかりにくいけど
何度聞いてもまた聞きたくなるし
今書いてても魔法にかかったように
「愛(色欲)以上に生きる目的なんてあんの?」な小沢くんが切なげに激しく歌ってる姿は
光り輝く小沢くんと同じくらいにこちらがすんごいドキドキたかまり
その流れで
今回ツアーのエナジーの一番の高まり(つまり「いちごが染まる」と「あらし」によって観客のカタルシスはぎりっぎりまで高められ欲動暴発寸前なわけで)
のなかで
36人ファンク交響曲として演奏されるのが
8曲目「フクロウの歌が聞える」なんですなあ。
あ、でも、「魔法的」では『Eclectic』の「1つの魔法(終わりのない愛しさを与え)」がコアになっていたから
その裏バージョンとしての「あらし」の採用だったのかも。
疲れたから、ではまた。