子どもの頃は
ドリアンのようにあちこち尖っていて
それが大人になるにつれ
だんだんと角(カド)が取れ
ライチのように
多少凸凹は残しながらも
適度に丸くなっていく
個性、性格、特徴、気質、特技
が変化していく様子を
フルーツの表面に喩えると
そんな感じでしょうか
良い指導者に出会った子どもは
一部大事な角を長く大きく
立派に育ててもらったりして
そのなかでも才能に秀でた一部の者は
やがてそれで飯を食うようになる
ところが
集団生活を重んじる現教育方法では
過度に特徴的であることを良しとせず
元はさまざまな尖り具合を持った子ども達を
皆等しく丸く艶やかな表面にすべく
ただ折って、削って、磨いて
をくり返す
結果
どこから見ても立派な
玉子のような表面を持つ
言いかえると
どこも尖っていない
何の特長もないクローンのような
人間がひたすらに生産され続ける
"良選"というが
それだって現システム下では結局
学力という点に主にフォーカスし
その分野に秀でた者を
ソートしているに過ぎない
持って生まれた素質を
存分に活かせるシステム
そしてそれが何種類もある
たとえば
スポーツに特化した小中高
音楽に特化した小中高
芸術に特化した小中高
エンターテイメントに特化した小中高
ものづくりに特化した小中高
ボランティアに特化した小中高
宗教に特化した小中高
なんかがあって
そのどのシステムを通過してきた者も
卒業後の社会に於いては
同じ尺度でキチンと評価されるシステム
必要なような気がする
