とある記事で、「過去に天才達が描いたバラ色の未来像も魅力に満ち溢れていたんだけどね、いつの間にか書き手がいなくなっちゃってた。北斗の拳以降は現実世界を半壊させただけの未来像が定着しちゃってて詰まらない。」という投稿があって、思うところがあってそこに返信しようかと思ったが、言いたいことをつらつら書いていたら想像以上に長文になったため、独立したブログ記事にしてみた。
例えば縄文時代の人が、200年後の人がどのような生活を送っているか想像するだろうと考えると、大半の人が何も変わらず狩猟採集の生活をしていると想像するだろうと思われる。
それを農耕なんていうバラ色の未来を想像できた当時における少数の天才たちが、試行錯誤を繰り返しながら数千年単位の時間をかけて少しずつ変えていった。
このように約二十五万年とも言われている種としての人類が発生してからの期間の大半は、ここ数千年程度の有史に至るまでの約二十数万年間、ほぼ代り映えの無い生活様式を連綿と続けるものであった。
ところが時代が進むにつれて文明の発展速度の様相が変わってくる。
今から200年前の江戸時代の人でさえ、現在の文明を想像できるかと言えばちょと無理だったのではなかろうか。
パソコン、スマホなんかを実際に見せても、妖術の類だと言われて現実のものとは思われないだろう。
でも、そこからたかだか150年後の50年前の人ならどうだったろうと考えてみると、現在の文明を想像するのにそう大きくは外さないだろうと想像できるし、実際大阪万博などの様子を振り返ってみるとそうであったと言える。
先の記事にも書いたが、基本的に科学技術は指数関数的に発展している。
指数関数的というのは、厚さ0.1mmの新聞紙でさえ100回少々折っただけで宇宙の大きさを超えると言う、例のふざけた倍々ゲームのこと。
最初は変化に気付かないほど微小な違いでも、それを積み重ねていくことによって、いつか気が付けば尋常ではない違いとなって現れてくる。
今からおよそ20年後あたりと予想されているシンギュラリティ以降は、文明の発展は人間に取って代わってAIが担うことになる。
人類の頭脳を超える超天才のAIが、そこかしこで24時間休むことなく稼働して、自身よりさらに優秀なAIを改良発展させていく。
その先には人間の貧相な想像力では想像もできない未来の文明が待っている。
そろそろ近未来にシンギュラリティが控えるようになってきた現在の人類には、未来予想図を描くにもいい加減に限界が出てきつつあるのだろうと思われる。
冒頭の人が感じている「いつの間にか」未来予想図を描く人が減ったと思わせる背景には、実際にこのような理由があるのだろう。
これまでは人類自身の手による文明の発展であったからこそ、変化の著しい現在社会でも近未来程度なら人類の想像力で予測可能であったし、その最終局面付近と言えるここ数十年の急速な発展が見せる様は、まさに「バラ色」であったろう。
しかし、文明の発展の主役が人類からAIにパラダイムシフトするシンギュラリティ以降にどのような発展や変化が起こるかについては、我々人類には元より想像の範疇外である。
指数関数的な発展のグラフがそのまま延伸するならば、その発展の速度は驚異的なものになるであろうという事は想像に難くはないが。