9月18日、ノートルダムの鐘を。
朝のキャストチェックで安心し、台風一過もしてて、無事にたどり着きました。

海宝君のお芝居を観るのが好きだけれど、それは、観終わったあとに、作品から与えられるもの、伝えられるもの、心に残るものが多いからだと思っています。観劇自体、娯楽ではあるけれど、私としては、楽しむだけではなく、いろいろ考えることが好きなので。
マリウスも素晴らしく、はまったきっかけはそれなんだけれども、カジモドの海宝君が好きなんだなあ、としみじみ。レミゼラブルのほうは、次はムリでも、どうぞいつの日かジャンバルジャンの人生を生きて、見せてほしいなあ、と思います。
以下、感想というか独り言、覚書。もう、いまさらですが、内容、ラストへを含むため、画像で間を空けます。
長いです。

毎回、必ず、泣くポイントが
「エスメラルダの亡骸を横たえているときに、女性3枠の人が少し歩み寄ってくるのをカジモドが全身をこわばらせてかぶさりかばおうとする⇒順に顔に墨を塗り、体をゆがめていく⇒女性1枠のいつか、が流れて、天を仰ぎ、ふっとゆるんだような後ろ姿になる」
ここなのですが、いまさらながら、ここになぜ、泣けてしまうのか。
人間と怪物の違いを「どこに違いがあるのだろう?」と考えていて、なかなかまとまらないでいたのですが、
ここ2回、観てようやく私の中でまとまりました。
怪物は、いろんな意味合いがあって、私は思ったのは二つ。
まず一つ、「自分にとって不都合なもの=敵」といった全般的なものなんだなあ、と。
普通の姿をしている者にとって、見た目が怪物のカジモドは「町に飛び出して、舞台に上がった瞬間」に、市民たちに「怪物」と思われた。
街に飛び出す前のカジモドは、ずっとフロローと一対一の世界だったので、「醜いから出ていくな」「嫌われる」ということは言いつけとして知っていたけれども、
塔に閉じこもっている間は、市民の人々がたぶん、
「あそこの子はね~」と疎まれていることはあったにしても、面と向かって、憎悪をぶつけられることはなかったはず。それがフロローがしっかり守っていた、ということなんだけれど、子供が小さいころ、家族の中で、守られて、世間のいろんな人と接触することで経験することを一気に、免疫もない状態で、ああして舞台上にスポットライトを浴びてしまうと、叩かれてしまう。ツイッターで炎上、みたいな。
人前に出ること、その際に、多くの人に傷つけられたカジモドが、フロローには縋りつくのに、鐘つき堂に連れていくフィーバスには結構な態度をとるのもカジモドにとってはフィーバスが怪物に見えちゃったんだなと。
エスメラルダは自分の世界に入ってきてくれたから、怪物、敵ではない。
そんなエスメラルダを職務上、
「金貨四枚!」と号令をかけてつかまえようとしているフィーバスを上から憎々し気に観ているカジモドにしてみれば二幕冒頭、エスメラルダがフィーバスを連れてくる瞬間も、「怪物」認定なので、すごく、切れているわけですが、エスメラルダを助けたい、という気持ちに従うと、フィーバスは目的を同じにする、味方なので、友情が芽生えていく。フロローにも生まれて初めての嘘をつける。ここ、自分の意志が生まれているんだなあ、と。
フィーバスがエスメラルダに「ついていく」といったときの反応も初めのころは怒っているようだったのに、だんだん、その言葉に諦めを感じているようで、外の世界で生きていく、飛び出すことはできない自分に気づいた上に、フロローにカマをかけられて奇跡御殿まで見つけられたことで絶望。ジプシーたちが仲間同士で旅立とう、というのを上で観ているときから、自分は一人、というどうしようもすることもできない孤独。石と対話するだけ、自分の世界に閉じこもったまま(たぶん自分に都合のいい情報だけネット収集してるような感じでしょうか)、あの日外に出ずにいたら、「自分が一人である」ということにも気づかずに、「傷つくこともなかったのに」と、出ていったのは自分が決めたことなのに、石へ八つ当たりのように怒りをこめて、の『石になろう』もすさまじい、負のパワーでした。
でもやはり、石に背中を押されているようで、結局、自分で決めて、エスメラルダ奪還に飛び出すカジモド。はやし立てる市民を観ていたわけだから、助けるということには手段を択ばず、鉛をひっくり返す。エスメラルダの命を奪ったフロローは、敵なので、手をかける。でも、育ててくれた人、手段は間違っているけれど、「守られて、聖域」と信じ込まされていた世界から飛び出した瞬間が、子供が家族から巣立つ感じにも見えるのが、一瞬の投げ飛ばすときの苦悩の表情。
「怪物=殺人鬼」ではないように、感じられます。
泣き方が何とも言えず、悲痛で、愛した女性が愛した人だからとフィーバスの頭をなでるカジモドが、成長しきった感じです。
で、一番涙腺刺激される、女性三枠から庇うところ、市民から見れば、カジモドは怪物=異物、敵、だけれども、カジモドから見れば、エスメラルダを傷つけようと囃したかもしれない人は、敵、と体をこわばらせて守っていたのが、カジモドも他人のことを怪物、と思っているということからの、あっちから見ればこっちが怪物、という、
「自分に都合が悪いもの」が怪物、という、私が感じる怪物というテーマにしっくり。
二つ目。
怪物は「自分の意のままにならないもの」。
フロローにとっては自分の意のままにならないものは、自分のままに愛してくれないエスメラルダだったり、徳の高い男でいるはずなのに、感じる情欲とか。
エスメラルダにとっては、自分が好きでもないのに迫ってくるフロロー。
祭りの場でのカジモドは、注目浴びてチヤホヤされていることが市民たちには気に入らないんでしょうし。
そんな、意のままにならないものをどうにかしようと手段を択ばない人はやはり怪物なんだろうなあ。
ところで、そういう意味で行くと子供って、怪物、だと思います。自分の意のままにならなければ、なくし、喚くし、なかなかなもので。しかし、こっちが大人なので、「仕方ないなあ」と思ってもらえる、守ってあげないといけない対象だと思う。
フロローにとって、カジモドは障害もあり、守るべき存在だったのに、いつの間にか、自分を拒絶したエスメラルダから、親切にしてもらっていて、ちょっと越されていく感じがあったんだろうなあ、と世界の頂上でのあとのシーンで思います。
子供のままでいてくれたら、塔に閉じ込めて、変なこと言ったら、ちょっと語気強く言えば、言うこと聞いてたカジモドですが、ちょっとづつ、成長して自分の意のままにならなくなっていることを感じているフロロー。
聖職者だからみんな、ほぼ言うこと聞いてくれる、世界=聖域で生きてきたのに、意のままにならないものがたくさん出てきて、フロローも混乱してしまったんだろう、と思います。だからフロローも神父様に守られたままの子供だったんでしょう。
ジェアンみたいに、こっそり酒飲んだり、女性遊びしたりしつつ、適度に世慣れして、聖職者になればポッキリ折れたりしなかったんだろうけれど(戒律的にはダメですが)、
鐘を鉛でチョコチョコ修復しながら、鳴らし続けたように、少しづつ、傷ついて、成長していったらいい聖職者になったんでしょうけれど。
そんなことを考えると、フロローものすごい悪人ではなくて、カジモドもただの幼いい子ではなくていてくれた方が物語にものすごく深みが増すように、個人的には思いますので、大満足キャストでした。
歌の強さでいくと芝フロローかな、と思うけど、芝フロローは実は…こっそり…遊んでますとかありそう(イメージです)で真面目一徹感の野中フロローは好ましく。
カジモドは私見ですが、幼子感は達郎カジモド(歌は好き。ただ人物像がアニメのカジモドのような小さい子にも受け入れられるハッピーエンドならぴったりと思う)、田中カジモドは青年感強め(すでに葛藤感が少なそう)、という個人的感想です。
横浜はちょっと遠い。四月から忙しいから無理だろうなあとうすうす思っているので
ということで、私のノートルダムの鐘はいったん終了です。
ただ、本当に今回、気持ちに整理がつく、素晴らしいカジモドでした。
カジモド 海宝直人
フロロー 野中万寿夫
エスメラルダ 宮田 愛
フィーバス 佐久間 仁
クロパン 吉賀陶馬ワイス
【男性アンサンブル】
野村数幾
山田充人
大空卓鵬
小出敏英
中橋耕平
金本和起
佐藤圭一
吉田功太郎
【女性アンサンブル】
小川晃世
大森真理
吉田絢香
原田真理
【男性クワイヤ(聖歌隊)】
白山博基
柳 隆幸
山下泰明
日浦眞矩
澤村楽人
新井 克
河野陽介
井上隆司
【女性クワイヤ(聖歌隊)】
遠山美樹
片山美唯
青栁歌奈
潮﨑亜耶
織笠里佳子
北野有希依
秋山知子
杉山由衣
朝のキャストチェックで安心し、台風一過もしてて、無事にたどり着きました。

海宝君のお芝居を観るのが好きだけれど、それは、観終わったあとに、作品から与えられるもの、伝えられるもの、心に残るものが多いからだと思っています。観劇自体、娯楽ではあるけれど、私としては、楽しむだけではなく、いろいろ考えることが好きなので。
マリウスも素晴らしく、はまったきっかけはそれなんだけれども、カジモドの海宝君が好きなんだなあ、としみじみ。レミゼラブルのほうは、次はムリでも、どうぞいつの日かジャンバルジャンの人生を生きて、見せてほしいなあ、と思います。
以下、感想というか独り言、覚書。もう、いまさらですが、内容、ラストへを含むため、画像で間を空けます。
長いです。

毎回、必ず、泣くポイントが
「エスメラルダの亡骸を横たえているときに、女性3枠の人が少し歩み寄ってくるのをカジモドが全身をこわばらせてかぶさりかばおうとする⇒順に顔に墨を塗り、体をゆがめていく⇒女性1枠のいつか、が流れて、天を仰ぎ、ふっとゆるんだような後ろ姿になる」
ここなのですが、いまさらながら、ここになぜ、泣けてしまうのか。
人間と怪物の違いを「どこに違いがあるのだろう?」と考えていて、なかなかまとまらないでいたのですが、
ここ2回、観てようやく私の中でまとまりました。
怪物は、いろんな意味合いがあって、私は思ったのは二つ。
まず一つ、「自分にとって不都合なもの=敵」といった全般的なものなんだなあ、と。
普通の姿をしている者にとって、見た目が怪物のカジモドは「町に飛び出して、舞台に上がった瞬間」に、市民たちに「怪物」と思われた。
街に飛び出す前のカジモドは、ずっとフロローと一対一の世界だったので、「醜いから出ていくな」「嫌われる」ということは言いつけとして知っていたけれども、
塔に閉じこもっている間は、市民の人々がたぶん、
「あそこの子はね~」と疎まれていることはあったにしても、面と向かって、憎悪をぶつけられることはなかったはず。それがフロローがしっかり守っていた、ということなんだけれど、子供が小さいころ、家族の中で、守られて、世間のいろんな人と接触することで経験することを一気に、免疫もない状態で、ああして舞台上にスポットライトを浴びてしまうと、叩かれてしまう。ツイッターで炎上、みたいな。
人前に出ること、その際に、多くの人に傷つけられたカジモドが、フロローには縋りつくのに、鐘つき堂に連れていくフィーバスには結構な態度をとるのもカジモドにとってはフィーバスが怪物に見えちゃったんだなと。
エスメラルダは自分の世界に入ってきてくれたから、怪物、敵ではない。
そんなエスメラルダを職務上、
「金貨四枚!」と号令をかけてつかまえようとしているフィーバスを上から憎々し気に観ているカジモドにしてみれば二幕冒頭、エスメラルダがフィーバスを連れてくる瞬間も、「怪物」認定なので、すごく、切れているわけですが、エスメラルダを助けたい、という気持ちに従うと、フィーバスは目的を同じにする、味方なので、友情が芽生えていく。フロローにも生まれて初めての嘘をつける。ここ、自分の意志が生まれているんだなあ、と。
フィーバスがエスメラルダに「ついていく」といったときの反応も初めのころは怒っているようだったのに、だんだん、その言葉に諦めを感じているようで、外の世界で生きていく、飛び出すことはできない自分に気づいた上に、フロローにカマをかけられて奇跡御殿まで見つけられたことで絶望。ジプシーたちが仲間同士で旅立とう、というのを上で観ているときから、自分は一人、というどうしようもすることもできない孤独。石と対話するだけ、自分の世界に閉じこもったまま(たぶん自分に都合のいい情報だけネット収集してるような感じでしょうか)、あの日外に出ずにいたら、「自分が一人である」ということにも気づかずに、「傷つくこともなかったのに」と、出ていったのは自分が決めたことなのに、石へ八つ当たりのように怒りをこめて、の『石になろう』もすさまじい、負のパワーでした。
でもやはり、石に背中を押されているようで、結局、自分で決めて、エスメラルダ奪還に飛び出すカジモド。はやし立てる市民を観ていたわけだから、助けるということには手段を択ばず、鉛をひっくり返す。エスメラルダの命を奪ったフロローは、敵なので、手をかける。でも、育ててくれた人、手段は間違っているけれど、「守られて、聖域」と信じ込まされていた世界から飛び出した瞬間が、子供が家族から巣立つ感じにも見えるのが、一瞬の投げ飛ばすときの苦悩の表情。
「怪物=殺人鬼」ではないように、感じられます。
泣き方が何とも言えず、悲痛で、愛した女性が愛した人だからとフィーバスの頭をなでるカジモドが、成長しきった感じです。
で、一番涙腺刺激される、女性三枠から庇うところ、市民から見れば、カジモドは怪物=異物、敵、だけれども、カジモドから見れば、エスメラルダを傷つけようと囃したかもしれない人は、敵、と体をこわばらせて守っていたのが、カジモドも他人のことを怪物、と思っているということからの、あっちから見ればこっちが怪物、という、
「自分に都合が悪いもの」が怪物、という、私が感じる怪物というテーマにしっくり。
二つ目。
怪物は「自分の意のままにならないもの」。
フロローにとっては自分の意のままにならないものは、自分のままに愛してくれないエスメラルダだったり、徳の高い男でいるはずなのに、感じる情欲とか。
エスメラルダにとっては、自分が好きでもないのに迫ってくるフロロー。
祭りの場でのカジモドは、注目浴びてチヤホヤされていることが市民たちには気に入らないんでしょうし。
そんな、意のままにならないものをどうにかしようと手段を択ばない人はやはり怪物なんだろうなあ。
ところで、そういう意味で行くと子供って、怪物、だと思います。自分の意のままにならなければ、なくし、喚くし、なかなかなもので。しかし、こっちが大人なので、「仕方ないなあ」と思ってもらえる、守ってあげないといけない対象だと思う。
フロローにとって、カジモドは障害もあり、守るべき存在だったのに、いつの間にか、自分を拒絶したエスメラルダから、親切にしてもらっていて、ちょっと越されていく感じがあったんだろうなあ、と世界の頂上でのあとのシーンで思います。
子供のままでいてくれたら、塔に閉じ込めて、変なこと言ったら、ちょっと語気強く言えば、言うこと聞いてたカジモドですが、ちょっとづつ、成長して自分の意のままにならなくなっていることを感じているフロロー。
聖職者だからみんな、ほぼ言うこと聞いてくれる、世界=聖域で生きてきたのに、意のままにならないものがたくさん出てきて、フロローも混乱してしまったんだろう、と思います。だからフロローも神父様に守られたままの子供だったんでしょう。
ジェアンみたいに、こっそり酒飲んだり、女性遊びしたりしつつ、適度に世慣れして、聖職者になればポッキリ折れたりしなかったんだろうけれど(戒律的にはダメですが)、
鐘を鉛でチョコチョコ修復しながら、鳴らし続けたように、少しづつ、傷ついて、成長していったらいい聖職者になったんでしょうけれど。
そんなことを考えると、フロローものすごい悪人ではなくて、カジモドもただの幼いい子ではなくていてくれた方が物語にものすごく深みが増すように、個人的には思いますので、大満足キャストでした。
歌の強さでいくと芝フロローかな、と思うけど、芝フロローは実は…こっそり…遊んでますとかありそう(イメージです)で真面目一徹感の野中フロローは好ましく。
カジモドは私見ですが、幼子感は達郎カジモド(歌は好き。ただ人物像がアニメのカジモドのような小さい子にも受け入れられるハッピーエンドならぴったりと思う)、田中カジモドは青年感強め(すでに葛藤感が少なそう)、という個人的感想です。
横浜はちょっと遠い。四月から忙しいから無理だろうなあとうすうす思っているので
ということで、私のノートルダムの鐘はいったん終了です。
ただ、本当に今回、気持ちに整理がつく、素晴らしいカジモドでした。
カジモド 海宝直人
フロロー 野中万寿夫
エスメラルダ 宮田 愛
フィーバス 佐久間 仁
クロパン 吉賀陶馬ワイス
【男性アンサンブル】
野村数幾
山田充人
大空卓鵬
小出敏英
中橋耕平
金本和起
佐藤圭一
吉田功太郎
【女性アンサンブル】
小川晃世
大森真理
吉田絢香
原田真理
【男性クワイヤ(聖歌隊)】
白山博基
柳 隆幸
山下泰明
日浦眞矩
澤村楽人
新井 克
河野陽介
井上隆司
【女性クワイヤ(聖歌隊)】
遠山美樹
片山美唯
青栁歌奈
潮﨑亜耶
織笠里佳子
北野有希依
秋山知子
杉山由衣