①の続き。
キャストスケジュール。何となく、終わったあとの表情みて、何となく感じた通り、今週も海宝君はカジモド続投。
ただ、海宝君は土曜ソワレの人だと思っているので、日曜しか今後持っていない私は、奇跡的に日曜日に出てくれない限り、私は昨日が見納めかな、ということで、覚えていることを書いておこうと思います。内容は思いっきり触れていますのでご注意を。

2幕。クワイアの歌声のあと、カジモドが下手側から登場。
エスメラルダが、登場、来てくれてすごく嬉しそうなカジモドですが、
「フィーバスをかくまって」
と言われて、何でこいつがここに、って怒りを露わにします。
この時点では、カジモドは、フィーバスがフロローの命令に背いた一連の流れのことは知らないから。
「けがをしてるのよ」とエスメラルダに頼まれて、怖いご主人さまにまた怒られるかもしれないことよりも、フィーバスをかくまうこと、大好きなエスメラルダのお願いを聞いてあげて、エスメラルダは編んだ魔除けの首飾りを置いて、立ち去る。
石像には、「なんで彼女を追いかけないのか」と聞かれるけれど、
「外に出ることを禁じられていたのに」外に出て、祭りの時みたいに、怖い目にあったカジモドは、絶対無理だと、思っているところに、
「聖アフロディージアス」が、命を落としても、守るべき人を守ったこと、魔除けのヒントを与えられて、自分で答えを見つけて、
外に出ることを決意するような力強い歌声と、「花嫁のように」で守るポーズするのにキュンと毎回してます。
フィーバスが目を覚まし、包帯がいるね!と二人でわちゃわちゃやり取りしているところに、フロローが上がってくる足音に、反応して、開きかけたドアを足で締めてフロロー締め出して、フィーバスの足掴んで長椅子の後ろに転がすところ、毎回、笑い声が起きるようになってきました。
その後フロローが来て、「何か声がしたが?」と、やってくるのを、石像の手にライトを載せるのを、フロローみてないところで回収して、石像の手をお疲れ様、ってポンポンしてるのいいなあって。「お話してください」と「聖アフロディージアスの」と、椅子を持ってきて取り繕うのですが、この取り繕い方が、3人ともに個性があって面白い場面だな、と思います。私の印象は取り繕うのが一番上手いのが海宝君で、達郎カジモドはソワソワしすぎで、田中カジモドはノーリアクションで落ち着きすぎという印象ですが、どうでしょうか。
「何かかくしごとをしてるな」「エスメラルダの居場所を知っているか??」
とフロローの目線に射すくめられても、
人を守るために、生まれてはじめての嘘をつくカジモド。
手すりをつかむ手をフロローにがしっと掴まれ、おびえる表情をしますが、頑張って持ちこたえる。カジモドを息子のように思うよ、といいつつ、フロローの目は凄く冷たい。
副官がやってきて、「奇跡御殿が見つかった」という情報を受け、カジモド動揺しているのをしっかり野村副官は観てる。
フィーバスと、カジモドは魔除けを、僕がもらったもんだ、とアニメの映画張りに取りあうのですが、ろくに歩けない、ろくにしゃべれない同士、エスメラルダに危機を伝えに行きます。
奇跡御殿でつかまって伏字→フィーバスは早めに7枠が影武者に、カジモドも途中で1枠影武者になるので、地下にいれられる2人が、一瞬でステンドグラス前に登場するシステムに気づいたときに、散々みつづけたのと、昨日の下手の席で一部正解が見えてしまったのであってるようです。
捕まったあと、ジプシーたちは次の場所に移動することになり、
フィーバスが「僕と一緒にきてくれ」というと
カジモドは「聖堂の地下室の事は何でも分かるから」と。
でも迷惑がかかるからついていけないというエスメラルダに
「君と一緒についていく」というフィーバスに
「一緒付いていく?」とカジモドが言う台詞。最初のころは海宝カジモドが随分喰ってかかって怒って言っているように思ったのですが、ここ数回みてると、言い方が変わってきて
悲しげで、絶望感に満ちてるなあと。
自分は外に出ることが怖くて、勇気を振り絞って、パリの怖い曲がりくねった道を通って奇跡御殿にはたどり着いたけれど、全く違う場所で生きて行くという選択は自分には出来ないという悲しみを感じます。
「奇跡もとめて」
で2人が新しい世界に旅立とうと希望にあふれているのに
カジモドだけが、閉じこもっていた自分が、エスメラルダに出会ったことで、世界が広がったのに、また心を閉ざして、生きて行こうと、「醜い」の歌詞のところだけ、憎しみを込めて歌う、悲しい歌。この歌も海宝君は切なさで、満ち溢れています。このシーンは2階席で観た方が良く見えて良かった。
その後、自分のあとをつけてきたことで、奇跡御殿が見つかったことがわかり、二重のショックを受けて、やはり、自分が外に出てもろくなことが起きない、という深い絶望の底の
「石になろう」
これも聴くたびに迫力が増してきて、「どんなに楽だろうか」の、か、の伸ばし方と、「こころ閉ざして」の、ろ、が時々絶叫しているように聞こえるのも迫力あるなあと。毎回泣いているように見えます。
これはコンサートとかでもきっと聞けるけれど
その前の絶望感があるお芝居分が深まってこその歌だと思う。
エスメラルダが火あぶりにあるのをみていられずに、またまた再び、外に飛び出し、怖いご主人様に背くカジモド。
サンクチュアリーも日増しに声が強くなっている。
必死に戦うけれど、煙にまかれたエスメラルダに
「ここは君のうちだよ」というカジモドは「ここに住むほうがいい」と言ったフロローとは全く違っていて、もう、このあたり泣きすぎていて台詞はわけわかりません。
「友達」って言われて「うん」っていうカジモドも健気すぎて。
フロローが来て、
その女が望んだ結末だ、とか、
これで元通りの暮らしになれる
と、自分の意のままにならないものを排除しようとしたフロロー。
愛について知っているのかとカジモドに聞かれ、うろたえる野中フロロー。カジモドが背を伸ばすと、野中フロローは身を縮める。
「悪人は罰をうける」→だからフロローが邪悪。
「外に出たらひどい目にあう」→だからと言ってここは聖域じゃない
「お前は力持ちだ」
海宝カジモドなんて、全然力持ちに見えないから、結局フロローが言葉や暴力で暗示にかけていただけなんじゃないかと、思うんです。
素直にフロローが私だけがおまえを守る、守るのポーズを歌詞やセリフのたびに毎回する海宝カジモドは真っ直ぐ育った子なんだなあと毎回思います。
二人が死んでしまったカジモドの慟哭も悲痛。
エスメラルダの亡骸を抱きかかえようとするフィーバスの頭をナデナデして、その後、エスメラルダを抱きかかえたカジモドをみるフィーバスの顔も温かい。
エスメラルダを横たえ、近づいてきそうな人を体で制して守ろうとするカジモドの周りで順に顔を汚し、体をゆがめる人たち。
カジモドが振り返ると、すっかり海宝君。少し下を向いて一歩踏み出して、語る数年後。
砕け散る骨の音。
観るたびに、考えるポイントは異なる。
昨日は、
聖域で閉じこもると
孤独な暮らしは安心
外に出て傷ついたこともあるけれど、同じ見慣れた風景が今までとちがう風に見えたカジモドは幸せだったかもね、と思ったり、
安全な場所で、自分の思い通りにならないものは取り除きながら、自分は悪くない、正しい、って、心を閉ざして石のようだったのはフロロー本人だろうな。
なんて、観るたびに色々考えることが増える作品です。
アニメのノートルダムの鐘が好きで、そこに海宝君出るということで、こんなにも観た作品ですが、あと、3回。どのカジモド観れるかより、どのフロロー観れるかも結構大事。結局フロロー目線になる事も多い。
そんな今週は観たかった達郎カジモド、久々に観たくなっていた芝フロローです。

キャストスケジュール。何となく、終わったあとの表情みて、何となく感じた通り、今週も海宝君はカジモド続投。
ただ、海宝君は土曜ソワレの人だと思っているので、日曜しか今後持っていない私は、奇跡的に日曜日に出てくれない限り、私は昨日が見納めかな、ということで、覚えていることを書いておこうと思います。内容は思いっきり触れていますのでご注意を。

2幕。クワイアの歌声のあと、カジモドが下手側から登場。
エスメラルダが、登場、来てくれてすごく嬉しそうなカジモドですが、
「フィーバスをかくまって」
と言われて、何でこいつがここに、って怒りを露わにします。
この時点では、カジモドは、フィーバスがフロローの命令に背いた一連の流れのことは知らないから。
「けがをしてるのよ」とエスメラルダに頼まれて、怖いご主人さまにまた怒られるかもしれないことよりも、フィーバスをかくまうこと、大好きなエスメラルダのお願いを聞いてあげて、エスメラルダは編んだ魔除けの首飾りを置いて、立ち去る。
石像には、「なんで彼女を追いかけないのか」と聞かれるけれど、
「外に出ることを禁じられていたのに」外に出て、祭りの時みたいに、怖い目にあったカジモドは、絶対無理だと、思っているところに、
「聖アフロディージアス」が、命を落としても、守るべき人を守ったこと、魔除けのヒントを与えられて、自分で答えを見つけて、
外に出ることを決意するような力強い歌声と、「花嫁のように」で守るポーズするのにキュンと毎回してます。
フィーバスが目を覚まし、包帯がいるね!と二人でわちゃわちゃやり取りしているところに、フロローが上がってくる足音に、反応して、開きかけたドアを足で締めてフロロー締め出して、フィーバスの足掴んで長椅子の後ろに転がすところ、毎回、笑い声が起きるようになってきました。
その後フロローが来て、「何か声がしたが?」と、やってくるのを、石像の手にライトを載せるのを、フロローみてないところで回収して、石像の手をお疲れ様、ってポンポンしてるのいいなあって。「お話してください」と「聖アフロディージアスの」と、椅子を持ってきて取り繕うのですが、この取り繕い方が、3人ともに個性があって面白い場面だな、と思います。私の印象は取り繕うのが一番上手いのが海宝君で、達郎カジモドはソワソワしすぎで、田中カジモドはノーリアクションで落ち着きすぎという印象ですが、どうでしょうか。
「何かかくしごとをしてるな」「エスメラルダの居場所を知っているか??」
とフロローの目線に射すくめられても、
人を守るために、生まれてはじめての嘘をつくカジモド。
手すりをつかむ手をフロローにがしっと掴まれ、おびえる表情をしますが、頑張って持ちこたえる。カジモドを息子のように思うよ、といいつつ、フロローの目は凄く冷たい。
副官がやってきて、「奇跡御殿が見つかった」という情報を受け、カジモド動揺しているのをしっかり野村副官は観てる。
フィーバスと、カジモドは魔除けを、僕がもらったもんだ、とアニメの映画張りに取りあうのですが、ろくに歩けない、ろくにしゃべれない同士、エスメラルダに危機を伝えに行きます。
奇跡御殿でつかまって伏字→フィーバスは早めに7枠が影武者に、カジモドも途中で1枠影武者になるので、地下にいれられる2人が、一瞬でステンドグラス前に登場するシステムに気づいたときに、散々みつづけたのと、昨日の下手の席で一部正解が見えてしまったのであってるようです。
捕まったあと、ジプシーたちは次の場所に移動することになり、
フィーバスが「僕と一緒にきてくれ」というと
カジモドは「聖堂の地下室の事は何でも分かるから」と。
でも迷惑がかかるからついていけないというエスメラルダに
「君と一緒についていく」というフィーバスに
「一緒付いていく?」とカジモドが言う台詞。最初のころは海宝カジモドが随分喰ってかかって怒って言っているように思ったのですが、ここ数回みてると、言い方が変わってきて
悲しげで、絶望感に満ちてるなあと。
自分は外に出ることが怖くて、勇気を振り絞って、パリの怖い曲がりくねった道を通って奇跡御殿にはたどり着いたけれど、全く違う場所で生きて行くという選択は自分には出来ないという悲しみを感じます。
「奇跡もとめて」
で2人が新しい世界に旅立とうと希望にあふれているのに
カジモドだけが、閉じこもっていた自分が、エスメラルダに出会ったことで、世界が広がったのに、また心を閉ざして、生きて行こうと、「醜い」の歌詞のところだけ、憎しみを込めて歌う、悲しい歌。この歌も海宝君は切なさで、満ち溢れています。このシーンは2階席で観た方が良く見えて良かった。
その後、自分のあとをつけてきたことで、奇跡御殿が見つかったことがわかり、二重のショックを受けて、やはり、自分が外に出てもろくなことが起きない、という深い絶望の底の
「石になろう」
これも聴くたびに迫力が増してきて、「どんなに楽だろうか」の、か、の伸ばし方と、「こころ閉ざして」の、ろ、が時々絶叫しているように聞こえるのも迫力あるなあと。毎回泣いているように見えます。
これはコンサートとかでもきっと聞けるけれど
その前の絶望感があるお芝居分が深まってこその歌だと思う。
エスメラルダが火あぶりにあるのをみていられずに、またまた再び、外に飛び出し、怖いご主人様に背くカジモド。
サンクチュアリーも日増しに声が強くなっている。
必死に戦うけれど、煙にまかれたエスメラルダに
「ここは君のうちだよ」というカジモドは「ここに住むほうがいい」と言ったフロローとは全く違っていて、もう、このあたり泣きすぎていて台詞はわけわかりません。
「友達」って言われて「うん」っていうカジモドも健気すぎて。
フロローが来て、
その女が望んだ結末だ、とか、
これで元通りの暮らしになれる
と、自分の意のままにならないものを排除しようとしたフロロー。
愛について知っているのかとカジモドに聞かれ、うろたえる野中フロロー。カジモドが背を伸ばすと、野中フロローは身を縮める。
「悪人は罰をうける」→だからフロローが邪悪。
「外に出たらひどい目にあう」→だからと言ってここは聖域じゃない
「お前は力持ちだ」
海宝カジモドなんて、全然力持ちに見えないから、結局フロローが言葉や暴力で暗示にかけていただけなんじゃないかと、思うんです。
素直にフロローが私だけがおまえを守る、守るのポーズを歌詞やセリフのたびに毎回する海宝カジモドは真っ直ぐ育った子なんだなあと毎回思います。
二人が死んでしまったカジモドの慟哭も悲痛。
エスメラルダの亡骸を抱きかかえようとするフィーバスの頭をナデナデして、その後、エスメラルダを抱きかかえたカジモドをみるフィーバスの顔も温かい。
エスメラルダを横たえ、近づいてきそうな人を体で制して守ろうとするカジモドの周りで順に顔を汚し、体をゆがめる人たち。
カジモドが振り返ると、すっかり海宝君。少し下を向いて一歩踏み出して、語る数年後。
砕け散る骨の音。
観るたびに、考えるポイントは異なる。
昨日は、
聖域で閉じこもると
孤独な暮らしは安心
外に出て傷ついたこともあるけれど、同じ見慣れた風景が今までとちがう風に見えたカジモドは幸せだったかもね、と思ったり、
安全な場所で、自分の思い通りにならないものは取り除きながら、自分は悪くない、正しい、って、心を閉ざして石のようだったのはフロロー本人だろうな。
なんて、観るたびに色々考えることが増える作品です。
アニメのノートルダムの鐘が好きで、そこに海宝君出るということで、こんなにも観た作品ですが、あと、3回。どのカジモド観れるかより、どのフロロー観れるかも結構大事。結局フロロー目線になる事も多い。
そんな今週は観たかった達郎カジモド、久々に観たくなっていた芝フロローです。
