☆★徒然草★☆ -4ページ目

☆★徒然草★☆

日々のできごとをつづっています☆
癌で亡くなった母との思い出の記録、
自然妊娠から初期流産の記録、
不妊治療の記録、
そして待望の妊娠の記録、
などを綴っています。
今がどんなに辛くても、いつかこの記事
を笑顔で見返せる日が来ますように…☆

妊娠37週になり、助産師さんとの面談がありましたニコニコ

 

ノンストレステスト(お腹にベルトを巻いて寝転び、30分間赤ちゃんの心拍とお腹の張りを検査)をしながら、不安なこと、聞きたいことをすべて聞き、1時間程お話してもらいました爆  笑いかにも「仕事で話をしています」というお方ではなく、近所の人と立ち話している感じだったので、話しやすく、私には合っていましたニコニコ

 

今回出産する産院は、高級住宅街にある老舗の病院で、立地的なものか上品な妊婦さんが多く、パパママ教室のときはみんなマタニティでもおしゃれを楽しんでいて驚きましたびっくり検査項目も普通の産院より恐らく多いし、サービス(陣痛時のアロマや産後のアロママッサージ、産後の入院中はおやつも出る等)も多く、全室個室。その代わり、妊婦検診代は補助券を使っても毎回それなりに出費(自己負担3000~5000円)があるし、出産費用(陣痛~出産~産後入院1週間)は、全国平均より約20万円くらい高いです…滝汗恐ろしいチーン

 

それでも、体外受精で授かった念願の第一子なうえに、周りに頼れる人もおらず、夫は多忙で頼れるか不明なので、少しでも評判の良いところで産もう!と決めたからには、助産師さんに甘えられるだけ甘えて、無事に乗り越えたいと思います赤薔薇

 

面談では、

●赤ちゃん用の洗濯洗剤、食器用洗剤なんていらないよ~大人と一緒でいいよ~。買っちゃった?あちゃ~。買い足しは不要だよ!

●初産は本陣痛が始まってから10時間くらいかかるから、旦那さんに立ち会うつもりがあるなら、一人での出産にはならないから大丈夫!

●37週超えるとよく散歩しろって言われるけど、熱中症の方が危険だし、お腹大きいのに無理して散歩することないよ~。家の中でうろうろしたり、段差を上がったり下がったりするだけでいいよ。とにかく安全第一で、その上で出来ることを探そうか!

●昼夜逆転?お昼寝出来るなら大丈夫。赤ちゃんは生まれたら夜の方が元気だから、ちょうどいいんじゃない?規則正しい生活ばかりにとらわれず、無理せず自分に合うことをすればいいよ。

●陣痛が始まって破水していなくて余裕があれば、湯船に浸かるといいよ。

という話がありましたグラサン雑誌や本や先輩ママの話を聞いて色んなものを揃えたけれど、そんなに買わなくてもよかったかな…という気になりました。だって、助産師さんがそんな感じということは、入院中の赤ちゃんの哺乳瓶や肌着はそこまで気にされてないということ。

 

うん!!気持ちはゆる~く、頑張ろう口笛

現在、妊娠36週目

 

不妊治療が辛いことは聞いたことがありました。

つわりがしんどいことも聞いたことがありました。

妊娠中のトラブル(初期流産など)が怖いことも知っていました。

出産が大変なことは…言わずとも。

 

でも、臨月がこんなにしんどいとは聞いたことがなかったので驚いている最中ですえーん

 

①普段、仰向けで寝る私。大きくなったお腹が重くて苦しくて横向きで寝るにしても寝にくいえーん抱き枕を買ったものの効果があまりありませんでしたチーン

 

②安定期までは夫の帰りが遅くて自然と昼夜逆転になっていても昼間にちゃんと寝れたのに、後期に入って段々と眠れなくなって辛いチーン頭痛はするし、疲労は溜まっているのに、寝たいのに寝れない苦しさがあります真顔横になると①で苦しいので、眠たくなるギリギリまでリビングでDVDを見て過ごし、寝れる!!となってからベッドインチーン

 

③で、やっと寝れてもトイレで2~3時間に1度は起きてしまいますチーントイレに行っている間にまた目が冴えてしまい、なかなか眠れず…つらっガーン

 

④そして、完全なる運動不足ですショック36週まで安静と言われていたので体力が激減しているうえに、①~③のような状況なので、日中に散歩する気力が起きず、安静の間に出来なかった家事や色んな準備をしていると明らかな運動不足になり…運動したい!!でも、貧血気味だから途中で気分が悪くなったらどうしよう…と思うと、なかなかえーんベランダで光合成するのがやっとです。こんなときに一緒に散歩してくれる人がいればなぁ…と心から思いますえーん

 

⑤常に胃が苦しくて吐きそうですゲローでも、お腹はすくので、産婦人科の先生からのアドバイスで少量ずつ食べるようにはしているのですが、それでもやっぱり胃が気持ち悪いチーン横になると余計に苦しく吐きそうになるので、消化によさそうなうどん等ばかり食べてます。栄養偏ってますガーンつわりよりは断然マシですが、軽いつわりな感じがしてます汗

 

⑥身体のあちこちが痛み始めましたチーンよく聞く腰痛はないのですが、座骨や恥骨、股関節など「いたたたたっ」となります汗

 

⑦浮腫みが酷くなってきましたチーンなんとか運動したり、土日に夫と買い物に行った夜は、足が浮腫んで寝づらく、こむら返りを起こしたり…あせる

湯船に浸かってマッサージしたりするものの、やっぱり浮腫みます汗着圧ソックスで少し緩和しましたが、これを履くと慣れてないからまた寝づらいんだよなぁ…汗

 

⑧とにかく暑い!!夫とクイーンベッドで(掛け布団は別)寝ているのですが、段々と蒸し暑く(湿度の高い地域に住んでいることもあり)なってきて、まだ早いけれどエアコンの除湿や冷房をかけていると、夫は「寒い!!」と言うので、暑いなぁ…と思いながら我慢して寝ていますチーン

 

⑨多分、⑧の寝づらい原因は気温もあるけど、湿度が高いことによる息苦しさなのでは!?と思っています。とにかく、呼吸がしづらいチーン窓を開けて寝たいけど、夫はまだ寒がるし、雨の日は開けられないし、不用心でもあるので、なかなか汗

 

と、色んな臨月の苦しみがあることがわかり、ネットで調べたら私の症状と同じようなことが書いてありましたあせる便秘や下痢を起こしやすくなる人もいるようなので、私はまだマシなのかしら目

 

臨月の妊婦さんと会う機会は少なく、出産や生まれてからの方が大変だと思うので、きっと臨月の苦しみを耳にしたことがなかったのかな?と思います。

 

ただ、このままでは体力不足で出産を乗り越えられるかとても不安なので、とりあえず明日からはしんどくてもなんとか日中に散歩に行きたいと思いますグッド!あと少しの辛抱あせる頑張ろう!!

気付けば妊娠36週になり、今日から臨月に入りますクローバー

 

32週に少量出血(卵膜が擦れて)があり、赤ちゃんや母体には大きな問題はなかったものの、切迫早産と診断されえーん

自宅安静が約2週間続き、34週で安静解除されたものの、36週までは自宅でゆっくり過ごした方が良いと医師に言われ、のんびり過ごしておりました照れ

 

34週を超えれば障害を持って生まれる可能性は低くなり、36週を超えれば未熟児の可能性が低くなり、37週を超えればいつ生まれても問題なくなるそうです。

 

自由に出歩けないストレスは少しあったけれど、たった数週間の我慢で赤ちゃんのこの先何十年の健康が手に入るなら…!!と思って、最低限の家事だけこなし、大人しくしておりました。夫の帰りは相変わらず遅くて、特に話し相手もおらず(友達や家族に時々電話するくらい)、「孤独はタバコよりも身体に悪い」と言う意味が身に染みてわかった気がします。

 

そして、今日。遂に晴れて36週となり、赤ちゃんは推定体重2800gといつ生まれても良いくらい大きくなり、今日からは逆に積極的に歩いた方がよいとの指示を頂きましたえーんやったー!!

 

妊娠してから今日まで…色んなことがありました。長かったような短かったような…。

でも!!最終関門の「出産」がまだ残っています目未知の世界なので不安もありますが、何とか乗り越えたいと思いますチュー

悲しい話ばかりでごめんなさい。自己満足で備忘録として書いています。

 

金曜日に亡くなり、土曜日にお通夜、日曜日にお葬式の予定が決まり、みんなに迷惑がかかりにくいタイミングで息を引き取るところが母らしいな、と感じました。

 

母の眠っている顔を見ながら、癌(癌の種類、症状、進行具合によるとは思いますが)は少しずつ身体を蝕み、時間をかけてお別れが出来るので、心の準備はどこかで出来ていました。でも、悲しいものは悲しい。でも、まだ受け入れられない。そんな心境でした。

辛い闘病生活を乗り越えて、宣告された余命より長く生き抜いた母に尊敬の念を込めて「お疲れ様。ありがとう。」と言い、その日は夫と近くのホテルに外泊しました。(実家はバタバタしていて泊まれる状況ではなかったので)

 

次の日、葬儀屋さんが母を迎えに来て、母の大好きだった家とお別れしました。

母がいなくなった実家は、なんだか違う家のようで、母は家を守っていたんだなと心から感じました。

葬儀会場に着き、湯灌に立ち会いました。

顔だけはふっくらとしていたからわからなかったのですが、ガリガリになった母の身体を見て、改めて「頑張ったね…」と感じました。洗っているとき、腕が力なくブランと落ちる姿を見て、少しずつ母が本当に亡くなったことを実感していきました。

人の死ほど悲しいものはありません。心からそう思います。

 

お通夜に参列するため親戚や父母の友人等が続々と到着し、みんなが泣きじゃくり「いい人だったのに…」「本当に大好きなおばちゃんだった」と言ってもらえる母を誇らしく思い、早すぎる死を一緒に悲しんでもらうことで少し心が救われた気がします。お通夜とかお葬式とか大変だけど、人に会って声をかけてもらって忙しなく動いている方が家族みんなの気が紛れます。こういった儀式や法事は、きっと遺された者のためにあるのではないかな…と感じました。

 

お通夜が無事に終わり、親族室で休憩していたらアメリカから急いで帰ってきた兄が到着しました。

兄も妹も泣きじゃくることなく、母の死をただただ受け入れ、悲しみと向き合っているようでした。

 

お葬式の日、いよいよ母とお別れのとき、お棺にお花を添えるとき、心から悲しいのになぜだか私は泣けなくて。昔から「人前で泣いてはダメ。情けない。しっかりしなきゃ。」と無意識に思う癖があり、あまり上手く泣けません。こんな時でも理性が働く自分に嫌気がします。しかし、ふと隣を見ると泣きじゃくる夫の姿が。私の分まで涙を流してくれる姿を見て、深い息が出来ました。どれだけ悲しいのかなんてその人にしかわからなくて、たくさん泣いたから一番悲しいというわけでもなくて、人それぞれの悲しみ方があるのだから。

 

すべてが終わって自宅に戻り、眠る前、涙が止まらなくなりました。張りつめていたものが解けて、母との思い出が走馬灯のようによみがえり、母の愛や優しさや強さが、心に響いて鳴りやまないような感覚でした。その後も、しばらく夜はうまく眠れなくなり、毎日のように母の夢を見ました。夢の中の母は何も言わず、いつも世界を愛おしそうに眺め、微笑んでいます。

 

四十九日が終わり、落ち着いた頃、夢に出てくる母の笑顔に勇気をもらい、体外受精にステップアップすることに決めました。

そして、無事に妊娠した頃、それまでほぼ毎日夢に現れていた母が突然出てこなくなりました。きっと気のせいだろうけど、お腹のこの赤ちゃんは母の生まれ変わりなのではないかと思っています。後日、女の子と判明し、余計にそんな気がしています。

 

今でも、ふと母を思い出しては急に涙がでます。亡くなってすぐの頃は、夫と喫茶店でお茶をしているときに突然泣き出してしまうこともありました。(夫の前だけ素直に泣けます)

 

でも、母は確実に私の心の中にいます。悲しいとき思い出すのは母の言葉。母ならどうしていただろう、母なら許していたかな、と嬉しいときも悲しいときも困ったときも、母との記憶が私を救ってくれます。天然ボケだったけれど、何も出来ない母だったけれど、無償の愛でいつも周囲を笑顔にし、自分が犠牲になっても他人を思いやれる素晴らしい人でした。

 

母と同じようにはなれないけれど、母にもらったたくさんの愛を次はお腹にいるこの赤ちゃんに伝えていきたいな。そうやって命は繋がって、母の想いがいつか大きなやさしさとなって世界に溶け込んでくれたらと思います。それが出来るのは母の想いを受け継いだ私たち兄妹だけ。強く、優しく、穏やかに、母の分まで生きていきたい。

母の最期を文章にすると涙が止まらなくなるため、安定期に入るまで書くことを控えていました。

今週末に母の一回忌があるので、約半年ぶりに続きを書こうと思います。

 

昨年の2月頃でした。母が自宅で終末医療を受けることになり、父は毎日慣れない介護に奮闘していました。

年末年始に私が帰省したときは四つん這いで歩行し、食べる量は少しだけど外食も出来ていた母だったけれど、2月にはほぼ寝たきり状態になっていました。よく考えると、その数か月前までは普通に歩けていたのに…最初に医師が「癌が悪くなる時は坂道を転げ落ちるように悪くなる。それまでは普通の生活が出来る。」と言っていたことをふと思い出しました。

 

私は、余命1年の宣告を超えても生きていた母を見て、母は癌で闘病していても、闘病しながら長生きしてくれるのではないかな、と心のどこかで癌を甘くとらえていました。でも、2月に会ったときの弱り方を見て、「え!?いつの間に!?」と思うと同時に「あぁ…遂にきたか」と感じたことを覚えています。

 

でも、辛い抗癌剤治療から緩和ケアに変えたことで、母は母の好きな家で穏やかに余生を過ごしていました。話せる内容は減ってきていたけれど、話す内容はいつも家族の心配ばかり。前年の11~12月頃は脳に癌が転移していることを医者が見落として、頭痛と嘔吐で生きていること自体が辛そうだったので、自宅で過ごす最後の数ヵ月間は、母にとって幸せなものだったのではないかと感じます。

 

母が亡くなる一週間前、私は不妊治療中に見つかった子宮内膜ポリープの手術を(夫が多忙のため)一人で受けることになっていました。簡単な手術とはいえ、人生で初めての全身麻酔と手術が怖くて母に話したら「わたし…ついていこうか?おとうさんにきいてみる。」と真剣に言っていました。母は強し。術後、1週間後に経過を見て、ポリープの病理検査の結果を聞いて、問題なければ帰省しようと考えていました。

 

その頃の父は、仕事をしながら自宅で介護をし始めて1ヵ月以上が経過し、段々と疲れが溜まり、顔に疲労が見えてきました。家を空けられないので、私が郵送したレトルト食品や冷凍食品等しか食べず、栄養も足りていなかったのではないかと思います。父まで倒れてしまわないかと内心ハラハラしながら、何も出来ない自分に腹が立ちました。妹は自分のことを自分でするのが精一杯のようでした。甘やかして育てた母のせいだね(笑)

 

母が亡くなる前日、LINEで会話をしましたがやはり家族の心配ばかりしていて、家族の話をして「また明日ね」と言って終わりました。穏やかに笑う母の顔が今も脳裏に焼き付いています。

 

そして3月下旬の朝、父から「危篤です。あと数時間しかもたないかも。」と電話があり、「産婦人科に聞いてOKが出たらすぐ帰る」と言って電話を切った矢先、妹から着信があり「あぁ…多分…」と感じながら電話を取ると、「お母さん、亡くなったよ」と聞き、まだ信じられない冷静な自分がいて「わかった。今日中には帰るから。」と淡々と段取りを話したような気がします。

 

そして、会社に行ったばかりの夫に電話して、すぐに帰ってきてもらい、産婦人科に行って術後の経過や検査結果にに問題がないことを確認して、急いで夫と新幹線に乗り、帰省しました。なぜか、その道中のことをあまり詳しく思い出せません。

 

自宅に着くと、庭にはお線香の香りが充満していて、急に現実に返りました。実家の裏口を開けると、介護ベッドの上で横たわる母がいて、穏やかに眠っています。今にも起きそうな顔で。

 

亡くなったときのことを父に聞くと「早朝、急に水のような排便をしたので看護師を呼んだところ、危篤だと言われ、医師が来て、近くの親戚が駆け付けてくれた。息が苦しそうだったけど、少しましになったので医師と看護師は一度病院に戻った。深く深く息をしていた。落ち着いたなと思って、親戚と隣の部屋でお茶を飲んでいたとき、妹が『あれ?お母さん息してなくない?』と言ったときには、既に息を引き取っていた。」とのことでした。みんなの声を聞きながら、慣れ親しんだ家で眠るように亡くなったのだと思うと、最期は苦しまずに逝けてよかったと心から思いました。