2020年4月24日

 

昨日、4月23日はもう15年以上前になる妻と行ったことのある場所の追想に行って来ました。

 

最初は加西市北条町にある「五百羅漢」さまです。

最初は「不要不急」の外出になるのかなぁ〜って思ってたのですが・・・。

すると守護天使のアロムが「だったら!」っていつものように見せてくれたのが

「ゾロ目ナンバープレート」のオンパレードでした(笑)

自宅から片道50km程だったのですが

「777」「2222」「4444」「333」「7777」「8888」「5555」・・・・って覚え切れないよ(笑)

「大丈夫ですよ!」

「ありがとう。」

 

 

やさしい仏さまのお顔に癒されました。

数珠と経本を持って行ってましたので「如来」さま「菩薩」さまの前では「御真言」を唱えさせていただくこともできました。

 

 

境内には綺麗なお花がそこ彼処に・・・。

 

「ね、来てよかったでしょ。」

「うん、ありがとう。」

 

ここからは自宅へ帰る道すがらあと2箇所ほど寄る予定です。

 

途中で「昼食」を摂るためにお食事処へ寄りました。

行く途中で「目星」をつけていたところです。

 

 

加東市高岡にあります。

トラッカーの方達がよく利用されているようでした。

駐車場は乗用車より大型トラックの駐車場の方が何倍も大きく区画されてましたから。

 

 

ざるそばと一途に注文した「おかず」は好きなだけ盛って「グラムいくら」で計算してました。

今日は妻に言われる前に「煮物」を・・・・(笑)

「これでも少ないわ。」

「もうええやん、あんまり食べれんし〜。」

「しゃあないね(笑)」

 

帰途の一箇所目は「東条湖」です。

ここは今「おもちゃ王国」と云うお子さま向けの遊園地があるのですが、今は「コロナ」の影響で無期限閉園しています。

私たちが以前訪れたのは結婚前で、それもあの大震災以前だったと思います。

 

その頃は「おもちゃ王国」の前身「東条湖ランド」と云う遊園地がありました。

 

 

案の定と云うか当然の如く「閉園」してました。

で、肝心の湖は?

 

 

貸しボートや遊覧船も運休中。

遊覧船が寂しそうに湖上をたゆたってました。

 

さてここから今日の最後の目的地へ向かいます。

 

 

道の駅「とうじょう」です。

ここはお食事処も営業されてました。

「あ、イチゴ売ってる〜。」

「ほんまやね。」

「ほしい?」

「うん!あの白いのが混じったのがいい!」

と云うことで買いました。

 

 

白い苺って話に聴いたり写真を見たりしたことがありましたが「実物」を見るのは初めてでした。

 

「へ〜、こんなんなんやね。」

「いちご買ってくれたから『お酒』見たら?」

「お酒?」

「いろいろ売ってるよ。」

 

そうなんですね、ここ加東市には神結酒造(かみむすび)と云う結構古くからの酒蔵があるのです。神結酒造株式会社

 

4月21日のブログ記事「八多神社 〜 古墳・城址を巡って(たんぽぽのお城)

で酒米の「山田錦」が神戸の山田村が起源であるとの説を述べさせていただきましたが、ここ加東市が今は実質的な「山田錦」の故郷であるかもしれません。

加東市で生産されるお米の約半分は「山田錦」です。

その上、米の品質においても「最上級の特A地区に指定されている」そうですから。

いかに地元の方々が「山田錦の故郷」の名に恥じないよう努力を続けてこられていると云うことがよくわかります。

 

だったら「純米酒」を選ばないと。

「別に選ばんでええよ。」

「何で?」

「お酒やったら何でもええんとちゃうの?」

「あ、ひど〜。」

「(笑)」

 

 

ちょっと贅沢しました。

「たましずく」

名前に惹かれました。

あとここで購入したのが

 

 

八百万の琥珀(やおろずのこはく)

蜂蜜です。

これも名前に惹かれました。

名前にこの蜂蜜に対する「愛」と「自信」が現れていると思ってので購入しました。

         八千蜜屋    

 

商品のネーミングって大事ですね。

つくづく今日はそう思いました。

 

 

「山田錦のふるさと」と書かれた碑の上には鯉のぼりが堂々と翻っていました。

 

今日の総走行距離約100km

信州、飛騨、北陸行に備えて少し走っておこうと思っています。

今日は「地道」ばかりだったので、次は「高速」を少し入れようかな。

でも基本「県内」に留めておこうと思ってます。

この日も道の駅には「京都」「なにわ」「和泉」と云った他府県の自家用車が目立ちました。(トラックは仕方がないですよね。)

走行中でも他府県のナンバーが目についたように思います。

まぁご自身の考えで来られているのだから

「別にええやん。」

と、私は思います。

ただ「地元」の方は・・・・。

どうなんでしょうか?

ご自身の「商売(収入、お金)」とご自分とご家族の「健康」を秤にかけておられると思います。

難しいですね。

私などが「とやかく」言うものではないと思いますので。

ただ私は「土日」や「祝祭日」「GW」は動きません。

これは「決めました」(笑)

 

ご自分の収入のため「来てほしい。」けど・・・「でもなぁ〜。」

って方がいらっしゃることは事実です。

アンビバレンツ(同じ物事に対して相反する感情を同時に抱くこと)の極致ですね。

なら心底「来てほしい」って時に「行くべきです」なんですけどね。

偉そうに言える立場ではありませんが。

 

今朝、

「ねぇ、いちご食べないの〜。」

「あ、そうだね〜。」

って、盛り付けてみました。

 

 

キラキラして宝石のようです。

 

 

余談:山田錦について

1923年(大正12年)に兵庫県明石市の兵庫県立農事試験場(現:兵庫県立農林水産技術総合センター(加西市))で「山田穂」と「短稈渡船」を人工交配させて誕生した。1928年(昭和3年)に兵庫県加東郡社町(現:加東市)の酒造米生産地(現:酒米試験地)で産地適応性の試験が行われた。1936年(昭和11年)に「山田錦」と名付けられ、兵庫県の奨励品種になった。(ウィキペディアより)

 

どうもこの「山田穂」の起源が「山田村(町)」だと云う「伝説」があるようですね。

 

山田穂の由来については、どれが正しいのかはっきりしていませんが、3つの伝承があります。

1)兵庫県美嚢郡吉川町(現・三木市)では、田中新三郎が伊勢参りの際、伊勢山田で見つけた穂を持ち帰って試作したのに始まったといわれています。

 

2)神戸市北区山田町藍那では、雌垣村(現・大阪府茨木市)で手に入れた種が良質の酒米に育ち、1890年の内国勧業博覧会で日本一の折り紙がついたことから、地名を取って山田穂と呼ばれたと伝えられています。

 

3)兵庫県多可郡中町(現・多可郡多可町中区)では、同町東安田の豪農、山田勢三郎が1877年ごろ、自作田で見つけた大きな穂を近隣地にも奨励し、俵に「山田穂」の焼き印を押して出荷したことから知れ渡ったといわれています。

幻の酒米「山田穂」 | 新しい日本酒を追い続けて| 知る・楽しむ ...www.hakutsuru.co.jp › ... › 新しい日本酒を追い続けて」より。

 

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