2020年4月29日

 

 

昨日、4月28日は神戸市北区淡河町まで行きました。

淡河町は八多町の西隣に位置します。

淡河と書いて「おうご」と読みます。

淡河町の西隣は「三木市」になります。

山陽自動車道を通ったことがある方なら「淡河SA」と云う名のサービスエリアがあるのをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

そして淡河はその昔、湯乃山街道(有馬⇄三木)の宿場町として栄えた場所でもあります。

 

少し前から妻に

「満月堂の柏餅が食べたい。」

と言われていたので、目的の一つだったのですが、この件はまた後述いたします。

 

自宅から西へ約15km程です。

まずは「道の駅 淡河」へ行きました。

 

 

ここは「十割そば」のお店が有名なのですが、今は当然のように「営業休止」されています。

そしてこの裏手にあるのが、

 

 

淡河城址です。

櫓のような建物が見えていますが、正確な時代考証に基づいて建てられたものではないと思われます。

ここの城址が地元の方の想いとは裏腹にあまりに「目立たない」ので、こう言っては失礼かもしれませんが「看板代わり」かもしれません。

 

 

この開けた場所が城内の「曲輪」と呼ばれる区画です。

左手に「土塁」が見えて一段高くなっており、その上が近世の城郭で云うところ天守台(本丸)にあたる場所です。(この頃のお城にはまだ天守閣はありません。)

この場所には今、神社があります。

 

 

「正一位白星大明神」と読めます。

 

稲荷神社では総本社の伏見稲荷大社が建久5年12月(1195年1月)の後鳥羽天皇の行幸に際して「本社勧請の神体には『正一位』の神階を書加えて授くべき」旨が勅許されたとされており、勧請を受けた全国の稲荷神社もこれを根拠に正一位を名乗るようになり、「正一位」は稲荷神社の異称のようになった。(ウィキペディアより)

 

そうなので、正面の「赤い鳥居」から考察すると、ここは「白星稲荷」さまと考えることができます。

 

 

ここには他に面白いものがありました。

 

 

二枚の絵図でした。

このお城も以前ブログに書きました「八多神社 〜 古墳・城址を巡って(たんぽぽのお城)」と同じく、南北朝時代に築城されたようです。

戦乱時期の詳細はここでは記しませんが、

 

最初は播磨一帯の豪族であった北条時房の孫にあたる淡河時治の城だったようです。

その後、南北朝の混乱を経て、戦国時代には別所氏に属しましたが、淡河定範が城主であった天正7年(1579年)に羽柴秀長の攻撃で落城、有馬則頼が城主となったそうです。(一部ウィキペディアより引用しました。)

この合戦絵図はその戦国時代の戦の様子を描いたもののようです。

 

この天守台の裏手にありました、

 

 

このV字型の遺構は「お堀」の跡です。

 

 

これはその初期の城主であった「淡河氏」の廟所のようです。

白い壁も城郭建築のように模されていますが、お城の遺構とは関係がなさそうです。

ただこの辺りも当時は「城内」であったと思われます。

 

そして先程この淡河の街は湯乃山街道の宿場町であったことを記しましたが、その名残のある場所へご案内いたします。

 

あ、カフェは当然のごとく「休業」されてました(泣)

 

 

この奥には随分と広い御座敷があって、自由に休憩できるようなのですが。

 

「道の駅でお弁当買って来て、ここで食べさせてもらったら?」

「いや〜、そこまでするのは〜。」

「だったら、また来ようね!」

「うん、また来るよ。」

「お約束だからね。」

 

淡河宿本陣跡ホームページ - 神戸市北区、江戸の情緒残るコミュニティスペース。

興味のある方のために、こちらのHPのリンクを貼っておきます。

 

淡河宿本陣跡ホームページより、建物の見取り図です。

 

さて、先述した妻が食べたいと行っていた「柏餅」ですが・・・・・。

 

 

この本陣跡から程近い場所にある「和菓子」屋さんです。

「満月堂」と云います。

この看板にある「豊助饅頭」って云うのが、知る人ぞ知る「名物」なのです。

【公式】満月堂 | 創業明治15年。神戸市北区・淡河の和菓子店

 

 

「え〜っ、今日休みやん。」

「しゃあないね。また連れて来てよ。」

「やっぱり昨日ハローワーク行かずに、こっち来てたら買えたのに。」

「何言うてんの、昨日はハローワーク行かないといけなかったの!」

「仕方ないね。」

「ええやん、また出かける『理由』ができたやん。」

「そういうこと? でも『柏餅』は今の季節限定ちゃうんかな?」

「柏餅あかんかったら豊助(饅頭)買ってくれたらええやん。」

「え〜、柏餅食べたいって言ってたやん。」

「何でもいいの〜。」

「ふ〜ん。」

 

 

これは近くの路傍にあった古い時代の「道標」です。

右 丹生山

左 (残念ながら判読できませんでした)

真ん中に「西国三十三箇所巡礼供?」と読めます。

 

丹生山は車では行けません「登山」もしくは「ハイキング」です。

しかし、思い出したことがありました。

丹生山の南に位置する「衝原湖」畔の「箱木千年屋」のことを。

妻とは一度行ったことがあります。

また行ってみようと思います。

 

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