小川健次ブログ

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あんなことやこんなこと。考えるヒントと、そのまとめを部分的に切り取ってみる。

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誰を笑顔にできるかを想像してみると、自然と迷いはなくなる

■他人の笑顔で幸福を感じるか

自分がそれをやるべきかどうか。どの道を選択すべきか。迷うことってのは誰にでも少なからずありますわな。

それが些細なことであれ、人生を左右するような大きな事柄であれ。

まあ言ってしまえば、どっちを選ぼうか未来の結果なんか誰にもわからないんだし、直観でもなんでもスパッと決めてしまえばいいんですがね。

とはいえ、なかなかそうもいかないということもある。

自分がそこに確信を持てないとき。いやまあ確信なんて持とうと決意しなけりゃずっと持つことなんかできませんわ。

しかしそれでも、なかなかどうしてその選択に、自信を持てないとき。

そんなときは、身近な誰か。大切な人の顔を思い浮かべてみるのも一つの方法。

どちらの選択が、その人を笑顔にできるのか。その人を幸せにできるのか。
そしてもう一つ。重要なことは、その選択によって、喜ぶ相手の幸せそうな笑顔を見ていて、自分自身が幸せだと感じることができるかどうか。

別に他人の顔色うかがう必要なんかありません。
それがどんなに身近で大切な人だと言ったところで、他人は他人。自分じゃない。なのでその相手の人生に乗っかるという意味じゃないですよ。

重要なのはその人の笑顔を見ることが、自分の保身ではなく、幸福につながるかどうか。その幸福感を味わいたいと思うかどうかですわ。


■他人の笑顔で幸福を感じるか

自分のその選択で笑って喜んでくれるのは誰ですか?
その人が笑って喜ぶ顔を、幸福そうな顔を見ているあなたは幸福ですか?

そんな基準で考えてみるだけです。もちろん自分基準で決められればそれが一番。
それでも迷うなら、ちょっと大切な誰かの顔を思い出してみればいい。

それが身近な家族でも、恋人でも、職場の仲間でも、ご縁MAPの一番上に書いた人でも誰でもいい。
あなたにとって、その人の笑顔を見ることに幸福を感じる相手です。

選択に迷ったときはもちろんのこと、自分の歩く道に迷ったとき、前進する意欲が萎えているときでも同じこと。

人類のためだとか、地球のためだとか、みんなのためとか考えんのも悪くはありませんが、それだと焦点がボヤけてよくわからなくなる。

それより身近で大切だと思う、特定個人の顔を思い浮かべて、その人の笑顔のため、その人の喜ぶ顔を見るためと考えたほうがわかりやすいし、意欲が湧くってもんですよ。

身近で大切な誰かが笑って喜んでくれると思えるだけで、迷いなんて断ち切れるし、前に進みたくなる。

誰だって、自分の大切な人が笑う顔、喜ぶ顔を見たいと思うもんです。そしてそれが見ることができたとき、ホッとする安心感が得られるし、そこに幸福感を感じるもんです。

その感覚を味わいたいという、素直な動機に従ってみれば、おのずと進む道も見えるし、進もうという意欲も湧いてくるもんですわな(^。^)y-.。o○
どうにもならないことにクヨクヨするのは百害あって一利なし

■くよくよする前に考えることあるでしょ

度合いと程度の問題ですが、適当なとこで割り切って、綺麗さっぱり切り替えることも時には必要でしょ。


大切な相手との待ち合わせ場所まで電車で30分。
でも電車に乗れたのは待ち合わせ時間の5分前。

こんなのはどうしたって遅刻確定ですよ。
諦めないとか言っても無駄。だってもう無理無理無理なんだから。

にも関わらず、電車の中でイライラしまくり。早く着かないかとドキドキしまくり。相手に迷惑かけたとくよくよしまくり。さらにそこで踏み切り事故で電車が止まろうものなら血管ブチ切れて卒倒する。

意味ないでしょ。そんなの全然。疲れるだけだし。
そのイライラしているエネルギーはもっと別のことに向けるべきです。

遅刻するという事実は揺るがないんだから、その分相手をどうやってフォローして穴埋めして、リカバリーするかを考えればいいんです。というよりそれしかないでしょ。

もっと言えば焦って待ち合わせ時間5分前の電車に乗るより、それに乗っても無駄だと悟って、まずは相手に一本遅れる旨の連絡入れればいいだけですよ。

どうにもこうにもならないことはあるんです。もちろん、そうならないように準備を万端にし、常に最善を尽くそうとすることは当たり前。言うのもバカバカしいくらいですわ。

一方で最善尽くそうが、どうにもならないことも必ず起こる。天変地異や不慮の事故はもちろん、小さなうっかりミスもするでしょう。人間だから。

大事なのはそのときに、どう対応するか。
どう現実と向き合い、適切な落としどころをみつけて、そこに落ち着かせることができるか。

どうにもならないことに直面したときに、自分を責めてうなだれても意味はないでしょ。
起こった出来事に右往左往して、その責任者を責めたてたところで、問題の解決にはなりませんよ。

改善のための建設的な反省は大事ですが、それは目の前の問題が落ち着くべきところに落ち着いてからあれこれ考えればいいことですよ。

起こったこと、起こりうることを、まずはあるがままに受け容れ、その中で現実的な対応を考えるほうが、イライラしたりカッカするよりも、はるかに生産的で建設的。

焦っているときほど、想定外のことが起こったときほど、ほんの数秒でいいんです。まず立ち止まって考えてみる。それは自分に対処できることなのだろうかと。対処するために最善の方法は見つけられそうだろうかと。


■粛々と現実に対応するしかない

それでも、現実的な対応がみつからないほど本当にどうにもならないこともある。力を尽くしたところで、それでも最後は自分の力の及ばないこともある。

そんときゃもう手放す。それしかない。

<参考過去記事>
信頼信用しているからこそ手放せる


何やったってできない、どうにもならないことはある。
ルーレットがまわりはじめたら、もう身を任せるしかないんです。あとは出た目に対して冷静かつ適切な対応でのぞむしかない。

伝えても伝わらない相手はいるし、関わるだけで有害なアホもいる。自分が全力を尽くしたところで、自分の力が及ばないレベルの事情で結果に結びつかないことはある。

まぁクソ真面目にいろいろ考え込んだり自分を責めたりすのも結構ですがね。
それにしたって自分じゃどうにもこうにもならないことにイライラすることほど、無意味で無価値なこともないでしょう。

そんなことして前に進むんならそれもいいのでしょうが、それって結局は思考と行動を止める原因にしかなりませんから。

だから割り切って起こりうる現実に粛々と対処するんです。
くよくよ、イライラして、それに引きずられ、起こった出来事への対応を誤るのが最悪のパターン。

もちろん、くよくよ、イライラしないでいられるためには、自分が全力を尽くしていて、やれることはやり切っているかどうかが重要ですがね。

いずれにしても、過去に戻ることはできない以上、目の前の問題に真正面からドーンとぶつかっていくだけですわ(^。^)y-.。o○
うまくいくのが好きだからうまくいくし、失敗するのが好きだから失敗する

■好きでしょ、失敗するの。

失敗する理由を考えるのも、うまくいく理由を考えるのも、別に負担は変わらないし。お金がかかるわけじゃない。だったら得のほう考えたほうがいい。

失敗したときのことばかり考える人ってのは、言っちゃ悪いけど失敗を望んでるんです。

失敗することばかり考えているから、その失敗がいつ訪れるか、いつやってくるかを心待ちにしているんです。
だから実際に失敗するまで、不安や恐れからは逃れられない。

実際に失敗するまで安心できないんです。

仮に成功したところで、いや、これはたまたまだ。これが本当の結果じゃない。この成功はやがて終わる。そして失敗して俺は打ちのめされるのだ。

もうね。不安と心配がないと落ち着かない。

だから放っておきゃいいようなことでも、いちいち反応して、あーでもないこーでもないと騒ぎ立てる。
痛くも痒くもないような小さな出来事ひとつで、この世の終わりが訪れたかのように悲観に暮れる。

そして失敗すると例外なくこう言うのがお約束。

そら見ろ!思ったとおり失敗したじゃないか!
こうなることは最初からわかってたんだ!

って、おい。そりゃあんたが失敗を望んでたからでしょうが。しかもどうすれば失敗するかを懸命に考えてる。そりゃ思考と行動は失敗に向かってまっしぐらでしょ。

失敗する理由をわざわざ見つけてきて、実際に失敗するように自分をそっちに向けて動かしたのはあんた以外にいませんよ。

だからうまくいく前提、成功する前提ですべて考えればいいんです。
もちろん最低限のリスクヘッジは必要ですよ。でもそれは失敗を前提にするのではなく、成功への道のりをより万全にするため。


■意味付けと解釈は前提で変わる

うまくいって当然。成功して当然。
なぜ自分はこんなにうまくいくのか。なぜ自分はやることなすことすべて成功するのか。うまくいく、成功する理由を考えればいいじゃないですか。

順風満帆なときは小石でけつまずいたって、あ、これってさらに良くなる予感!とか勝手に解釈するじゃないですか。逆にうまくいってないときは、けつまづいたのは不幸になる予感!と勝手に不安になりはじめる。

人間関係でも同じこと。
うまくいってりゃ、お互い連絡がなくても信頼し合ってる証拠、とか言ってるくせに、うまくいかなくなると、連絡ないのは心が離れているからだ、と勝手な文句を言い始める。

要するに意味づけと解釈なんです。起こったことは客観的に測定可能な事象云々に関わらず、自分の意味づけと解釈によってどうとでも変わるんです。

<参考過去記事>
傷つけるのは自分自身。傷つけることができるのも自分自身

そしてその解釈の前提は、うまくいくと思っているか、失敗すると思っているか。

その場そのときの解釈の仕方は気分によって変わるもの。でも大前提として絶対にうまくいく、成功して当然と思っていれば根っこが揺らぐことはない。

大前提で、やっぱりうまくいかないだろう、失敗するに違いない。そう思ってれば結局それが根っこである以上、見えるもの感じるもの、そのすべての意味づけと解釈は、失敗の原因と不幸になる理由ですよ。

仕事、人間関係、趣味、など。それが何であれ、物事に取り組むときには、それが絶対に成し遂げられるという前提で考えればいいだけです。

そもそも本当にできないことなら、やろうとも思わない。
せっかくやるからには成功して当然と思っていいし、そう思う権利は誰にだってある。そしてそう思うからこそ、うまくいく、成功するってことですわ。

今日のあなたはうまくいく。
うまくいって当然。僕が言うんだから間違いない。いや、間違えることもよくある。でもそんなの知ったことじゃない。うまくいくと決めたらうまくいく。だってうまくやれる人だし、その力のある人なんだから。

それを信じて今日一日を過ごしてみるだけで、見えるものも感じるものも変わるもんですわ(^。^)y-.。o○
つながりを感じることができる人との出逢いは、インスピレーションに従ってみるといい

■その人のことが大切な理由

いわゆる損得はもちろん、面白いとか、安心できる、学びがある、性的な魅力を感じるなど、大切だと思う人には何かがある。

もちろんそれはそれでいい。大切な人は誰にでもいるし、必要だし、いなきゃいけない。いや、いなくてもいいけど、いたほうが何かと都合がいい。

そして大切な理由も人それぞれ。

その中でも特に『つながり』を感じることができる人ってのが結構大事だったりするわけです。

つながりと一言で言っても、ニュアンスの問題なのでなかなか伝わりずらいとは思いますが、まあ、つながりですよ。つながり。

縁ともまたちょっと違う。あ、この人とはつながってんなあ、とインスピレーションで思うこと。あ、この人と切れることはないだろうなあ、と感じるイメージ。

すぐ近くにはいないけど、近くにいるような感じ。あまり話をすることもないけど、でもなんとなくお互いを認め合えるようなイメージ。

言っときますが、男女の恋愛の話しじゃない。
細かく言えばそれもあるけど、この場合はそういう狭い範囲での意味に限った話しではなくて、人として。性別年齢国籍に関わらずそう感じること。

何やら、らしくなくスピっぽい話しになってますが、それともちょい違う。そっち系の方にしてみれば、それは前世がうんたらかんたらになるのでしょうが、そういうのはここではスルー。

むしろ潜在意識下で求めるものが、どこかで触れ合って顕在化するというところでしょうか。
ってかその話はその話しで重要なことなではあるのですが、長くなるのと、話しがあちこちいきすぎるので別でやります。


■自分の感覚に従ってみれば結果的にうまくいく

出逢ったばかりの相手はちろんですが、前から知ってる相手であっても、ある日あるときインスピレーションで感じることがある。その機会はそう多くはないが、そういう感覚は誰でも味わったことがあるはず。

面白いもので、そのときのインスピレーションってのはだいたい間違ってないもんです。


そのときに、直観的にこの人とはつながってるなあと思う相手は、往々にして自分に対して肯定的な刺激を与えてくれるだけでなく、重要なパートナーになる場合が多い。って、これはあくまで僕の経験則。


逆に、性格だの経歴、見た目や資産、何ができて何ができないか、あれこれ観察して検討して、少なからず打算的な動機を基に付き合い始めた相手とは、結果的にうまくいかないことが多い。

気づけば泥沼。こんなはずじゃなかったのに・・・みたいな。ちなみにこれも経験則。


経験則ついでに考えてみると、いや考える必要もなく、僕にとっても、やっぱり『つながり』を感じる相手が一番大切な人です。

もちろんそれは損得抜きだし、相手がどんな立場だろうが男だろうが女だろうが、地球外生命体だろうが、異次元からの来訪者だろうが、基本的には揺るがない。
っつーか、今の時点では異次元からの来訪者か、地球外生命体に知り合いはいませんがね。


さらについで、
というか念のために勘違いがないように言っておくと、この記事読んで、


「あら、小川くんは私につながりを感じてくれてるのね」
「小川がこうやって俺のこと書いてくれるとは照れるなあ」


と、何だかよくわからない勝手な解釈している、僕と接したことのあるあなたには、以下の言葉を贈っておきます。



自 意 識 過 剰 す ぎ ん だ ろ (゚ Д゚ ) 9



とまあ、人間関係なんて、結局のところ付き合ってみないとわかりませんからねえ。失敗もすれば成功もする。こればっかりはわからない。

なので、出逢ったときのインスピレーション。つながりを感じたときの感覚に従ってみるのも悪くない。あれこれ考えたって失敗するなら、自分の感覚信じてみればいい。

誰だってこれまでの経験を振り返ってみながら、自分にとって大切な人を思い起してみると、やはりどこかで打算とは違う、何かつながりを感じるインスピレーションを与えてくれた相手だっりするもんです。

初めて会う誰かはもちろん、今まで知ってた誰かでも、顔合わせたときや声を聞いたとき、直観的につながりを感じることがあったなら、損得なんてセコいこと考えずに、その人との関係性を大事にしてみるといいかもしれませんな(^。^)y-.。o○
嫌われることを恐れない人だから嫌われない。

■ときには決裂も覚悟

自分の決めた道を進もうとするならば、ときにこれまで自分のことを好きでいてくれた人から、嫌いになられる覚悟をせにゃならんときってのはありますわな。

自分の価値観と相手の価値観がぶつかるとき。自分の信念と相手の信念とがぶつかったとき。

こりゃもうしょうがない。だって人それぞれ。家族だろうが恋人だろうが親友だろうが他人は他人。俺とは違うあんたの人生。みんな違ってみんないい。

そんときは勇気というより覚悟ですな。もう嫌われる。それでいい。価値観違うし信念合わないし、そもそも違ってた。さようなら。
決裂の覚悟ですよ。

もちろんわざわざ決裂させる必要はないし、わかってもらえるよう最善を尽くすのは当然のこと。
それでも決裂を覚悟せにゃならんときはある。

結果的に決裂に至ったとしても、そのときの自分の判断と行動が、自己保身や自分の利益のみを考えたものでなければいい。

本当に心から自分の信念に従って、見返りを期待せずに正しいと信じた上での行動であるならば、いずれ相手はわかってくれるし、その覚悟と行動は必ず評価される。


■嫌われて損することは何か?

一時的には嫌われた、その場は決裂したとしても、いつか必ずわかってくれる。

だって一時的にぶつかって、それで決裂したとしたって、自分を信じて覚悟を持って行動できる人だもん。それ以外のことならば信頼できるし好かれますよ。フツーに。

その事案に限ってはお互い譲歩できなかったとしても、他のことや時期が変われば合うこともあるし、信頼し合える。

一方で、それが単なる自己保身や自己都合を目的としたものであれば、その場であっさり嫌われる。

おまけにその後も永遠にさようなら。だって自分の考えよりも、その場の空気と思いつき、自己保身を優先する人なら、いつ自分が売られるかと不安に思うし、おっかないでしょ。そんな人と関わるのは。

どんな道であれ、一番大きな障害となりえるのは、いつだって、他人の目を気にしてしまう自分の弱さ。

何となく周りの空気に同調したり、自分を殺して相手に合わせてしまう。決裂を恐れ、嫌われるのを恐れ、自分の進みたい道を放棄してしまう。

まあそれはそれでいいんですけどね。それを望むなら。

でも世の中で成功している人、うまく言っている人ってのは、だいたいどこでも人と衝突してますよ。そして決裂もたくさんしているもんです。

それでも憎まれない。嫌われない。そりゃ本当にそうしようと思って信念でそうしているから。自己保身ではなく己の志のために確信持ってそうしているから、信用できるし信頼できる。

嫌われることを恐れない人だから結果的に嫌われないってことですわな。

ゴリ押しの自己主張なんかする必要はない。そんなのはそれこそその人のキャラによってできるできないがある。

ただその場の空気に同調する前に、自分を殺してしまう前に、ちょっと一息ついて考えてみればいいん。
そこで自分のやりたいことを主張して、何がマイナスになるのか?と。

それほど大して損することなんかないですよ。上にも書いたようにむしろそれは信頼を得る要素になるほうが大きいでししょ。

そして何より自分の進みたい道、手に入れるものを放棄するのとどっちが損かってことですわな(^。^)y-.。o○
あなたが愛を注ぐように、相手もあなたに愛を注ごうとしている

■返ってきているのはあなたが注いだ分だけの愛

それがどんな形であれ、周りの人のあなたへの接し方の根底にあるのは愛であることがほとんど。ただその表現の仕方がちょっとズレる場合が多いので、お互いイラつくことがあるってのが問題なだけですよ。

まあそもそも、毎日の生活の中で、関わる人のほとんどすべてが、あなたの不幸を望んでない。いや、別に幸福も望んでないかもしれませんが、少なくとも不幸は望んでないのは間違いない。

だって、ある日あなたが孤独死して発見されたなんてニュースで見たら目覚め悪いでしょ。それがあまり知らない相手だったとしたって嫌ですわ。誰だって。

っていうのはちょっと例がオーバーですが、ホントは他人の不幸を心から望んでいて、心からの悪意を持つ人ってのはほとんどいない。
身近な人はもちろんのこと、顔見知り程度の人にしたって、誰もあなたの不幸を望む人なんていませんよ。

とはいえ気に入らないヤツがちょっと困ることになってりゃ「ざまぁwww」と思うことはあるでしょう。そりゃ人間だからしょうがない。が、それにしたってホントに心からの不幸を望んでるわけでもない。

さらに世の中には性根腐りきった外道もある程度はいますが、そんなのは一部の例外。身近にいることなんてあまりない。

あなたが過去によほどその人から恨まれるようなことやってりゃ、不幸を望まれることもあるでしょうが、それにしたってそんなに多くの数じゃない。

好きだ嫌いだ、合うだ合わないだもありますが、誰にとっても心底悪いと思うやつはそうそういない。

あなたが身近な誰かに何の気なしに言い放たれた一言や、ちょっとした行動にムカついたり、傷ついたりすることはある。でもそれは悪意じゃない。

あなたに不幸になって欲しくて言った言葉じゃなければ、あなたが嫌いでとった行動じゃない。そもそもそれほど意味も目的もあってのことじゃない。

こちらとしては、おいおい配慮しろよ、気を遣えよと思うこともある。でもそりゃ自分の都合。相手は相手の都合で言ったりやったりしてるんです。しかもそこに悪気はない。

そこにあるのは、あなたが注いだ愛と同じだけの愛ですよ。


■言葉や行動がずれてても気持ちは同じ

いや、だから困るというのも言い分としてはありますし、社会常識を逸脱していれば注意をする必要はありますが、そうでなければそこはあえて気にしない。いつものごとく華麗にスルー。

それがどんな内容であれ、相手にとってはあなたを傷つけたれとか、不幸になれとか、呪ってやれいう意味じゃない。少しずれてたとしても愛であることがほとんどです。

だから傷つくことやイラつくこと言われたりされたりしたとしても、間に受けない。気にしない。そんくらいの器の広さを持っても損はない。

それに相手が何を言うか、何をするかはこちらじゃ決められないし、結局のところ相手次第ですよ。こればっかりはどうにもならない。

<参考過去記事>
決めるのはあんたじゃない。割り切ればストレスもなくなる


それでもどうしてもムカつくときは、あーこの人はこういう人なんだーと割り切る。切り替える。諦める。悪意はないけどそういう人なんだからしょうがない。愛があるのはわかった。でもそんなもんだと思って納得すればいいことです。

もちろん悪意を持った相手には徹底抗戦100倍返し。感謝とかありがとうとか知ったことか。やるならやれ。くるならこい。
とまあ、そんなことは実際にはほとんどない。

あなたが力になりたい。相手のことを支えたい、いつも気にかけていたい、そう思うように、あなたの身近な誰かも皆あなたに対してそう思ってくれてるもんです。

ちょっと言葉や行動がたまにずれるかもしれない、コミュニケーションに行き違いがあるかもしれない。それでもあなたを傷つけようとしているわけじゃない。あなたが注いだ愛の分だけ愛を返そうとしてくれてるんです。だから許せばいい。許せなきゃスルーすればいい。

そう考えてみれば、誰が何を言ったかとか、何をやったかとかで、いちいち傷ついたり凹んだりすることなんかありませんわ。それらはちょっとずれてたとしても、あなたに対する愛であることに変わりはないのですから。

と、ここまで言っておきながら、それでもやっぱりブチ切れるときはある。そんときゃそんときでブチ切れる。それでもお互いに愛があることさえ忘れなけりゃ大丈夫ですよ。つまりは現実感を伴うバランスが大事ということですな(^。^)y-.。o○
やりたいかどうか。好きかどうか。要するにただそれだけ

■実は単純なことでしょ

何をしたかったのかを思いだせばいいだけ。
どうしたかったのかを思いだせばいいだけ。

そこに色んな理由をつけて考えたり、他人の目を気にして考えたりするから話しがややこしくなる。

その仕事をやりたいと思うかどうか。やることによって得られる成果(報酬や評価など)が欲しいかどうか。

その相手を好きかどうか。相手の腕に抱きしめられたい(抱きしめたい)と思うかどうか。

そこに行きたいと思うかどうか。そこに行くことで得られる体験をしたいと思うかどうか。

話しは単純なことですよ。
もちろん誰だって色んな事情があるでしょう。そうは言ったところで、できることもできないこともあるかもしれない。

でもそれ決めてんのは誰なのかってことですよ。できるできないやるやらないを最終的に決めてんのは、そりゃあんたです。

だからやりたきゃやればいい。
色んなことを考えすぎて、自分の歩く道に迷ったら、もう一度最初の場所に戻ればいい。そこで行きたいと思う道を行けばいい。

色んな事情は、先に進んでから考えればいいじゃないですか。それで失敗したところで死ぬことなんかないんだし。
痛い思いをしたって一晩泣いて寝てりゃ癒えますよ。


■最初の場所に戻ることが近道

あの人はひょっとしてこう考えてるかもしれない。あの人の気持ちがよくわからない。

って、そんなこと考えたってわからない。わかってたまるか。いやまあ、わかろうと努力をすんのは必要ですが、それにしたって最後までわかりゃしませんよ。

だったら自分がそうしたいと思ったとおりにすればいい。

取引先の都合で先が見えない。上司の方針が違う。世の中が不安定だ。

そんなの自分じゃどうにもならない。だから放っとく気にしない。考えない。思考を止める必要はないけど、考えすぎても答えはみえないわからない。だって自分じゃどうにもできないことだから。

色んな事情はありますよ。そりゃ誰だって。
でもそれ考えてたらはじまらない。その色んな事情を全部汲んでたら先進まない。

だから最初の立ち位置に戻るんです。

答えはいつも自分の中にあるもんです。しかもその答えは恐ろしく単純。

自分がそれをやりたいかどうか。
自分がその相手を好きかどうか。
自分がそれを手に入れたいと思うかどうか。

いろいろごちゃごちゃ考えて解決するならそれもいい。
が、考えすぎて動きが止まったり、道に迷ったりするようなら、今一度最初の立ち位置に戻るのが一番の近道なのでしょうな(^。^)y-.。o○
相手の要求ではなく、欲求を満たせば問題は解決する。

■相手の求めているものは何か

どんなに相手の「要求」に応じていようが、相手の「欲求」を満たさない限り、要求に際限がなくなるだけ。
するとこちらもいずれその要求に応じる気力も萎えて、結局最後はさようなら。

要求とは欲求を目に見えるようにした、あくまで一つのかたちにしか過ぎない。

だから欲求と要求が直接的に関連性があるかといえば、必ずしもそうではないというのはよくあること。

滅茶苦茶で支離滅裂な無理難題を言う上司。
彼の要求する無理難題を解決したところで、別の無理難題を押し付けられるだけ。

彼の欲求は何か。
無理難題を解決することじゃない。
自分の無理難題を部下が応えてくれることによる満足感。自分の言うことに従ってもらえ、自分のポジションを再確認できる安心感。それこそが彼の欲求。

だから、その上司の言う無理難題にいちいち対応するのは、結果的に疲れるだけ。それで仕事の成果があがるなら救われますが、そうでなければ時間とエネルギーの無駄。

じゃあどうするか。

欲求が自尊心を満たすこと、自分のポジションに安心することにあるのだから、それを満たしてやればいい。
つまり日常的に褒める。持ち上げる。あなたが偉い人だと言ってあげてりゃいいだけです。

もちろんそんな器の小さい上司はすぐに追い越しゃいいだけ。いわば踏み台ですよ。だからその間だけの面従腹背で構わない。無茶言わせない現実的な大人の対応すべきでしょう。


■応えられなければ華麗にスルー

引っ越し先でゴミの出し方がどうの、自治会がどうの、家の壁の色がどうの、挨拶の仕方がどうのと、恐ろしくどうでもいいことにあれこれ言ってくる隣近所の人。

その人の要求にあれこれ答えたところで、欲求が違うところにあるのだからこれも無駄。エスカレートして際限なくなるだけですよ。

その人の欲求は何か。単にあなたが嫌いなだけ。後からきて住んで幸せそうなあなたが嫌い。だからここから出て行って。顔見るとムカつくからいろいろ言いたい。言わせてほしい。
だいたいそんなとこでしょ。

とはいえ、その人の欲求を満たすには、自分がそこを出ていかなければいけない。でもそんなの無理。っつーか、こっちがあんたに出て行って欲しいわ。が、それを言ったら炎上必至。

だからこの場合は適度にスルー。言いたいだけなんだと決めてかかって言うこと聞かない。いや、もちろん適度に聞くべきは聞く大人の対応しながら、それ以外は華麗にスルー。

聞けば要求が増えるだけ。だから、何言っても無駄なんだと思ってもらう。最初はウザいがそのうち向こうも諦める。


■相手を知ることが問題解決の近道

とまあ、こんな事例はまだまだ尽きることがないくらい、いくらでも出てくるわけですが、重要なことは相手の要求ではなく、欲求を理解するということ。

一応言っておきますが、上の事例はあくまでフィクション。だからホントにそういうケースがあったからと言って、皆同じような欲求かといえばそうじゃない。その場そのときでケースは違う。

というわけで、欲求を理解しないまま、要求にのみ応えるというのは、意味がない。

そしてもう一つ重要なことは、相手にしたって自分の「要求」よりも「欲求」を理解してくれたほうが実は嬉しいんだということ。

要求は自己承認欲求の一つのかたち。満たされたいんです。求めてるんです。本当の自分を理解してもらうことを。

あれこれ言われて、それをやったかやらないかでごちゃごちゃ言い合いするよりも、まず相手が心から求めているものは何なのか。それを知ろう、理解しようとする余裕くらい持ったっていいじゃないですかね

そしてそれを知ろうという心の働きは、その人をしっかり冷静に評価しようという心の働き。その人の良い点もたくさん見えるし、何よりそれで自分が成長できる。

いつも相手の要求に応えているのに、なぜか信頼を得られないとき。
際限なく無理難題な要求を言う相手に疲れているとき。

まずその人が本当は何を求めているのか、冷静になって考えてみるといいかもしれませんな
最近どうも同じような話題がループしているような気がするのは、別に僕が傷ついているわけではありません。

っつーか傷つくような繊細さが欲しいと思う今日この頃。・・・と書くと、人の痛みを知らない人でなしと思われそうですが、まあぶっちゃけ人並みに傷つくことはよくあります。

カップラーメンにお湯を注いでいる最中でお湯が無くなるとか・・・。
いや、傷つくというかまあ、そんときはこんな不条理だらけの世界は無くなってしまえばいいのに、と絶望的な気分になりますわ。これまぢで。

というわけで本題

傷つけるのは自分自身。傷つけることができるのも自分自身。

■自分の心を支配しているのは誰か

特異な事例を除いて、誰も他人の心を支配することができないのと同じように、誰もあなたの心を支配することなんてできませんよ。

だから起こった出来事、言われた一言をどう解釈するか、それを決めてるのは自分だし、その解釈への反応を決めてるのも自分。

こんなこと言われて傷ついたー(T△T)
って、それを傷つく内容に解釈して、傷ついて凹もうと決めてるのも自分。傷つけたの相手じゃない。自分なんです。

こんなことが起こって傷ついたー・゚・(ノД`;)・゚・
って、それも傷つく内容に解釈して、傷ついて凹もうと決めてるのも自分。傷つけたのはそのことじゃない。これも自分。

結局のところ、言われる一言、起こった出来事に対しての反応は自分自身が決めてるだけ。自分自身以外の誰もそれを決められない。

とはいえ、そんな理屈で全部が全部傷つかないでいられるかといえば、それはない。そういう人もいるかもしれませんが、誰だって凹むことはあるし傷つくこともある。

その場合は以下の過去記事を参照で。

<参考過去記事>
泣くから笑える。夜がくるから朝がくる。


■自分の心を支配しているのは誰か

だから、すべては自分自身の意味づけと解釈次第。

実のところ起こった出来事のほとんどは、あなたと関係ない。っつーかあなたの人生にそれほど大きな影響はない。

他人の一言ってのもほとんど大した意味はない、ただ言いたいだけ。その場の空気や雰囲気で言ってみた。ほとんどそれ。そんなもん。

<参考過去記事>
悪口の正体


さほど自分にとって意味がないことに右往左往してみたり、わざわざ否定的な解釈で自分を傷つけてみたところで、楽しいことなんか何もない。

まあそれが楽しい人もいるかもしれませんがね。傷つけられ、ボロボロにされ、ハイヒールのかかとで踏まれたい!お願い踏みつけて!という人はそれはそれでいいのでしょう。

というわけで、自分が傷つきそうだと思うことが起こったり、そんな一言言われたときは、ちょっと一呼吸置いて考えてみる。

それが自分の生き方や今後の人生に、どれほどの影響を与えることなのだろうか、と。

そして肯定的な解釈に変えられるならそれもよし。そうでもなく、考えてみても大した影響なければ、華麗にスルーが一番です。

後になってみれば、起こった出来事は実際にはほとんど大した影響を及ぼしていないし、何かこちらが傷つくようなこと言った相手にしたって、言ったことすら忘れているのがほとんどですわ。

つまるところ、どんなことであれ、自分の心の動きを決めているのは自分自身以外の誰でもないってことです。

まあ後は傷つきそうだと感じたら、傷が深くならないうちに、スパっといってしまうという方法がありますがね。いろいろな意味で(^。^)y-.。o○