もし あなたが人間であるなら、私は人間ではない。
もし 私が人間であるなら、あなたは人間ではない。
鹿 野 武 一
Sur la kampo la rozet'
Kiel infanet'.
受刑直後のバム地帯での もっとも困難な状況という、
ほぼ二回の淘汰の時期を経て、
まがりなりにも 生きのびた私たちは、年齢と性格によって多少の差はあれ、
人間としては 完全に「均された」状態にあった。
私たちは
その受けとめかたにおいても、
行動においても、他の受刑者とは はっきりちがっていた。
抑留のすべての期間を通じ、
すざまじい平均化の過程の中で、
最初から 全く孤絶したかたちで 発想し、行動してきた彼は、
他の日本人にとって、しばしば 理解しがたい、
異様な存在 で あったにちがいない。
JS.バッハ「主よ人の望みの喜びよ」
「 日の本に 神あり 君あり 光あり 」
・・・この世界は 夢 なのだそうです。
この先 あと どれくらい 残されているのでしょうか・・・・・・
「 空へ この子も捧げよう 」
北に車を走らせ
山の中腹にある墓参りを ご一緒 いたしました。
昨年も訪れた 比較的あたらしい その霊園は 区画整備され
まるで 公団住宅のような 真新しい墓石が 並びます。
「 進め一億火の玉だ 」
いずれ ここも すぐに 満杯になってしまうでしょう。
墓周りの おそうじ
墓前の あれこれに 忙しい大人たちをよそに
室内でも 熱中症になる このご時世
片付けている 高齢の管理人さんには ほんとうに頭が下がる。
「 正しき血から 強い民族 」
「 強く育てよ召される子ども」
青い空に すっきり映えて ほんとうに美しい
さぞかし お喜びでございましょう。
芸備線の 無人駅へ。
暑い、暑いと 歩きながら ふと 思い出した
カケイという 連日猛暑のニュースで 何度も目にした 地名をいうと
「 ああ、
最近 夜は ずいぶん 涼しくなって、
窓をあければ 冷房なしでも 眠れるのだとか。
照りつけられた 真っ赤な頬に
ときおり すうっと よい風が 吹きぬけていきます。
夏の終わり、か。
先を歩いていた
ふじ棚の木陰で よく涼んで のろのろ歩く私たちを 待っておりました。
楽しく にぎやかな道なりに
突如 ぬうっと 朱赤の鳥居の現れ
目にも 鮮やかな その優美な色あいに しばし ほうっと目を奪われる
こんにちは。
いくつもの だんだんが 深まる そこは 夢と
しめ縄と 真白の
土地神さま。
ありがとうございます。どうぞ お健やかに。
老若男女の ひとひと ひとで いっぱい。
ずいぶん古い車両です。キハ40形。昭和50年頃のものらしい。
古めかしい大きな扇風機は もう使われることはないでしょう。
山あいの ひとたちを乗せ それぞれの
送り届けてくれた このつましい路線は 廃止の危機にあるのだそう。
「
「沈黙を 守る心が 国護る」
・・・ちがう。あってはならない これは
コトなる ま。
バム地帯のような環境では、
人は、ペシミストになる機会を 最終的に奪われる。
( 人間が人間でありつづけるためには、周期的に
ペシミストになる機会が あたえられていなければならない)。
なぜなら 誰かが ペシミストになれば、
その分だけ 他の者が 生きのびる機会が 増すことになるからである。
ここでは「生きる」という意志は、
「他人よりも ながく生きのこる」という発想しかとらない。
バム地帯の強制労働のような条件のもとで、はっきりした
ペシミストの立場をとるということは、おどろくほど勇気の要ることである。
ここでは誰でも、一日だけの希望に頼り、目をつぶってオプティミストになるほかない。
それは、ほとんど不毛の行為であるが、彼のペシミズムの奥底には、
おそらく加害と被害にたいする
根源的な問い直し があったのであろう。
そしてそれは、状況のただなかにあっては、
ほとんど 人に伝えない問いである。 彼の行為が、
周囲の囚人に奇異の感を与えたとしても、けっしてふしぎではない。
彼は 加害と被害という
集団的発想からはっきりと自己を隔絶することによって、
ペシミストとしての明晰さと 精神的自立を獲得したのだと 私は考える。
翌年夏、私たちのあずかり知らぬ事情によって 沿線の日本人受刑者は
ふたたびタイシェットに送還された。私たちのほとんどは、
すぐと見分けのつかないほど 衰弱しきっていたが、
そのなかで 鹿野だけは一年前とほとんど変らず、
贖罪を終った人のように おちついて、静かであった。
かのひとたちと お昼に
美味い酒肴を いただいた後 それぞれに 別れ、
今度は 市電に乗って 広島市中心部 基町・紙屋町へ。
盆休みのない 繁忙期の最中
ほんとうは 何処にもいかず 少しでも 横になって休みたい。
「 み民いま 立上る時は来た 」
ゲンザイ こんな平和なヨのなかで 生きている「私」の
「 国あり 我なし この日あり 」
だからこそ 「 いま 」
Bela, juna la floreto . . .
待ち時間、スキマ時間に 公開予定のエセー記事を 推敲します。
夜なべして、出発直前に なんとか 読める形には したものの
本来なら 2,3日の 再考を要する 拙文。
これも 致し方ない、
アリのまま 「いま」の
ここにいるのは みな
Knabo diris : "mi eltiros
Belulinon mian";
Floro diris : "vi foriros, —
Per pikiloj mi disŝiros
Tuj la manon vian".
Sur la kampo la rozet'
Kiel infanet'.
コトバを超える次元、
コトバのない 非コトバ 「ロゴス」 を 感得してイない。
言動に コトバを超える 「 あ る 」 レトリックが ない。
ゴ自分のコトバを よく「観る」といい。
それとわかる
練られた 思索 ないし 論理 も ない。
まことでないが故に 論理破綻した 畸形の
旧ブログ(モノかたり)エセー:「かこ」のふたり
「それから」の ひとりとふたりと( 2024- 8-11 公開:現在クローズ)より
ルオー、未完成の絵を 取り返し焼却する
クリシュナムルティの文章には はっきり 彼とわかる「ある」
龍樹「根本中頌」も 漢詩の五言絶句 七言絶句に似た 彼独自の
Sur la kampo la rozet'
Kiel infanet'.
何でも よくご存知の 感性豊かな貴方ならば、 トウゼン よくおなりでしょう。
地中海 マルタ島 英国海軍
水雷艇隊
魚形水雷発射演習の
水色に淡紅色のすずしさうな旗
「 この短い詩に、私はすくなからず苦しんだ 」
「 ここまで集約するのは 容易ではなかった 」 と 詩人 田中冬二は 言いました。
高次元の 精神世界に 至り すべてを よく悟られ 覚醒した 幸せなみなさまは
ゆうめいな この田中冬二の詩どころか 拙い私の レ・トリックですら
よく見逃してくださる。
「 生めよ 殖やせよ 国のため 」
宗祗の連歌における、
雪舟の絵における、
利休が茶における、其 貫道する物は一なり」と
「観た」芭蕉の
粋な コト・バ 遊び や 真贋のつかない モノ 真似、
高尚な サル芸ぐらい 出来て 当然
被害者は〈集団としての存在〉で しかない。
被害において ついに 自立することのないものの連帯。
連帯において 被害を平均化しようとする衝動。
被害の名における 加害的発想。
集団であるゆえに、被害者は 潜在的に攻撃的であり、加害的であるだろう。
しかし 加害の側へ押しやられる者は、
加害において 単独となる危機に たえまなく さらされているのである
昭和20年 8月6日 あの原爆に耐えた 龍宮神社という 御社を詣でました。
手を合わせ ご挨拶した後 あの日の 劫火にまみえた柱に 触れ、
「 あゝ揚がる この日の丸が 次々に 」
私は 神にも魔にも なりたくありません。
覚醒解脱なるモノの 真理真実 崇高なたわゴト
よき選民各イの 神、神の子なる 全きムラ世界
わたくしごとに コレら 一切 要はない

ソコな 全きのかみ 空けのモノども

彼は つねに 疎外と孤独に より近い位置にある。
そして ついに 一人の加害者が、加害者の位置から 進んで脱落する。
そのとき、加害者と被害者という
非人間的な対峙のなか から、はじめて 一人の人間が生まれる。
人間が 自己を最終的に 加害者として承認する場所は、
人間が 自己を人間 として、ひとつの危機 として 認識しはじめる場所である。
それが 「わたし」の こころからの
緋字文は 石原吉郎詩文集「ペシミストの勇気について」(講談社)から。
青の斜字は 戦時下標語・国策標語。
外字の詩は エスペラント語のゲーテ「野ばら」
「ペシミストの勇気について」の追記で 鹿野さんが 収容所の
「学芸同好会」の席で、一人しかいない聞き手に
エスペラント語で歌ったとあって、LLザメンホフの訳をのっけてみました。
本文は 旧ブログ エセー「C'est si bon 風景 ー ぼくらのくには負けたくに ー」(2024.8.16 公開: 現在クローズ)
を 加筆編集しました。 ちなみに今年は 仕事が山積みのため(笑) 来月広島にいく予定です☆彡













