本日、日帰りで東京へ。行きの富士山。

帰りの富士山。

めっちゃ明るいうちの日帰りで、東京滞在時間3時間でしたが、行って帰ってきました。
先日、NHKの番組で、道徳が必修科目になって、本来、すっきり正解のないものを授業として、概念を教えるということの難しさを描いていました。
この作品も何が正解、これを伝えたいという押しつけがましさもなく、その人それぞれがエピソードから感じるものを受け取る、ということでいいんでしょう。感想書きづらい。本来、こういう解釈系のものを小難しく考え、読書感想文のようにかくことは好きな方なんですけれど、このところ、演劇脳ではないので、漠然と海宝君を愛でる、って感じで観てました。多分、演劇脳状態なら何回かみてたくさん考えたと思うんですけれど…ということで感想、いつもよりさらに薄い。公演終了したので内容は触れています。

シブゲキは、渋谷駅からもほど近く、たどり着きやすかったです。
座席の前後の距離が近く、ちょうど通路脇だったので、助かりました。
D列センターブロック。
作:ジョン・パトリック・シャンリィ
演出:吉原光夫
出演:
海宝直人
宮澤エマ
西川大貴
吉田沙良
中村翼
畠中洋
1つ目のエピソード。私、ネクタイを締める姿の男性を観るのが好きなんで、ネクタイ締めるために襟をきゅっと上げるところから、大注目。16-17歳の高校生の恋バナ、とはいえ、エマちゃんに「君の家の周りをいつも歩いてる」とか、海宝君じゃなかったら気持ち悪すぎる、重い男子。エマちゃんの赤いコートのことなど、エマちゃんのことを「すごく分かっている」エマちゃんも「わかってくれる人が誰もいなかったから、うれしい」と心を通わせる様はなかなか恋バナ嫌いな私にしては真剣にみました。二人が並んで、海宝君が、エマちゃんのほうを向いてしゃべる顔が私にとってはほぼ真正面ライン上だったので、眼福ではありました。
2つ目のエピソード。貧しくて、飢えている二人のカップル。詩人役の西川くんが演技が上手いなあ、と思ったのと、ちょっとしか出てこないけれど畠中さんの役が不気味で、怖い。鉛筆がまだ届かないとか、やはり、この人、いろいろ、時代のせいみたいにいってるけど。才能がなくて売れないのかなあ…とか考えていたら次のエピソードが始まってしまった。その時の切り替わり方の演出がかっこいいなあ、と思っていたら
3つ目のエピソード。眼鏡でさえない姿の海宝君と周りにまとわりつく何か。人形とテーブルに座っているエマちゃん。エマちゃんは孤独であることを認めたくなくて、別に一緒にいたくもない友達といることにむなしさを感じていて、海宝君も孤独、海宝君にまとわりついていたものは、真剣な話の時には姿を消す、ってことは、ちゃんと一対一で孤独な自分なり、自分を本当に理解してくれようとする人とちゃんと向き合おうとすれば、良いってことかな…孤独な二人が真剣な話をして分かり合えるなら良かった。
4つ目、両親や家族に強く束縛されている少女が、カウボーイに恋をする、そのカウボーイに兄を殺された、と登場するガンマン、海宝くん。イケボでかっこいい登場なのでついつい見入ってしまいます。これも少女が勝手に、西川くんえんずるカウボーイを勝手に美化して、わかったつもりになっているのにちょっとイラっとしつつも、えー、海宝君死んじゃうの、少女死ぬの?
5つ目、人魚に恋をする青年海宝君。ニット帽、似合う?カウボーイハットのほうが似合ってたけれど、恋をする気持ちを親友・西川君にわかってもらえない。昔は分かり合えていたのに。実体のないかもしれないものを恋するというのも切ないもんだなあ、と。
6つ目、30歳すぎて、故郷に戻ってきた海宝君。妻との関係が危うく、自分自身、17歳の時の恋を忘れられないで、オイオイ泣くのが結構かわいい。ニット帽取ったあとの髪の毛束がピュッとなっているのもかわいい。自殺企図のある昔の仲間の一人、西川君(男友達への恋心隠しているので、海宝君の気持ちがわかる)と、恋する相手の男友達と、海宝君の昔の彼女が来るまで、バタバタと間抜けな自殺方法をたくらむのも面白い。畠中さんのバーテンがいい味出してました。
分かってもらえる、分かり合えるとか、そういうことにやすらぎを覚えたり、わかってもらえないことに孤独を感じたり、昔に比べると、SNS系統のツールでそういう承認欲求満たされやすいけれど、結局孤独なもんは孤独だもんなあ…でも、とりあえず、生きてくんだな、という感想しか書けない。
ですが、いろいろな海宝君が観れた、ということは大きな収穫でした。で、お芝居の上手さも満足。西川君と畠中さんは本当にお芝居もお上手で、ミュージカルじゃない作品、久しぶりにみたなあ、って感じ。

帰りの富士山。

めっちゃ明るいうちの日帰りで、東京滞在時間3時間でしたが、行って帰ってきました。
先日、NHKの番組で、道徳が必修科目になって、本来、すっきり正解のないものを授業として、概念を教えるということの難しさを描いていました。
この作品も何が正解、これを伝えたいという押しつけがましさもなく、その人それぞれがエピソードから感じるものを受け取る、ということでいいんでしょう。感想書きづらい。本来、こういう解釈系のものを小難しく考え、読書感想文のようにかくことは好きな方なんですけれど、このところ、演劇脳ではないので、漠然と海宝君を愛でる、って感じで観てました。多分、演劇脳状態なら何回かみてたくさん考えたと思うんですけれど…ということで感想、いつもよりさらに薄い。公演終了したので内容は触れています。

シブゲキは、渋谷駅からもほど近く、たどり着きやすかったです。
座席の前後の距離が近く、ちょうど通路脇だったので、助かりました。
D列センターブロック。
作:ジョン・パトリック・シャンリィ
演出:吉原光夫
出演:
海宝直人
宮澤エマ
西川大貴
吉田沙良
中村翼
畠中洋
1つ目のエピソード。私、ネクタイを締める姿の男性を観るのが好きなんで、ネクタイ締めるために襟をきゅっと上げるところから、大注目。16-17歳の高校生の恋バナ、とはいえ、エマちゃんに「君の家の周りをいつも歩いてる」とか、海宝君じゃなかったら気持ち悪すぎる、重い男子。エマちゃんの赤いコートのことなど、エマちゃんのことを「すごく分かっている」エマちゃんも「わかってくれる人が誰もいなかったから、うれしい」と心を通わせる様はなかなか恋バナ嫌いな私にしては真剣にみました。二人が並んで、海宝君が、エマちゃんのほうを向いてしゃべる顔が私にとってはほぼ真正面ライン上だったので、眼福ではありました。
2つ目のエピソード。貧しくて、飢えている二人のカップル。詩人役の西川くんが演技が上手いなあ、と思ったのと、ちょっとしか出てこないけれど畠中さんの役が不気味で、怖い。鉛筆がまだ届かないとか、やはり、この人、いろいろ、時代のせいみたいにいってるけど。才能がなくて売れないのかなあ…とか考えていたら次のエピソードが始まってしまった。その時の切り替わり方の演出がかっこいいなあ、と思っていたら
3つ目のエピソード。眼鏡でさえない姿の海宝君と周りにまとわりつく何か。人形とテーブルに座っているエマちゃん。エマちゃんは孤独であることを認めたくなくて、別に一緒にいたくもない友達といることにむなしさを感じていて、海宝君も孤独、海宝君にまとわりついていたものは、真剣な話の時には姿を消す、ってことは、ちゃんと一対一で孤独な自分なり、自分を本当に理解してくれようとする人とちゃんと向き合おうとすれば、良いってことかな…孤独な二人が真剣な話をして分かり合えるなら良かった。
4つ目、両親や家族に強く束縛されている少女が、カウボーイに恋をする、そのカウボーイに兄を殺された、と登場するガンマン、海宝くん。イケボでかっこいい登場なのでついつい見入ってしまいます。これも少女が勝手に、西川くんえんずるカウボーイを勝手に美化して、わかったつもりになっているのにちょっとイラっとしつつも、えー、海宝君死んじゃうの、少女死ぬの?
5つ目、人魚に恋をする青年海宝君。ニット帽、似合う?カウボーイハットのほうが似合ってたけれど、恋をする気持ちを親友・西川君にわかってもらえない。昔は分かり合えていたのに。実体のないかもしれないものを恋するというのも切ないもんだなあ、と。
6つ目、30歳すぎて、故郷に戻ってきた海宝君。妻との関係が危うく、自分自身、17歳の時の恋を忘れられないで、オイオイ泣くのが結構かわいい。ニット帽取ったあとの髪の毛束がピュッとなっているのもかわいい。自殺企図のある昔の仲間の一人、西川君(男友達への恋心隠しているので、海宝君の気持ちがわかる)と、恋する相手の男友達と、海宝君の昔の彼女が来るまで、バタバタと間抜けな自殺方法をたくらむのも面白い。畠中さんのバーテンがいい味出してました。
分かってもらえる、分かり合えるとか、そういうことにやすらぎを覚えたり、わかってもらえないことに孤独を感じたり、昔に比べると、SNS系統のツールでそういう承認欲求満たされやすいけれど、結局孤独なもんは孤独だもんなあ…でも、とりあえず、生きてくんだな、という感想しか書けない。
ですが、いろいろな海宝君が観れた、ということは大きな収穫でした。で、お芝居の上手さも満足。西川君と畠中さんは本当にお芝居もお上手で、ミュージカルじゃない作品、久しぶりにみたなあ、って感じ。