『みんなに親しまれ、愛されているけれど、たった一人の自分の好きなひとに振り向いてもらえない』

『みんなに恨まれ、嫌われているけれど、たった一人の良き理解者と共に生きれる人』
結構、究極の二択。

「誰にも好かれていなくても、自分のやりたいことをやっている」エルファバは自己基準で生きている人で、
「常に人にどう思われるか、人の望みそうなことをやりたい」グリンダは他者基準で生きていたように感じました。
理想はエルファバのように自分がやりたいと思うことをやり遂げることがいいと、自分では思っているんだけれど、現実の私は割と周囲からの期待値に答えるために、その時々で、生き方の方向性が変わってしまう性質なので、あのエルファバの強さが欲しい、と思いました。

グリンダは、魔法を習いたいと思って、モリブル先生に授業受けたい、って言っているけれど、おそらく「魔法の授業を受ける自分」が多分、好きなんだろうな、と。
そして、「イケメンの王子さまの彼氏がいる自分」が欲しくて、フィエロに近づいた部分もあると思います。
いずれも、トロフィーを手にしている自分が好きなんだと思います。でも、魔法に関しては、エルファバから本を受け取って、良い魔女として、勉強しっかりするんでしょうし、自分に心の向いていない人を無理やりつなぎとめる偽りの生活をしなかったところ、ちゃんと成長していくんだろう、と思います。
でも、みんなに愛されて、親しまれる生活、プレッシャーでしょうし、自分の知っている真実の物語を隠して、みんなのために、良い魔女として生きて行くの辛いだろうな、と思いました。

エルファバは、肌の色のせいで、最初の登場シーンから、みんなに、遠巻きにみられ、思っていた以上に差別を受けていました。父も、妹偏重で、厳しいし、強くなければ生きられなかったでしょうけれど、魔法の帽子を好意と受け取って、モリブル先生に計らってあげるし。フィエロとうまくいかないグリンダをエメラルドシティに誘ってあげたり、心の奥底は本当におおらかでまっすぐな女性だと思いました。見た目の悪さで、みんなが近づいてくれなかっただけで、実はいいやつ、っていうのがわかってもらえそうだったのに、そのまっすぐ、真っ正直さで、生き方が不器用すぎる。悪い魔女と言われても自分が思ったように生きるのに、グリンダを巻き込まないでおこうと、お別れの告げる、For Goodは、思いやりの心で泣けてしまいした。

そしてフィエロ。おそらく冷めた目で享楽的に生きてきた彼。最初のあたり、グリンダが、ボックにネッサの事を誘うようにそそのかしているシーンを「やるな」と高みの見物していたようなひとなのに、エルファバの心の奥底にあるおおらかさや強さで彼も変わっていったところが素敵だと思いました。物事を違う角度からみれるとか、本質を見抜けることってすごいことだと思います。
私は何かとトロフィー的なものを考えてしまうところがあるので、緑色の女性の優しさがわかるか、かかしになった彼を愛せるか、というと、多分、できないんです。

あとは、社会的な比喩。肌の色もそうですが、ヤギの先生の授業の黒板にひどい落書きされているのも現実に起きている差別でしょう。
「共通の敵を与えていれば、みんなおとなしくしている」
「みんなが信じているもの、それを私たちは歴史と呼ぶ」とか、とても現実社会を比喩しているような、メッセージも盛り込まれているところがすごい。
最近は、強い言葉で、一方方向に導こうとしている指導者が生まれそうな時代ですし、ネットで色々書き込まれて、たくさんの人が書いていたら、真実になりそうな世の中ですから。



本当に観た後に、いろんなものがわき出てくるお話でした。
舞台としても、全然、時間が気にならない、一瞬も集中力がとぎらされることのない作品。
なぜ、陸続きの時にみなかったのか。今度、陸続きでやっていただける際には通いそうな気がします。