理想の間取りは?

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ものすごくでかい収納スペース+1部屋寝室+書斎にする部屋と広いリビング。
でも広い部屋だと、今年の夏くらいの猛暑だとエアコンが効きが悪くて、効率が悪いので暑い時はほぼ使っていない和室6畳を締め切ってエアコン使ってしのいでいました。
 
今日は、新幹線が広島から先の博多まで運転見合わせになっていることに気づき、今日、博多座の日だったら、号泣ものだったなあ…と。私は広島の用事で良かったけど、博多行きが「広島どまりになる」という車内放送。駅もテレビ局や旅行の方たちでごったがえしていた。帰りには数分遅れで復旧していたけれど、連休最終日、辛い思いをした人も多かったことでしょう。
 
宮城県の小さな港町。耳のきこえない両親のもとで愛情を受けて育った五十嵐大にとって、幼い頃は母の“通訳”をすることもふつうの日常だった。しかし成長するとともに、周囲から特別視されることに戸惑いやいら立ちを感じるようになり、母の明るさすら疎ましくなっていく。複雑な心情を持て余したまま20歳になった大は逃げるように上京し、誰も自分の生い立ちを知らない大都会でアルバイト生活を始めるが……。
 
感想、ネタバレあり
 

予告編をみて、すごく気になって見に行ったのですが、素晴らしく、良かったです。

コーダの物語だと、こっちも特別な気持ちで見始めていたけれど、別に普通の親子関係と何ら変わりない、と最終的に思った。

自然に、親離れして、親の気持ちがわかるという、青年の成長を描いた物語でした。

吉沢亮さんの子供時代は赤ちゃんも幼児も児童も完璧に、吉沢亮顔で、すっと一緒に成長見届ける、そして、中学時代を演じる吉沢亮の顔が本当に反抗期で、かわいい、憎たらしい。

東京に出てアルバイト生活に入り、親以外の聾の人々と交流していく過程で、聾のほぼ同世代の女性たちと食事に行って、みんなの注文を取りまとめ、店員さんに注文したりする吉沢君に、聾の一人の女性が「ありがとう、でも私たちのできることは、自分たちでさせてほしいの」と伝えられるシーンで、ちょっと私涙腺緩んだ。特別な気持ちで見てるわけではないけど、そういうことなんだよなあ。

久しぶりの8年ぶりの帰省で、8年前の東京行くときの自分と母のシーンを回顧し、いろんな母の表情を思い出して、泣きむせぶ吉沢亮の顔が尊い、さっそく見終わったあとに…親孝行しよう、といそいそ、おいしいものを買い込んで実家で今日はご飯を食べました。

聾の両親に縛られて、自分がかわいそうな子と思われているから飛び出したい、と本人は思っていたけれど、両親からもらったものはたくさんあった、ということに自分で気づけたというの、別に聾うんぬんじゃない親子関係でも、あるよなあ…と、私は共通するものを感じてしみじみ刺さりました。

 

とにかく吉沢亮と吉沢亮似の男前子役の顔を眺め続ける2時間は、なかなか、眼福な時間、というミーハーな気持ちでもありましたが、いい映画みた!という気持ちになりました。