地球をつなぐ

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60歳を過ぎて、今もっともやりたいことは何だろうと自問自答した。その答えが「海外で暮らす+英語で学ぶ=留学」だった。私はデンマークの地に降り立った!

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2012年2月12日(日)



拙ブログ「デンマークIPC留学日記」を読んでくださった方、読者登録をしてくださった方、本当にありがとうございました。

2010年7月初旬に帰国し、留学中に書き留めたメモや資料を整理してブログを書き始めたのは12月。2011年の中ごろには完成させる予定でしたが、東日本大震災「3.11」以降は気持ちが落ち込み、一時中断しましたが、また気を取り直して書き始めました。さまざまな体験をした留学生活を記録するのが当初の目的でしたが、書き進めるうちに60代の私でも多くの刺激を受け、外から日本を改めて見つめ直すことができる留学というか長期の滞在をみなさんにもぜひ経験してもらいたいと思うようになり、そのための参考になればと記憶を呼び覚ましながら書き続けました。

最近、日本の若者は留学しなくなったと聞きます。経済不況が長引き、出口の見えない状況下で、留学しても就職に反映しない、それどころか不利と感じるからなのかもしれません。しかし、日本が地震や放射能汚染、水害、雪害など次々に打撃を受けて疲弊している今こそ、世界、いや地球規模でものを考え、学び、行動することが必要です。IT、科学、技術や物づくりなどどんな分野を目指すにしても一度は海を渡り、異文化の中でもまれながらさまざまな課題を探してほしい。海外に拠点や友人をつくつてほしい。今後の日本に何が必要かは日本にいて分かることもあれば、海外で暮らして初めて分かることもあります。就職云々ではなく、長い人生をどう生きるかという観点で留学はきっと役立つはずです。

留学にはお金がかかる? 確かに従来の留学は結構、お金がかかるかもしれません。でも、円高の今なら自分で探して(旅行代理店など通さずに)、インターネットで先方と直接連絡を取って手続きすれば、安い費用で留学することが可能。ビザの申請など自分で大使館へ行かなければなりませんが、それも勉強になります。

例えば、デンマークのIPC(インターナショナル・ピープルズ・カレッジ)の春期ターム(2012年度)は24週(約6か月間)で30,600クローネ(DKK)です。1クローネ=約14円で計算すると428,400円。英語による授業料、寄宿費、食事代(3食)、修学旅行費などを含みます。海外旅行2回分ほどの費用ではありませんか。

デンマークにはこのほかにもデザイン、写真、スポーツ、手芸などを専門とする学校(IPCのような)があり、デンマーク語を含めて好きな分野を学んでみたいという人はさらに選択肢が広がります。留学日記でも紹介した日本人学生のミサさんは、2010年の春期ターム終了後もデンマークにとどまり、手芸が専門の学校でデンマークの中高年の女性たちに交じって洋服を縫ったり、編み物をしたりしたそう。総じて1年6カ月の海外生活を送りました。

 海外留学のおもしろさは多国籍の坩堝でもまれることです。その中で真面目、謙虚、責任感が強いなど日本人の良さを評価される半面、授業中に積極的に発言できないなどの弱点を思い知ってへこんだりします。孤独も味わいます。でも、それら全てを経験できるからいいのです。留学中はお金の使い方にもシビアになり、倹約する術を学びます。お金を使わない楽しみ方が身につきます。

 デンマークは九州ほどの小さい国で、人口5,418,000人です。日本から遠い国でそのニュースが伝わることはほとんどありませんが、現在の日本が学びたいことがいっぱいある国です。原子力発電所がなく、代替エネルギーが主流。環境保全に力を入れ、春から夏にかけて終日、小鳥がさえずる緑豊かな美しい国です。私の週末の楽しみは散歩したり、コペンハーゲンや周辺にある美術館・博物館巡りでした。なかでも「ヒヤシュプルング・コレクション」や「ダビテ・コレクション」など個人オーナーが私財を投じて造った美術館は内装もきれいで、作品も充実していて、おまけにサービス満点。私はデンマークを代表する美術館・博物館10館ほどに入館しましたが、入場料を一回も払っていません。国立系はほとんど無料、個人の美術館も無料の曜日があるからです。これもデンマークの社会福祉の恩恵の1つではないかと思っています。デンマークで暮らす日本女性たちと知り合ったり、デンマーク人のお宅に招いてもらったことも私の生涯の宝になりました。留学といえばカナダ、アメリカ、オーストラリアなど英語圏の国が一般的ですが、北欧の国々への留学も未知であるからこその発見があり、お勧めです。

 日本の将来に夢を抱けない若者の皆さんも多いと思いますが、内向きにならないでどうか世界で活躍できる精神やスキルを磨いて日本のために役立ててください。

 最後に私がデンマークに留学したのは、25年のライター生活をリセットし、新たなテーマを探すためですが、海外を旅するのが好きなので、半年くらいは海外の一箇所で暮らしてみたいという思いもあったからです。英語を独学していたので、できれば英語で授業を受けたかった。費用の安さも含めてその願いに合致したのがデンマークのヘルシンオアという海辺の町にあるIPCでした。「デンマークIPC留学日記」を書き終え、これからはライターの仕事に専念し、みなさんに読んでもらえる本を一冊でも世に送り出せたらと思います。                                               


《デンマークの画家の作品展》


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2010年6月29日(火)



IPCを去る日。それぞれの旅立ちでもある。

 ほとんどの学生は帰国するが、IPCに残ったり、ほかのカレッジや大学へ進んだりする学生も。シンタロウやスロバキア人のナタリアとマリアン(彼らは恋人同士)はIPCの秋のターム、リトアニア人のエドビナスはオーフス大学、ミサはオーデンセにあるカレッジで学ぶことになった。デンマークのデザインや建築に興味のあるヒカルはコペンハーゲンでアパートを借りて今後のことを模索するそう。シェフを目指すノブコはパリで修行するし、チェコ人のマレックは新しい仕事を探す。ノルウエー人のシガードはドイツの大学で学びたいと話していた。フクミやアキは大学に復帰する。アツミはJALへの入社が決まっている。
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左からナタリア、アツミ、マリアン  エドビナス
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向かって右がヒカル        右からシガード、シンタロウ
ラベンダーのブログ 2児のパパでもあるマレックは皆にやさしかった


 教師のなかにも今期いっぱいでIPCを辞職して新たな道を歩き始める人も。美術やヨガを担当していたローランドがそうだ。彼は夫人の故郷スイスへ親子3人で移住するそう。学生たちが「スイスは経済も安定しているし、教育の水準も高いので、そういう面ではデンマークとのギャップがないからいいわよね」と話していた。キューバ人のローランドが自国とは社会的なシステム、文化、気候風土の異なるデンマークやスイスで暮らすのはどんな感じなのだろう。

 朝食後に部屋を再度チェック。スーツケースとリュックは万全だし、昨日から大掃除に着手した部屋もすっきりと片付いている。午前8時40分に校長の次男(彼はIPCの掃除などを手伝っている)がやって来て、部屋を見渡すなり「Beautiful! ベッドの下も掃除しましたか?」と聞いたので「Yes」と答えると「Ok」と言って即座にサインしてくれた。これで事務的な手続きは全て終わった。

 ミサオやリエコ、ノブコもカストロップ空港から次の目的地へ飛び立つのでみんな荷物を持ってエントランスに集まっている。ミサオが「ヘルシンオア駅までケンさんが車で送ってくれますが、一緒にどうですか」と声をかけてくれた。ケンはヒカルやチエコとヨーロッパをレンタカーで旅するので車をレンタルに行っていて、もうすぐ戻ってくるとのこと。でも、駅まで送ってもらう人が結構多いようなので、「ありがとう。9時40分のバスで駅まで行くから大丈夫。元気でね」と言ってみんなとハグして別れた。

 ミサオは別れ際に手紙をくれた。それには「隣の部屋がけい子さんでとても安心でした」と書かれていた。彼女との思い出が甦り、涙があふれそうになった。 
 半年前、学校の門をくぐったとき園庭の芝生は雪に覆われていた。いまは緑の芝や木々が朝日に輝いている。デンマーク人が大好きな季節にここを去るのはちょっぴり残念だ。が、気持ちはオランダ、ベルギーの旅に向かっている。私には少しばかりハードルの高いひとり旅だが、コペンハーゲンを縦横無尽に歩き回った総決算がこの旅なので、これから始まるドラマに心が浮き立つ。午後にはオランダのアムステルダムを運河沿いに歩いているだろう。

 さようならIPC留学生活! ここで出会った先生、職員や学生のみなさんに心からの感謝を! 本当にお世話になりました。





2010年6月27日(日)

 

きょうはカレッジの園庭で教師と学生がともに集って「お別れディナー」が開かれる。昨夜は「パフォーマンスナイト」が午前零時ごろまで延々と続いた。日本人学生がバンドを組んで演奏したり、歌ったりと活躍が目立ったので、うれしかった。隣室のミサオはその後も残って多分飲み明かし「今朝の5時に部屋に戻ってきました」と憔悴気味。彼女は風邪が治ったばかりなので、大丈夫かしらと心配になる。が、私も若かったら居残ってみんなとドンちゃん騒ぎをしたに違いない。

午前10時にブランチへ。これが最後のブランチだと思うと、感慨もひとしお。野菜や果物も提供され、遅い朝食と昼食をゆっくり味わえるこのひとときが好きだった。韓国人のヨンミやミサオとおしゃべりしながら食事を心から楽しんだ。ミサオは北欧のデザインに興味があり、1人でフィンランドを旅するそう。北欧のなかでデンマーク、ノルウエー、スウェーデンは制覇したが、フィンランドはまだなので正直うらやましい。ミサオ、充実した旅を!

午後はシャワー室とトイレを徹底的に掃除した。小さい頃から母に教えられた「発つ鳥あとを濁さず」が身体に染み込んでいる。明日は部屋の検査があり、OKが出れば事務所でパスポートとデポジット(保証金)を返してもらえる。部屋のベッドの下もチェックするそうよと聞いたので、ベッドも動かしてモップで拭いた。どこかの部屋から掃除機の音がする。明日、出発する学生もいるので、きょうのうちに検査してもらうのだろう。

気がつくともう午後5時近い。あわてて洗顔して着物に合うように薄化粧をする。昨夜からハンガーに掛けておいた着物を着て、帯を締めていると、チエコが「ゆかたを着せてください」と飛び込んできた。少し暑いくらいの陽気で、汗をかきながら着せる。彼女がまたあわただしく部屋を出て行った後、帯揚げを結び、襟元や帯などを総点検して完了。きょうはみんな正装するようだ。最小限の衣服しか持ってきていない私は、フォーマルは着物と決めていた。日本人の学生はミサトやミサも浴衣を着るそう。園庭に出るところで、フクミが「ミサはほかの子の帯を結んであげていて、自分はようやく着始めたところ」と言う。ミサらしいと思いながら、彼女の部屋へ急ぎ、帯を結ぶのを手伝い、2人でパーティー会場へ走る。もうみんな席に着いていて、ワインで乾杯する寸前。校長の席の前が空いていたのでそこはすべり込む。午後6時を過ぎても太陽はぎらぎらとまぶしく、サングラスをかけている学生も。汗がなかなか止まらない。アキコに「着付けを手伝っていたのよ」と言って額の汗を拭くと、ワインのグラスを手渡してくれた。彼女は赤いカクテルドレスを着て別人のように華やいでいる。年齢にとらわれない前向きの生き方に教わることも多かった。泥臭いほどの積極性には到底かなわないと思ったことも。60歳を過ぎて息子や娘のような若者たちに混じって学生生活を送ったことは、今後生きていく上で励みになるという思いは共通している。

キッチンのシエフたちが野菜や肉を焼いてくれるのをいただきながら、普段なかなか話す機会のない校長のソーレンに「ご夫婦の仲が良い秘訣はなんですか」と尋ねた。彼は「学生時代に知り合ってそれからずっと一緒。彼女は読書など静かに過ごすのが好きだし、僕はアウトドア派。だから、できるかぎり共通の話題を見つけて語り合うようにしている。お互い目をそらさずに、相手をしっかり見ていることが大切」。音楽家にして3人の男の子(長男、次男は20代)のパパで、女子学生から絶大な人気がある彼の内面にふれて、みんなに愛される理由が分かった気がした。


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それからは半年の思い出をカメラに収めるべく、あちこちで撮影会。ディナー後はコモン・ルームに集まって、学生全員に終了証が贈られた。このときばかりは胸が熱くなった。その後、校長のピアノの伴奏で、チエコがバイオリンを弾いた。浴衣姿の彼女は清楚で、音色は澄んで美しく、留学を締めくくるのに最上の演奏だった。