こんにちは。
トレイルランナーズ大阪の安藤大です。
皆さんはマラソンなどレースでゴールをして、感動のあまり泣いたことってありますか?
言い換えると、「泣くほど努力したことってありますか?」という問いになります。
今日この話を書くのは、練習生の常楽寺さんが59歳で昨年の姫路城マラソンで人生ベストタイムを出し、3時間以内を達成したときに「ゴールしたときには思わず涙が出ました」と話したから。
目標に向けてよっぽど努力したのだなと思いました。
僕?
レースで感動して泣いたことはありません。
人はいったいどんなときに涙を流すのだろうか?
考えると涙の理由にもいろいろな感情があると思います。
「泣いたことがない」と話しましたが、感動して泣いたことがないだけで、ほかの理由で、悔しくて泣いたことはたくさんあります。
過去を振り返って、ゴールして涙したレースを思い出してみました。
2009 第19回かすみがうらマラソン
2010 第18回ハセツネ(長谷川恒男)カップ
2012 第20回ハセツネ(長谷川恒男)カップ
2013 OSJおんたけウルトラトレイル100km
2015 The Polar Circle Marathon (Greenland) 完走
2016 The most beautiful things 100k (Malaysia/Kota Kinabalu)
2017 Mongolia Sunrise to Sunset 100k
2019 NUTS Ylas Pallas Ultra-Trail 160km(Finland)
結構な数、泣いていますね(笑)
だいたいコテンパンにやられたりDNFしたりしたときが多い。ほかにもあって、すべてはっきりと記憶に残っています。
2009年の「かすみがうらマラソン大会」。人生初めてのマラソンで、それまでは週5で走っていたので、「(4時間では完走できるだろう)」と出場をした。現実は4時間50分もかけてほうぼうの体でゴールをし、後半はあまりのふがいなさに泣きながら走っていた。
この経験を経て7か月後の湘南国際マラソンではサブ4を達成し、3回目のマラソンでは3時間30分で走ることができた。
2013年7月の「OSJおんたけウルトラトレイル100km」。人生で一番泣いたのはこのときかもしれない。深夜0時という不規則な時間帯のスタート、朝まで徹夜勤務のようなランニングに身体が慣れず、事前の下調べ不足でごろごろと石の多いコースであることを知らず、200gの軽量シューズで挑んだところ、63km地点でリタイア。
「今後この場所には絶対に来てはいけない」と誓った収容バスの中。汗のにおいが充満したバスの中は同じくリタイアをしたランナーであふれ、お通夜みたいな雰囲気。
人生初めてDNFをしたのがこの大会だった。
ゴール後は芝生の上で大の字になり、片手で顔を覆い隠しながら号泣していたのをいまでもはっきりと覚えている。
完走してもDNFしても同じレースに2度は参加しないのが僕のポリシーだが、おんたけウルトラには2016年に再チャレンジ、完走をし雪辱を果たしている。よっぽど悔しかったのだと思う。
僕は「孫子(そんし)の兵法」の考えが大好きで、普段のレース戦略はこれを使っている。トレイルランナーズ大阪も孫子の兵法をもとにできている、と言っても過言ではない。
【学び】
「地を知り、天を知らば、勝ちはすなわち全うす」(孫子の兵法「第十 地形編」)
トレイルの大会では気候や天候、その地形を十分に理解しておかなければ、必ず完走の可能性はつかめない。事前に理解しておけば、レース中に窮地に陥ることもない。
事前に勝算を高めるために準備を万全にする。これが負けないうえで重要なことなのだが、このときはその準備を怠ってしまった。直前に『ウルトラトレイル・マウントフジ161km(UTMF)』を楽々と完走できていたが、準備の大切さを痛感した。
ちなみにUTMFを34時間かけてゴールしたときは一滴の涙も出なかった。
2度出場をした『ハセツネ(長谷川恒男)カップ』。この大会は71.5kmの山道を給水所一か所のみ(補給できる水分は1.5L)で完走しなければならず、午後スタートで全選手がナイトランを経験する。明るい時間帯よりも夜の時間帯の方が長い珍しい大会だ。
「無事帰って来れた…」という安堵感からか、この大会だけは毎回ゴールで涙している。「感動の映画」を観るよりも泣けるのがハセツネカップだ。
2016年にマレーシアのコタキナバルで行われた、「The most beautiful things 100km」。途中ミスコースしたり夜にジャングルの中をさまよったり、心身ともに疲労困憊をし、ゴールまであと25kmの地点でリタイアを告げたとき、風が吹きさらしの体育館で、夜どおし待機になった。
街明かり、月明りさえないジャングルの中をさまよう恐怖。いまあるライトが消えたらそこは完全な闇。アジアのレースでは日本とは違ってコース誘導も少ないので、ミスコースしそうになることがよくある。
「こんなに早くに到着をしリタイアしても最終ランナーが通過するまではバスは出発しないよ」と言われたが、まさか夜6時から翌朝6時まで12時間も待機することになるとは思いもしなかった。
体育館の冷たい床で寝ているときに、ランナーが次々と入り出発していく姿を見ると、「生き地獄とはまさにこのことだな」と悔しさとともに涙がこみ上げてきた。12時間も待つことがわかっていれば、這ってでもあと25kmを進んでいたかもしれない。
2017年の「Mongolia Sunrise to Sunset 100k」。下痢・食あたり(食中毒)によりエントリーしていた100kmを42kmの部に変更して完走。
前日に現地の住民がグルメブースを出していて、ヤギのチーズやミルクがあって、同室の日本人ランナー2人から「こんな機会はめったにないから試食してみようよ」という甘い誘いにつられ、一口食べたことが大失敗だった。(ヤギのミルクは怖くて飲まなかった)
その直後から急激な下痢をもよおし、トイレから出ることができない状態が続き、夕食を食べる元気もなく、げっそりとなった。3人とも同じ症状を患ったので、食中毒など感染を起こした(分泌性下痢)のかもしれない。
【学び】
「兵の健康に留意せよ」
下痢や腹痛が続き、体調不良とあってはレースを走れるわけもなく、健康時であれば難なく完走できるレースも不覚を取ることになりかねない。
ノルウェーのトリプルマラソンで、フルマラソンを走った直後にハーフ、ハーフを走り終えて10kmと3種目完走にチャレンジしたとき。このときは笑顔だが、フルを終えた直後に次のレースが控えている事実を受け止めたときには、その絶望感から思わず涙が出た。
2014年にニュージーランドで行われた『タラウェラウルトラマラソン』。サイクロンが大陸に近づく中大会が開催されたが、予報より襲来が早くなり、レース中に木がなぎ倒されそうなほど雨風が強まり怖くて仕方なく、かろうじてゴールをし安堵している姿。
ポーランドで150kmのレースを完走したとき。
フィニッシュしたら「出し切った!」と膝から崩れ落ちて涙を流すような瞬間。
もうすぐ生涯レース戦績100戦になるが、そんな瞬間にはまだ出遭えていない。
そこまでの努力をしていないから、全力を出し切っていないから涙が出ないのだろうとも思う。
まずはそこまで努力したくなるようなレースを探すことから始めなければならない。
ゴールして涙するような瞬間を求めて、それがいまも走り続けている理由かもしれない。
Never Stop Running.
【STEP1】無料メール講座で学ぶ
【STEP2】大阪城公園での練習会やトレイルランイベントに参加する
プロにランニングフォームを見てほしい