京都・伏見散策 | ウォーリーのブログ

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6月15日(水)。15年前に、定年退職されて、現在も枚方市内に住んでいる大先輩と、今月末で、定年退職される先輩の3人で、京都伏見界隈を散策して来ました。

先輩とは、京橋駅で待ち合わせて、京阪電車で枚方市駅へ向かい、大先輩と合流して、中書島駅で降りました。

伏見酒蔵街 伏見の地は、桃山丘陵から湧き出る地下水に恵まれ、「伏水」とも呼ばれ、其の水が、お酒造りに適していた事から、400年程前に、本格的な醸造が始まったと言われています。酒蔵が並ぶこの辺りは、黒い板塀の温もりと白壁土蔵が美しく、旅情緒を存分に味わえます。

寺田屋 明治維新の立役者である、坂本龍馬が身を寄せた船宿。寺田屋騒動の際に残されたと言われている刀傷や、お竜が駆け上がったと言われて居る階段、当時の様子を伝える写真が、展示されています。

寺田屋騒動 1866年(慶応2年)1月24日の午前3時頃、寺田屋に滞在中の龍馬が、伏見奉行所の幕府役人に襲撃され、龍馬はピストルで応戦しながら追っ手をかわし、裏階段から庭に出て、隣家の雨戸を蹴破り裏通りに逃げました。手指を負傷しながら、5町ほど(500~600メートル)走って豪川に達し、水門を経て入り込んだ屋敷裏手の木材納屋で救援を待ち、伏見薩摩藩邸に、しばらく、匿われました。

龍馬は、右手の傷を癒やす為、此処、寺田屋浜から三十石船に乗り、お竜とともに、九州の霧島へと旅立ち、日本で最初の新婚旅行と言われて居ます。

伏見の町並みを散策した後、13時に予約した、屋形船、十石舟に乗船しました。

伏見十石舟は、江戸時代に淀川を酒や米、旅客を運んだ舟。宇治川派流と豪川をゆったりと下り、柳並木や酒蔵など、歴史的な風情を楽しむ事が出来、三栖閘門まで往復。

 

約1時間程の、屋形船での観光を終えると、伏見桃山駅前の商店街まで歩き、前にも行った事が有る、居酒屋で少し遅い昼食を頂きました。