2005年4月14日から2006年3月11日にかけての中南米喜怒哀楽の旅の準備とその旅とその後の記録。
My travel is OVER, AND…
アスタ ルエゴ!
去年の今頃日本からメキシコへ出発した。
なんともタマラナイ一年間だった。
そして、日本に帰ってきてもう一ヶ月。
もう学校も始まった。
そろそろ次に進まないといかんね。
もう終わったんだわ。うん。
GO AHEADだ、MAS ADELANTEだ、このやろー!!
今はまず就職を決める。
といか、来年からやることを決める。
まず、それ。
やっぱりそれが決まらんことには身動きが取れんわな。
それが終わったらまたガツガツ動いていきましょう!
そうそう、このブログも始めてもう一年四ヶ月くらいになる。
ネット屋さんで三時間ぐらい粘っても記事を書けないこともあった。
どうしょうもない愚痴垂れ流しの文を書いたこともあった。
やっぱりやめようと思ったこともあった。
でも、旅行中いろんな人に読んでもらって、コメントやメールで励まされることのほうがいっぱいやった。
やっぱりこのブログをやっててよかったと思ってる。
今、昔の記事を読み返してみるとなんとも恥ずかしい文章を書いている。
でも、なんていうかすごく青臭くて面白い。いや、笑えんのもあるけど…
まあまあそんな嬉し恥ずかし旅行記ブログも、このアメブロがとち狂って過去の記事を全部消したり、新種超危険ウイルスによるネット社会大崩壊なんてのがない限り、ここ何十年かは確実にインターネット上に残っていつでもどこでも見られると思うと、やっぱりなんか嬉しいや。
そんなわけで、どんな訳か分からんけど、この「さぁ~て、中南米で何しよかいのぉ~?」は本日を持ちまして終了とさしていただきます。
旅はもう終わったのであります。
travel is overなのであります。
Mi viaje ya termino´なのであります。
今まで一度でもここに来てくれた人本当にありがとうございました。
ではまたどこかで会いましょう。
四月突入ですが、皆さん如何お過ごしでしょうか?
帰ってきてこうまあ毎日ダラダラと過ごしている訳やけど、そろそろやるべきことをやってこうかなあ、とさすがにそれなりの本来大学四年生が持つべき危機感というか焦燥感みたいなもんに駆られてきた。
二、三人の数少ない就活中の友達を見て、やっぱその影に現実をみたんよね。
しっかり現実見てるし、その中でも自分の目標持ってるし、かっこえがったわ。
その反転、俺なんて未だ深ーい夢に浸ってるし、現実に脚を踏み入れようとしても、片足つっこんだだけで逃げ出したし、ほんまいけてない。
まあ、徐々に徐々にとは考えてるんやけど、未だ行動を起こせないでいた訳。
そんで、そんな気張ってる人たちを見て、最低限やるべきことから片付けて、俺なりにゆっくりやっていくことにした。
で、まず、第一にまあ今回の旅行のまとめっていうか、自分の中でしっかり終わらさない限り、次には進めない。と、ちょっとかっこつけてそう思った。
ちょっとかっこつけてお送りするのは待望のサムライジーンズ(以下サムジー)成長記録です。
去年2005年の春、一本のサムジーと共にメキシコに渡った。
荷物を減らすためにジーパンは一本、寝巻き用にジャージの短パン一本だった。
そのジーパンは普通より厚めの15オンス。単純に言えば糸が太いってこと。
寒いところでは快適だが、暑いところに行くと汗でくっつき動きにくい、とまったく便利性はなく、旅行にむいているとは言えない。
でも、ゆっくりとではあるが成長する、ヒゲやハチノスを見てるとそんなことなんて忘れて、気がつけばそんなジーパンが寝巻きにもなっていた。
洗濯は十一ヶ月で五回。
多いか少ないかの判断は任せます。
一回目洗濯、出発から一ヶ月後、メキシコ・グアナファト。
二回目洗濯、出発から三ヵ月後、メキシコ・サンクリストバル。
三回目洗濯、出発から五ヶ月後、パナマ・パナマシティー。
四回目洗濯、出発から八ヵ月後、チリ・イースター島。
写真撮るの忘れてた…
五回目洗濯、出発から十ヵ月後、アルゼンチン・ブエノスアイレス。
この時ななんと洗濯の後の水が緑に!!?
膝の崩壊は九ヵ月後にトレッキングをしているとき。
後ポケットも同時期に崩壊。
十一ヵ月後の帰宅時には縫い合わせ部分が二箇所ほどほどけていた。
十一ヶ月肌身離さずはいたジーパンはなかなかかっこよく仕上がったと思ってます。
ボロボロすぎて、もう日本でははけそうもないのが残念であります。。
ふーっ、今日も無駄なことをしてしまった…
最後に最近驚いたことを一つ。
大学に戻る準備がちゃくちゃくと進んできて、昨日大学強制の健康診断に行ってきた。
体重がすでに五キロもどってたのは置いといて…、一昨年の0.9だった視力が1.5に超回復。
考えられる理由は旅行しかない。
旅行中はテレビ、パソコンの時間が少なくなり、逆に観光などで景色などを見る機会がふえるからなのかな?
もう帰国後十六日後ですよ
四月二十四日のことやろうか。
パラグアイで風邪を引いてからだいたい一週間ぐらいたったころのこと。
アルゼンチン・サルタで飯を食いに外に出たら、手足が痺れてきて、その痺れがどんどん心臓のほうまで近づいてきて、もう頭がボーっとして、動きができなくなった。
病院へ行き診てもらった結果、脱水症状と栄養失調ということだったが、点滴を一本うってもらって、そのまま帰された。
一度倒れてやっとその一週間は一日ホットドック一個というような生活をしていたことに気がついた。
この病気(?)のおかげでオルーロのカーニバル間に合わなくなってしまった。
そして、多少は体力が回復し、ラパスで登山。
残念ながらワイナポトシに敗退し、翌日にはバスでリマへ。
無理した結果、リマについてすぐに熱が出てきたが、勢いでリマ滞在12時間でメキシコに飛ぶ。
メキシコで一泊し、そのまま日本へ、という最後は本当にバタバタとクタクタになるような旅をしていた。
っと、まあ、約一ヶ月前に病気をして、それ以来どこかしら体が悪いんじゃないかという意識がどこかにあって、日本に帰ってきてからもずっと胃腸のあたりに黒い重いものがあるようで、まったく落ち着かなかった。
そして、今週やっと病院に精密検査に行ってきた。
とはいっても、自覚症状がほとんどないってことで、血液検査で内臓の状態を簡単に検査してもらった。
結果はまったくもって異常なし!
結果が出て以来連日連夜飲み歩いてますが、体調はすこぶる快調。
うまいビールを飲ましてもらってます。
俺って結局気分で生きてるんやな、っていうまあ他愛も無い話。
病気のそもそもの原因はココを見学した時に始まった頭痛(!?)。
なんでも多くの旅行者が電磁波にやられて頭痛になるとか…
世界一の発電力をもつダム、イタイプー。
ここに行くとなんだか頭がイタイプー。
いや、パクってねーよ。
ハ、ハ、ハポン
三月十一日、無事帰国しました。
最後にボリビア、ペルー、メキシコと慌ただしく過ごしたけれど、メキシコ出国、アメリカの経由、日本出国の税関などではほとんど問題なく通過でき、帰路事態はのんびりとしたものになった。
いざ、帰るとなって嬉しさとか寂しさ、希望や期待や不安や心配やらなんやらがいろんなところから押し寄せてきて、いても立ってもいられない旅行出発前夜的な緊張感に体がどうも落ち着かなかった。
朝一の便で日本に帰るため徹夜での出発だったので頭がボーっとしていた。
なんだか日本に帰るという実感がわかなかった。
単に今まで続けてきた移動の続きという感覚。
約16時間飛行機に乗って到着したのは一年ぶりの日本。
髭を剃って綺麗な服を着て帰ったのに、ほんとか自意識過剰化気味なのか、どこかジロジロ見られてる気がした。
まあ、バックパックにデイバック、ボリバック(30~40L大の手さげのボロバック)に何故かビニール袋で市電に乗るって…。
怪しいわな…。
なんだかんだ帰ってもう三日経って、携帯を買ったり、友達と会ったりして、まあ日本の生活にだんだんと慣らされてきているわけやけど、難波や梅田の繁華街を歩いているときとかに、あれ、なんで俺こんなとこにおるんやろ?と疑問に思うというか、ふと我に返る感じになるときがある。
自分でも何故かわからんのやけど、ほんとに何故か虚しくなる。
駅の改札やったり、コンビニのレジとかでおばちゃんがもたもたしてたりすると、南米におった時の感覚で、なにチンタラしてんよおばはん!!って日本語で感じでつぶやいてしまいそうになる。
南米ではイライラしてるときなんかは、結構あからさまに明らかに聞こえるように言っていたけど、日本でそんなんをやったらおばはんに往復ビンタ必至ですね。
あと、今回の文章でもわかると思いますが、もう文章がむっちゃくちゃ。
南米使う日本語は、南米日本人旅行者がほとんど年上やったため、ずっと敬語を使っていた。
そして、いざ日本に帰ってきて友達や親と喋ってるときに、そうっすよ、とか、…ですか?とか普通に敬語をつかってしまった。
ここまで書いて読み直してみると、中途半端にですます調やら関西弁やらもうぐっちゃぐちゃネッチャネチャの言葉で、ほんと申し訳ないっす。
ワードで下書きしているので自動修正がもううっとおしいぐらいばんばんでてくる。
まっ、なんか体がだるいんでまったく直す気はないです…
ってな訳で、無事帰った訳ですが、当分日本社会になれるリハビリが必要なようです。
今後、このブログを続けるかはわからんけど、あと二、三回は旅行最後の出来事を更新しようと思ってます。
旅行はもう終わりましたが、もうしばらくお付き合いください。
そろそろリクナビ登録しないといけないんでしょうかね?
はい、しってます、やばいです、すぐやります、は、はい、今からです。
メキシコおもろかったな~
最後
六日にラパスから26時間のバスに乗り、リマへ。
到着すぐにメキシコ行きのチケットを探し、あわよくば…とかも思っていたが、次の日の早朝の便をゲット。
リマ滞在12時間で、ホテル出発間際にバックパックの中身が足りないことに気づいた。
TC、懐中電灯、マラドーナTシャツ二枚(たぶんそれだけ)が紛失。
もう、訳も分からぬまま出発。
おそらくラパスから国境までのバスで荷物を下に預けた時だ。
最後の最後で、くっそ、くそボリめっ!!
八日の朝に久々メキシコに到着。
なんだかだるくて寝っぱなし。
九日、今日はTC再発行やらお土産屋めぐりやらで大忙し。
で、十日の早朝にダラス経由、成田経由、伊丹で大阪に帰ります。
百里の道は九十九里を以って半ばとす
まあ、ここらへんでやっと半ばといったとこでしょうか。
最後まで気を抜かず帰国します。
さあさあ、パッキングだっ!!
新世界
5日の早朝に6088メートルのワイナポトシにアタックするも、高度順応が不完全だったため、5900メートルで断念。
万全な状況と体調じゃなかったにしろ、やっぱり悔しい。
要リベンジです。
しかし、5000メートルの世界は、まさに未知の世界。
高山病で朦朧とする意識の中見たその世界はなんだかほんとに訳がわからんくらいきれいだった。
明日リマに行って、次の日にメキシコに行って、次の日に日本。
の予定。
あれ、ほんまに帰れるんか??
そーいえば、カーニバル…
ボリビア、ラパスです。
約四ヶ月近くチリ、アルゼンチンを旅行してきて、心身ともに鈍りきった体にはいい意味でも悪い意味でも刺激があって、参ってます。
とにかく、バスがいい加減。
指定席のはずが、何故かインディヘナのおばちゃんが我が物顔で座っていて、絶対に席を退こうとしない。
仕方なく六時間立ちっぱなし。
無視よ、完全無視。
そして、飯が汚い。
まあ、ずっとそんな飯は食ってるわけですが、チリアルゼンチンに比べるとはっきり言って吐き気がするぐらい汚い。
実際、鈍りきって油断も隙もありまくる胃腸には多少刺激が強いように感じます。
といっても、食わなければ死ぬんで食いますよ。
今のところまだ腹部の悲鳴は聞こえません。
でも、そんなこんなを含めてやっぱりボリビアは面白い。
途上国の臭いがプンプンして、早速怪しい気弱な偽警官が出没するわ、格安ドミでおかしなボリビア人に遭遇するわで、暇をさせない演出がにくいです、ボリビア。
そーいや、もう、三月!!
帰国まであと十日!!?
ってか、カーニバル終わっちゃたねぇ。
それが、ほんと参ったよ。
まあ、この話は次の機会に…
とりあえず、ラパスで僕は元気だす。
不発弾を投げ入れろっ!
さてさて、いよいよ、出発しようかしら。
風邪を引いて、完全になるまでゆっくりしてたらもう八泊もしていた。
あっちゃ~。
帰国までを指折り数えてみるとあと二十日しかない。
メキシコの滞在日数があるので、ボリビアで過ごせる時間を考えたら明らかに少なすぎる。
まあ、全て自分が時間を浪費していたせいであるんやけれども。
思った以上に時間がない。
風邪で寝込んでいる時にはっきりもう帰ろう!と思った。
こんなしんどい思いをするのはいやだ。と。
もし空港まで行き30時間近くの飛行機に乗るだけの体力があったなら、迷いもなく帰ってたであろう。
風邪を引いたときは毎度のことのように思ってたけど、今回はいつも以上のきつさと残りの日数がいつも以上に強くそれを願わした。
風邪が治り、今はケロっとしている。
残りの旅を最大限楽しもうと思う。
明日は一度アルゼンチンを経由してボリビア入りする。
アルゼンチンは今回五度めの入国。
どんだけ好きやねん!?って、別に好きでもなんでもなく、パタゴニアやらウルグアイに行くと必然的に一度アルゼンチンに入国、そして、すぐ出国ってのが結構あったから。
さてさて、これから大嫌いなパッキングだ。
寝込んでる間にひっぱり出した荷物が床じゅうに散乱している。
吐き気がしてくる。
どうせなら置いていきたい。
どーせたいしたもんでもないんやし。
は~。
今夜はもう寝るとするか。
どうも、頭が動かない。
なんだか面白みのない文章。
まったくもって不発弾。