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小川健次ブログ

あんなことやこんなこと。考えるヒントと、そのまとめを部分的に切り取ってみる。

付き合いはじめてから、お互いがどの程度成長しているかを考えてみると、その人間関係の位置づけがよくわかる

■お互いがどの程度成長しているか

その相手と付き合いはじめてから、自分がどの程度成長しているかを考えてみると、その人間関係の位置づけがよくわかるもんです。

成長とはもちろん身長や体重のことではなく。
自分の目標への取り組み方、考え方、新たな気付きや学び、具体的なスキル等々、自分の内面や器の大きさとしての成長の度合いのこと。

その人と出会ってからお金の苦労が無くなった。それはそれでいいじゃない。でも、その人がいなくなったらどうするの。
その人との関係を通じて、自分でお金を稼ぐ力を磨けたか、お金以上に価値あると思えるものを生み出す力を養えたか。

その人と出会ってから、毎日がとても楽しくてモティベーションが高まる。それもいい。でもその人がいなくなったらどうするの。
その人との関係を通じて、自分でモティベーションを高める力を磨けたか。行動を起こす勇気を養えたか。

あわせて、同じようにその人があなたと出会ってからどのくらい成長しているかも考えてみる。

その場所が職場なのかスタバなのかイカリスーパーなのか、けしからん街なのか、それがどこだとしても、出逢ったときから今に至るまで、自分がどのくらい成長しているか、相手がどのくらい成長しているか。

お互いが刺激を与えあい、お互いがお互いの成長のための糧になりえていたかどうか。
一方による施しの関係に陥っていないか。一方が一方にのみ寄りかかる関係、もしくはお互いがもたれ合い馴れ合いの関係に陥っていないか。


■マスターマインドの関係性

お互いが成長できる刺激を与え合う、そして成長したお互いがさらに刺激を与え合うことで、お互いからさらに大きな力が生まれる。

1+1=2にするのではなく、1+1=無限大にできる関係性、つまりそれがナポレオン・ヒルが言うところのマスターマインド

あなたが今付き合ってる人はマスターマインドと言える人でしょうか?
あなたが今付き合いたいと考えている人は、マスターマインドになれる人でしょうか?
あなたはそれらの相手にとってマスターマインドになるに相応しい人でしょうか?

ビジネスではもちろんのこと、恋愛や結婚における関係性でも同じこと。

とかく恋愛・結婚は一時の情に流されてしまいがち。若い頃はそれでもいいのでしょうが、これ読んでるそんなに若くない人は、いろいろと大人の計算をするときに、一緒にこういう要素も組み込んで考えると、ハズレを引く可能性がグっと下がるもんです。

いやまあ、人間関係には色んな形があるので、どれが良くて悪いということでもありませんがね。

しかし、ただ何となく生じた関係性を惰性で維持しているだけの関係や、ただ何となく寂しさ紛らわすためだけの関係性を維持することが、自分が死ぬまでに与えられた人生という限られた時間の中で、どんな意味を持っているかを考えてみると、果たしてどうかってことですよ。

馴れ合いもたれ合いが気持ちよくてそれが良ければそれもいい。誰が責めるものでもないし、本人が気持ちいいのが一番。

一方で、お互いが適度な緊張感を感じながらも、互いに刺激し合い、成長し合い、可能性を拡げていけるような関係を望むなら、ときどき自分と相手と、出逢いからこれまでの成長度合いを考えているのもいいかもしれませんわな(^。^)y-.。o○
人間関係の不安と心配の火種は放置しとけば勝手に消える。自分で煽らないガソリン注がない

■火を大きくしてるのは誰でもない自分自身

ちょっとした行き違いで相手に対して不安になったり、気分が悪くなったりすると、その人との関係でのネガティブな面ばかりを思い出すもんです。

ねこ

あの人のこういうところが好きじゃない、あいつはいつもこうだった、あのときだってそうだし、このまえもあんなこと言ってたし・・・。

どうでも良い小さなことまで思い出してイライラ増幅。
しかも自分の中で考え込むから、どんどん深みにはまって、あれもこれも全部が全部が悪く思えるようになってくる。

そして疑心暗鬼。不安が募ったあげくの果てには言わなくてもいいようなことを、黙っておけばいいようなことを、わざわざ相手に言ったり聞いたりして地雷爆発。目も当てられない大惨事。

ホントは最初は小さな小さな火種でしかないのに、放っておけば消えるような小さな小さな火種でしかないのに。
なぜか自分でガソリン注いで、自分でうちわで扇いで、自分で騒いで、自分ですべてを失うという文字通りの一人相撲。

あげくの果てには、これはすべてあいつのせい!どうしてくれるの!許さない!この人でなしめ!
なんだかわからないけど自分の中でムカつき放題。怒り放題。


うん。こういう人おりますわ。ホントに。
もうね、ホントなにやってんだか。っつーかアホでしょ。


だから些細ないさかいがあったら、それはもう放置すべき。
放っておけば消えるような小さな火種。それに構うから火が大きくなって取り返しがつかなくなる。

相手が上司であれ部下であれ、家族であれ彼氏彼女であれ、同じこと。
小さないさかいや、ちょっとした感情のすれ違いくらいのことは、すぐ忘れる。そのことはもう考えない。

考えないようにするためには、とにかく何かやることです。止まっていると否定的な感情が増幅するだけ。

<参考過去記事>
立ち止まるから迷いが生まれる。迷ったときは今すぐやる。


■余計なことしなければやがて火は消える

そうこうしているうちに鎮火します。もともと火種は小さいんだから、自分か誰かがそれを大きな火にしようとしない限り、勝手に消えてなくなります。

たまに野次馬根性丸出しの人がやってきて、その小さな火種を煽ろうとしたりしてくることもありますが、それはガン無視。っつーかそもそもそんな野次馬野郎とは関わらない。

そしてその間は、関連することで相手に余計なことは言わないこと、しないこと。
感情が揺れているときに言う言葉や行動は、だいたいロクなことがない。まさにF1カーへの給油レベルの勢いで燃料注ぐハメになるだけですわ。

<参考過去記事>
言い返しても失うだけ。ときには黙って守ることも必要

とはいえ、一番はコミュニケーション上の行き違いがないように、お互いのことは伝え合うというのは大事っつーのは言うまでもありませんわな。

そして最後は信頼、信用すること。これに尽きるし、これしかない。

たとえコミュニケーション上での行き違いがあろうが、たとえ、コミュニケーションが疎遠になろうが、相手が自分を信じてくれていることを信じることです。

それで人に裏切られることもあるかもしれない。それもいい。その人と縁がないことがわかるんだし、それも大きな学びと経験。ちょっとは傷つくでしょうけど、そんなもんはかすり傷。

まあ人間関係の基本は信用と信頼ってことで、スタートはいつでもそこからしかありませんし。

というわけで、人間関係のことで心の中にくすぶる火種があったなら、それはもう放置。余計なことしなければやがて消える。余計なことして火をでっかくしないことですな。

もちろん、放っておくと大きくなる種類の火もあるので、それはそれで早めに対処ってことで(^。^)y-.。o○
見返りを期待するのではなく、返していることを知れば人間関係はうまくいく

■見返りを期待するからうまくいくものもうまくいかない

何か見返りを期待しながら、誰かの力なろうとしたり、誰かを助けてあげようとすると、だいたいロクなことがない。

まず、目の前のその人のことよりも、期待する見返りが気になるから仕事がやっつけ仕事になる。
期待できる見返りに応じた仕事しかしなくなるってことですな。

それに、期待した見返りが返ってこなかったらどうか。せっかく力を貸してあげたのに、ってな反発感情が生まれるだけでしょ。
せっかく助けたことを相手は喜んでくれているのに、それに水を差すどころか、むしろ何もしなけりゃ良かったなんっつー救いがたい気分になるだけですわ。

だから見返りは期待しないほうが、実は合理的。

もちろん見返りを期待することでモティベーションが上がるし、その結果、仕事の質が上がるというの事実。
褒めてもらえる、給与が上がる、愛される、そんな期待感があればヤル気も湧くというもんです。

とはいえ、それは結局他人が決めること。見返りを返すかどうかは、あなたじゃなくて相手が決める。
だから頑張ったって、見返りなくても文句は言えない。いや、言うことはできるけど、人間関係に亀裂を入れて、はいおしまい。

だったら最初から何も見返りは期待しない。

見返りを期待せず、自分の持ってるものをんで差し出す。すすんで力を尽くす。


■見返りを期待するのではなく、返していると思えばいい

目の前の人の力になりたい、その人を助けたいと、心から思えばいい。全人類相手にそれは無理でも、少なくとも、身近にいる人、大切だと思う人に対しては、見返りなんかを期待しないことですよ。

っつーかそもそも、大切だと思う人が身近にいてくれるだけで、これ以上ないくらいの見返りだっつーの。これ以上相手に求めるんじゃなくて、あんたが返せよと。

相手から期待どおりの答えが返ってこなかったり、期待どおりの動きがないと、ついイライラする。つい、こっちはやってやってんのに、と押し付けがましい感情が生まれる。

そんなときはまず考える。自分が何かをやってあげてるのではなく、自分が日頃相手から受けている恩恵に対しての、見返りを返してるんだと。

だから何も期待しない。
心から相手の力になれること、相手の助けになることにのみ集中すればいいだけです。
それが結果として相手のためになることはもちろん、自分自身の成長につながる。徳が積まれる。悟りへ一歩近づける。


って、うーん
なんか坊さんの法話っぽくなってきた・・・

まあとにかく、見返りを求めない。期待しない。

相手に見返りを期待するのではなく、あなたが相手に見返りを返してるってことを忘れないことです。
あなたの身近な人、あなたの大切な人は、すでにこれ以上ないくらい、あなたに恩恵をもたらしてくれているのですから(^。^)y-.。o○
流行語大賞に「今でしょ」なんて言葉が選ばれている割には、「今」がどのくらい重要なことであるかが、あまり広く語られていないような気もするわけです。

ナポレオン・ヒルは1920年代から、彼の成功哲学の中で、「今」の重要性を説き、その継承者であるw・クレメント・ストーンは『Do it now!』と声高に叫んでいるように、「今」には目標の達成実現を図る上で重要な意味が込められています。

そこで今回は、さんざん語り尽くされた感もありつつも、あえてそのあたりについて、あらためて考えてみました。


立ち止まるから迷いが生まれる。迷ったときは今すぐやる。

■不安や心配は止まっている人の心に芽生える

幸か不幸かわかりませんが、人の思考ってのは止まることがないもんです。それがどんなに下らないことであれ、どんなにアホなことであれ、誰でも必ず何かを考えているもの。

考えるネタが無ければ無いで、それでも何か考える。自分の記憶の中や、近くで目に見えるもの、耳で聞こえるもの、五感を通じて感じる何かを理由に思考は常に動き続けるもんです。

厄介なのは、この手の思考は意図せずともどんどん拡がってしまうということ。論理や根拠はあまり関係ない。とにかく自分の思うことを拠り所にどんどん勝手に広がっていく。

しかも、それは往々にして悪い方向へと拡がっていくからタチが悪い。いやいいんです。悪いほうに拡がるのは、それはそれで自己防衛本能のひとつとも言えるものだから。
誰だって不幸になりたくない。だから悪いことを考えとけば行動を抑制できる。

そう。
明確な目標に拠った意思のある行動をしていないと、余計などうでもいいこと、しかもどちらかというと悪いことを考え始めてしまうもの。

その結果、不安や心配に押しつぶされて、そこから何もしなくなる。別のことに気を奪われて、やるべきことをやらなくなる。疑心暗鬼になって信頼が揺らぎそうになる。

だから今すぐやるんです。

電話一本入れりゃいいのに、いや後で。
そうして時間を空けてるうちに、やっぱ嫌われてかもしれない、避けられてるかもしれない。そんな不安に心が支配されて電話できなくなる。
いずれ思い立って電話してみた頃には「おかけになった番号は~」ってのがオチですよ。

欲しいと思ったら買えばいいのに、いや今じゃない。
そうして時間を空けてるうちに、やっぱ必要ないかもしれない、そんなに価値がないかもしれない。そんな不安に心が支配されて結局手に入れられない。
いずれ思い立って買おうとした頃には、「Sold Out」ってのも誰もが経験するもんです。


■最高の処方箋は今すぐやること

だからとにかく思い立ったらすぐやるんです。
今すぐやるんです。

止まっていると、不安と心配が湧き出してくる。
やがて心が不安と支配に支配され、何もできない。何もしない。そして誰も信用できない。何をやってもうまくいかないのはあいつのせいだ、世の中のせいだ。みんな俺のことなどわかってくれない・・・

となる前に、すぐにやる。

動いていると気分が晴れる。明るくなる。今やっていることを、うまくやろうと積極的な考え方がうまれる。
あの人の力になろうと優しくなれるし、力になってくれる誰かと出会える。
とにかくいいことだらけ。

すぐにやって失敗したら、すぐにやり直せばいいだけですよ。その繰り返しなだけだから。それで失うことに目を向けるより、得られる経験に目を向ければ面白おかしいことだらけ。

そもそも絶対にできないことは迷うことも考えることもないんです。迷うということは、やっても問題がない証拠。だから迷ったときにはやる。しかも今すぐ。

迷わない、止まらない、惑わされない、そのためにはすぐにやる。もうそれだけ。
ごちゃごちゃ言わない。いろいろ考えない。とにかくすぐやれ、今やれ、とっととやれ!

相手に気持ちを伝えたければ、思ったときにすぐ連絡!
欲しいものがあったらすぐにその場でGET!
やるべき仕事は今すぐ取り組む!
アイディアはすぐ形に!
出張の残務処理は帰ったらすぐやれ!(それはオレ)。

まあとにかく、細かいことは置いておいたとしても、その対象が仕事であれ人間関係であれ、不安や心配を少しでも感じるようなことがあれば、それを払拭するための一番の処方箋は今すぐやるってことですわな(^。^)y-.。o○
■中途半端な修正で誤魔化すくらいなら、最初からやり直したほうが近道
積み上げるまでの時間がかかった分だけ、支払ったコストが大きい分だけ、それを台無しにするというのは難しい。

その結果、それを積み上げることが無駄だと理解していても、引き続きコストを支払っても、大きな効果が見込めないのにも関わらず、これまでのプロセスを無駄にしたくないから続けてしまう。

いわゆるサンクコスト(埋没費用)効果として損切りができなくなるやつですな。

だから、それが無駄だとわかっていても、何となく表面だけを取りつくろって辛うじて現状維持を図ろうとしたくなる。
結果大損。目も当てられないくらいの大惨事。

仕事でも人間関係でもそうですな。

せっかく書いた原稿、捨てるのもったいないからと、ちょこちょこ手直しして、さんざん時間かけて書き上げてみたところで、結局何の役にもたたないものが出来上がってしまって後悔したり。

長年付き合った相手だし、せっかく築いた関係だからと表面取り繕って惰性で関係続けてみたけど、結局得るものなしで後悔したり。

だったら早いうちに、一回ぶち壊しにしてゼロベースでやり直すほうが、実は一番効率が良かったりするもんです。

もったいないと言ってる時間が一番もったいないし効率悪い。

覚悟を決めて、えいやっ!と投げ捨てる。それまでの埋没費用を忘れて、どっかに放り投げる勇気を持つ。だってそのほうが結果的にうまくいくことのほうが多いから。

もちろん、テキトーに投げ捨てるのとは意味が違う。
過去のことに捕らわれたり目先の損得に拘泥したりしていて、思った以上に先に進まないなら、中途半端な修正で誤魔化すよりも、最初からやり直したほうが早いというだけ。

とりあえず先に進むのに行き詰っているものがあるのなら、一端すべて捨てる覚悟で最初からやり直してみることでしょうな(^。^)y-.。o○
泣くから笑える。夜がくるから朝がくる。

■泣くのは経験を積んでる証拠

心が傷ついたところで、大して困ることなんかありませんよ。
いやまあ、そんときは立ち直れないくらい落ち込むでしょうが、時が過ぎれば必ず立ち直れる。

今の今までだって、誰でも何度も傷ついて、何度も立ち直ってきたんだから。

傷ついて落ち込むのはいい。泣くのだってしょうがない。だって傷ついてんだから。悔しいし悲しいし切ないんだから。

でも時が過ぎれば、それもいい経験。経験は金では買えませんよ。まあ金で買う経験もありますが、それはそれ。

それに何より傷ついた経験はおいしいネタ。自己成長のための動機づけ。自己紹介のための掴みなどなど、いろいろネタになる。

もっと言えば、傷けてくれた相手には、そのおかげで恨み骨髄100倍返しのモティベーションが生まれるってことで、後になったら感謝感激。
とはいえ、この場合はホントに100倍返しでないと傷も癒えないので諸刃の剣。

要するに、失敗したり逆境に陥ったりすることで、傷ついたり凹んだりすることを恐れていても意味がない。だってやがて傷は癒えるし、立ち直れるんだから。

もちろん失敗して失うこともあるかもしれない。それにしたって本当に取り返しのつかないことなのか。どうやっても逆立ちしても、永遠にどうしようもないことなのか。


■陽はまた昇る

実際そんなことはないでしょう。だいたい本当に失って困るものがあるんであれば、そもそも迷わないし恐れない。迷うことも恐れることもなく、何もしないと即座に判断してますよ。

泣きたきゃ泣けばいいし。凹みたきゃ凹めばいいんです。必ず後で笑える日が来ることさえ忘れなければ、心は折れない。失ったものだって必ず取り戻せる。それに泣いたぶんだけ凹んだぶんだけすっきりして気も晴れる。

泣いたって凹んだってそれでいい。
何度でもボロ雑巾みたいなったっていいじゃないですか。いや、やっぱ何度もはイヤだけど。それでも過ぎてしまえば笑い話しのいい経験。

僕も考えてみれば何度ボロ雑巾のようになり、枕を涙で濡らし、酒浸りに陥ったことか。っつーか今でもそうなりそうな毎日ですがね。が、それがいい。その緊張感がたまんねーぜ。こんちくしょー。

夜は必ず朝になる。陽はまた昇る。明日も明後日も。雪はとけて春になる。何もしなけりゃ何もない未来。泣いて凹むようなことがあれば、それはむしろ後で笑って過ごせる未来になるってことですわ。

なのでウジウジといろいろごちゃごちゃ考えてるくらいなら、とっとと酒飲んで泣いて寝ちまえって。そしたら切り替える。今日の凹んだ話しは明日の笑い話し。すっきり切り替えてまた全力疾走ってことですな(^。^)y-.。o○
相手のことを気にかけられる余裕ある優しさを持つことが、思いを伝える絶対必要条件

■心のチャンネルが合わないと、会話のチャンネルも合わない

自分の伝えたいことを言っているはずなのに、そこに思いもこれでもかというほど込めているはずなのに、伝わらない。
いや、言ってることは理解してもらえてるんだろけど、何か腑に落ちてる感じがしない。

その理由はまあいろいろありますわ。

単に話しがつまらない。あんたが嫌いなだけ。まじうざい。などなど。

が、ほとんどの場合はそれ以前の話し。
いつもそうですが、こういう場合は表面上の理由をあれこれ考える前に、その前提を疑うということがポイントですわ。

つまりは、心のチャンネルが合ってないというただそれだけのこと。

サッカーW杯中継で盛り上がってるスポーツバーに言って、ドラクエの効率的なレベル上げ方法を説いたところで誰も聞きやしませんよ。

心のチャンネルが他と合ってるとき、他に向かって電波出してるときに、無理矢理電波ジャックしようとしたところで、受け入れてもらえるわけがない。
そんなときは、自己開示だろうが、労りの言葉だろうが、愛のささやきだろうが言うだけ無駄。

だからまずはチャンネル合わせる。話しはそれからですよ。
合わせるといってもそんな難しいことじゃない。


■そのときが勝負でそれ以外のときは何もしない

人の心にはゆらぎがある。だから一つのチャンネルで固定されていることはない。そのゆらきを観察していれば、必ず電波がこちらに向いているときがどこかにある。こちらに真正面から向いていなくても、同じ方向に向かっているときがある。

そしてチャンネル合ってるときにこそ勝負をかける。思いを伝える、言うべきことを言う、提案、報告をする。

そのタイミングを見落とさない。逆に言えばそのタイミング以外には余計なことしない。変に余計なこと言うと薮をつつくことになる危険大。
とはいえたまには軽くつついとかないと、忘れられることもあるので、蛇が出てこない程度には何かしたほうがよいですがね。

つまりはタイミングを見計らうことです。

そのためにも相手のことをよく見ること。知ること。気にかけること。そしてときにはひたすら待つ。っつーかその程度の間合いを保とうということもせず、ただ自分の都合で自分の考え押し付けようなんて人の話しは、そもそも誰も聞きませんよ。

もちろん緊急事態で待ってる場合じゃないときは例外。

つまるところ、あの手この手の説得術なんてのはチャンネルを合わせたそのあとの話し。チャンネル合わせるという大前提がなきゃ、小手先テクニックなんてクソの役にも立ちませんよ。

ベタな話しですが、常に相手のことを気にかけられる、そんな余裕のある優しさを持つことこそが、思いをただしく伝えるための基本中の基本であり、絶対必要条件だということなのでしょうな(^。^)y-.。o○
できないことをできるようになるから成長できるし、自分の可能性が拡がる

■ブレイクスルーはずっと続けるもん

できることをやっているときってのは何らストレスを感じない。
だってそりゃ当り前のことだから。
できないことをやるから、自分にとって耐える必要のあることだからストレスを感じるもんですわ。

言ってみれば、しんどいと感じるのは変化の兆し。抵抗は成長している実感。自分のキャパシティを拡大しているという証拠でもあるわけですな。

ストレスを感じてそれを乗り越えるからできないことができるようになる。しんどいことに耐えるからそれを許容できるほどに器が拡がるもんです。

つまりはそれがチャレンジというやつでしょう。
そしてチャレンジの結果が成長に繋がるというものです。

それに、そこで終わりじゃない。例え成長できたとしても、今度はそこが当たり前の世界になる。そこから先へ先へと続けていくから、継続的に達成感や充実感を感じられるということで。

結局のところ、このループを続けられるかどうか、それが日々達成感と充実感を味わえる人とそうでない人との違いなのでしょう。

自分の世界を拡大したいと思うなら、そこから表に出ない限りはずっとその中だけなんです。

あれこれ考えてみるのはいいけども、現実を直視したときに、無理と思って留まってしまえばそれは永遠に拡がらない。


■逃げるのはいつでもできる

とはいえ、それも途中で逃げ出したら何も得るものなし。せめて得られるものと言えば「逃げグセ」くらいなもんですわ。
逃げれば大丈夫。逃げれば不安はない。この間も逃げたし、次も逃げられる。じゃあ逃げちゃえ、みたいな。

そして結局同じことの堂々巡り。
自分のキャパシティを拡大したいと思っても、自分ができることだけ、自分が耐えられることだけやったところで、そりゃ最初から何も変わりませんがな。だって同じことの繰り返しなだけだから。

何か考えたり、何かやっているようでも何も変わらない、なんだか動き回っているようで全然前に進んでない。そんなときはだいたいこのパターン。


結局どっかで乗り越えなきゃならんのですよ。

今までと同じ発想、同じ考え方、同じ行動からは同じ結果しか生まれない。そしてそこからブレイクスルーしようと思ったところで、逃げるんだったら何もしないほうがマシ。最初からしんどい思いもしなくていんだし。現状に満足してればそれでいいんです。

現状に満足することが悪いことだとは思いませんがね。心からそう思えることは、それはそれで凄いと思うし羨ましい。だからどちらが良くて悪いということじゃない。

自分がどっちが好きかどうかってことでしょう。現状を維持する自分がいいのか、チャレンジして自分の可能性を拡大したいのか。

その上で、自分の可能性を拡大したいなら、ストレス感じようが、しんどいと思おうが逃げないことです。

繰り返しますが、ストレス感じたりしんどいと思ったりすることは、自分が成長している、自分の器が拡大している証拠ですよ。

そこでちょっと凹んだくらい、ちょっと不安を感じたくらいで逃げ出すな。


逃げるのなんかいつだってできるんです。今だって明日だって一年後だって。が、チャレンジできる機会は加齢とともに減っていく。歳を重ねるほとに試練に立ち向かう機会は減少していくもんですよ。

こういう言い方も語弊があるかもしれませんが、しんどいとか苦しいとか、ストレスが大変だとか言ってる割に、三食食えて、雨風しのげて、マウスかスマホ片手に、こんなブログ読んでんだから、

実 は ま だ ま だ 余 裕 あ る で し ょ 。


ということで日々自己成長のためのチャレンジ、何か一つでも今までできなかったこと、今までもっていなかった考え方、無理だと思っていた何かに取り組み続けたいですな。逃げずに(^。^)y-.。o○
コミュニケーション・テクニックなんて役にたつわけないでしょ

少し釣り気味のタイトルですが、まあそういうことです。
とはいえ、完全に役にたたないかといえば、そういう意味ではなくて、基本的な前提を踏まえなければ役にたたないという話し。

誰もがわかっちゃいる話しではあるのですが、つい性急な成果をのみ期待して、テクニック論にのみ走り、結果いろいろ学んだけど何も得られない、という悪循環に陥らないようにという意味で。

少しばかりの自戒も込めながら。


■説得力は言葉にではなく、行動と結果にのみ宿る

何を言うかではなく、誰が言うか。何をするかではなく、誰がするか。
とってつけたテクニックなんてのは実のところあまり意味がなくて、重要なことは日頃の行動と結果の積み重ね。

こうなったら、ああする。ああ言われたら、こう返す。みたいなコミュニケーションのセオリーのような表層的なやつ。つまりはハウツーってのは実のところあまり役にたたない。

いや、別にそれが嫌いだとか不必要ということではないですよ。
時にそれが紙一重の勝負を分けることになることもあるし、時に窮地を脱するきっかけになることもある。それに効率を高めてもくれる。

でもそれって、土台が、基礎が日々の積み重ねによってできているから。

野球やったことないやつが、配球について勉強してピッチングしたところで何の意味もありませんよ。まずストライクゾーンに投げろよ。変化球覚えろよ。そのための下半身と肩作れよ。というのは当たり前。

同じように、いくらコミュニケーションの技術を身に付けようが、人として疑われるような言動をしてるヤツなんか好きになるどころか、信頼すらされない。

手練手管で他人を説得しようとしたところで、人なんてそう簡単に動きませんよ。
いや、まぁ実は動かせないことはない。しかしそれは奇術の類。そのタネはいずれ明かされ魔法は解ける。結果しらけて元通り。

本当に相手の心を動かして、信頼を得たいと思うなら、それは日々の行動と結果によって生まれる説得力に頼るしかないでしょう。


■日々の行動と結果の積み上げ

何もしてない人間が、もしくは見るからに怪しげな人間が、言い回しだの所作だのって、こざかしいテクニック論を持ち出したところでどうにもなりませんよ。そもそも役にたたない。

だから結局は日常の思考と行動の積み上げでしかないんです。

パッと見でテクニックを知っただけで、大きく人生変えたような人もいますが、そういう人は日頃の積み重ねがあったから。テクニックはきっかけですよ。

そして、そのテクニックとやらは、付け焼刃で何でもかんでも身に付ければいいのかといえばそうでもない。
やはりそこは自分が抱いている明確な目標に対して、それを達成実現するために必要かどうかの取捨選択も必要になりますわな。

つまるところ、明確な目標の達成実現に向けて、日々たゆまぬ努力と成長を続けていれば、結果が自然についてくる。その結果に応じて他人からの信頼や信用が得られ、言葉に説得力が宿るということですな。

もちろんその過程による前提があるならば、さまざまなテクニックというものも、その効果を存分に発揮することができるのでしょうな(^。^)y-.。o○
結果を出しているのに評価されない人と、結果が伴わなくても評価される人の違い

■評価基準は期待値に対する相対値

他人からの評価というものは、往々にして絶対値によるものではなく、期待値対する相対値によるものである場合がほとんど。

期待された結果を上回れば評価されるし、期待された結果を下回れば評価されない。

80点だったAさん。
ちょっと何やってんのよ。がっかりだわ。しかりしろよ。ダメじゃん。まあ極端ですがそんな評価です。

一方で60点だったBさん。
すごーい。やるじゃん。イケてる。抱いて欲しい。とまあこれも極端ですがこんな評価をされるわけです。

なぜ高得点だったAさんの評価が低く、Aさんより点数の低いBさんの評価が高いのか。
理由は簡単で、Aさんは100点を期待されていて、Bさんは40点を期待されていたから。

つまり
Aさんの実質評価は 実績80-期待100=マイナス20
Bさんの実質評価は 実績60-期待 40=プラス 20

ということで実質評価の高いBさんが評価されるというのが、この場合は自然なわけです。


■大きく見せるだけハードルが高くなる

なので、無駄に自分を大きく見せようとしたところで、そこに実績が伴わなければ、ガッカリされるだけ、評価も急降下ってことです。

逆に等身大の自分を正確に相手に伝え、そこから生まれる期待に対して実績が上回れば評価も高くなる。

エラそーなこと言いまくり、自分はスゴイんだと飾りまくり、付き合ってみたら、あれ、こいつちょっと違くね、と思われたときの評価の急降下っぷりは目も当てられないほど。

日頃から偉ぶらず、謙虚でいながらも、ちょっとしたときに実力見せられると、それがさほど大したことなくても、おぉこの人すごいっと評価も上がっていくもんです。

言うまでもなく、一番ベストなのは高いレベルでさんざん期待をしてもらい、毎回その期待を上回ることをやる。毎回ぐうの音も出ないくらいの結果を残す。それが一番いいのはまあ当然。

とはいえ現実にはそうそう全てうまくいくものでもない。だから期待はしてもらうにしても、それはあくまでも等身大のレベルにしてもらう。


■評価の基準を合わせる

やってもやっても評価されない。結果を出しているはずなのに苦しい。
他の人よりやってるはずなのに、自分はスルーで他の人は評価されている。

その場合は自分に課された期待値と、自分のできるレベルが一致しているかを要再確認。
できもしないことを期待されていても、それは無理。かと言って楽勝でできるレベルの期待値を設定されても自分のレベルが下がるだけ。

もちろん、やっても評価されないというのは、別の見方でそれだけ期待が大きいということでもありますな。

全力尽くして、限界を数パーセントでも超えたところに期待値を設定する。そこでお互いが合致できれば評価も正当なものになるはずです。

そいういう意味ではいつもテーマに出てくる自己開示。自分のことは可能な限り相手に伝える。
そして相手の自己開示の促進。相手の考えは可能な限り伝えてもらう。
その上で合致できるポイントを見つければいい。

評価は絶対値ではなく、期待値に対する相対値。
100を期待されれば100は当然、101からが評価の対象。50の期待であれば51でも評価をされる。

そのポイントを押さえておくだけで、評価されたりされなかったりで、一喜一憂することなんてなくなりますわ。
自分が評価者である場合も、評価の基準をはっきりできるので、不審がられるってこともない。

とはいえ、期待するほうも期待されるほうも、その期待は常に大きく、そして結果は必ず大きいというのが一番ということに変わりはありませんがね(^。^)y-.。o○