"医療の原風景と理想像"が繰り広げられ、"自分に足りないもの"を気づかせる[第13週・1部]
若き実力派俳優・清原果耶氏の代表作である 連続テレビ小説・『おかえりモネ(2021年)』 。 その筆者の感想と新しい視点から分析・考察し、「人としての生き方を研究しよう」という趣旨の " 『おかえりモネ』と人生哲学 " という一連のシリーズ記事。
今回から第13週・「風を切って進め」の特集記事に入っていく。ちなみに、第12週・4部の記事をお読みになりたい方は、このリンクからどうぞ。
それで今回の記事は、第13週61話から62話の前半部を集中的に取り上げた記事となっている。またこの記事内容と関連が深い、他の週のエピソードについても取り上げた構成ともなっている。
今回の記事は、筆者の視点から捉えた解釈・考察を中心として展開する。また『DTDA』という手法 ( 詳しくはこちら ) も用いて、そこから浮き彫りになった『映像力学』などを含めた制作手法・要素から表現されている世界観も考察し、この作品の深層に迫っていきたいと思う。
※目次
○たった " 8フレーム "という僅かな一瞬に込められた・・・ 彼女の強い意志。
○懐かしい " その声 " に・・・ 顔がほころぶ彼女
○強気で豪快な発言とは裏腹に・・・ その声の揺らぎに " 一抹の不安 " が見え隠れする
○まるで " いたずらっ子を見るような目 " で視線を投げかける。この瞬間から・・・ " 二人の歳の差 " は縮まっていく
○『信頼関係を築いていくためには・・・ 何をしなければならないのか? 』と彼女の中で " 新しい課題 " が明確になっていく
○ " 医療の原風景とその理想像 " が目の前で繰り広げられ、" 現在の自分に足りないもの " を気づかせてくれる
○" 弾んだ声色 " の彼女と、 " 大切な宝物を守る " ような彼の気遣いが・・・ " 二人の距離 " を縮めていく
○たとえ " 向かい風 " が行く手を阻もうとも・・・ 臆せず突き進んでいく彼女
○たった " 8フレーム "という僅かな一瞬に込められた・・・ 彼女の強い意志。
『汐見湯』のコミュニティースペースで、青年医師・菅波光太朗(演・坂口健太郎氏)とバッティングした、主人公の永浦百音(モネ 演・清原果耶氏)。百音は、ずっと菅波に聞いてみたかった、
『「あなたのおかげで助かりました」っていう " あの言葉 " は麻薬です。』
*百音が菅波に『「あなたのおかげで助かりましたっていう " あの言葉 " は麻薬です」っておっしゃったんですけど・・・ 覚えてますか? 』と問うカット。菅波の表情を窺うような百音の所作が、非常に象徴的だ [第12週60話 より]
という言葉の真意を問いかけてみる。するとこのような答えが返ってくる。
『菅波 : 気持ち良いでしょう。単純に。全ての不安や疲れが吹き飛ぶ。』
第12週60話・「あなたのおかげで」 より
*百音に " あの言葉の真意 " を問われて、『菅波 : 気持ち良いでしょう。単純に』と答えた菅波。これまで半身だった姿勢から、百音の方にしっかりと向いて、正対して語るところが印象的だ。百音と、そして菅波自身とも真摯に向き合おうとしていることの表れだろう。その反面、自嘲的なニュアンスが潜んでいるところも非常に興味深い [第12週60話 より]
と自嘲的に語り始める菅波。さらにこのように続ける。
『菅波 : そして・・・ 「また言われたい」っと突っ走ってしまう。その結果、周りが見えなくなる。行き着く先は、全部 " 自分のため " だ。』
『菅波 : そうやって、僕は・・・ ある人の" 人生 " を奪いました。 』
第12週60話・「あなたのおかげで」 より
*思ってもみなかった " 菅波の告白 " に、一瞬、表情は凍り、心の動揺が隠せない百音 [第12週60話 より]
思ってもみなかった " 菅波の告白 " に、一瞬、表情は凍り、心の動揺が隠せない百音。彼女の動揺に気づいたのか、彼はこのような言葉を付け加えた。
『菅波 : 昔の患者さんの話です。もう・・・大丈夫です。今も元気にしていると聞いています。』
第13週61話 アバンタイトルより
この菅波の言葉を聞いても心の動揺が隠せず、どのような言葉をかけてもよいかわからない百音は、軽く頷くしかその術は無かった。
さて、この作品は週ごとに一通りの起承転結があるため、" 週またぎ " のシーン展開はかなり少ない。しかしこの " 菅波の告白 " は、制作陣にとっても非常に重要視しているらしく、" 週またぎ " の、さらにそのストーリー展開の続きを、アバンタイトルに入れてきたところが象徴的だろうか。
さらに注目すべきは、菅波が『そうやって、僕は・・・ ある人の" 人生 " を奪いました』と語るカットの放送回ごとの差異だ。
実はこの作品では、前週や前話のシーンをアバンタイトルで用いたり、過去話のシーンを回想で用いる場合には、別のカメラで撮影した構図やライティングに差異がある " アザーカット " を用いるか、本編と同一カットを用いる場合でも、色調などの変更を施した映像を用いたりしている。今回もその一例ではあるのだろう。
しかしこのことによって、前週・第60話の " 映像演出の狙い " が浮き彫りになってくる。
第61話のアバンタイトルと比較して、カメラを若干ローアングルポジションに設置して仰角で撮影された第三者的目線、いわゆる " 神の目線 " といった映像となっているところが象徴的だろう。
そして前回の記事でも指摘したように、前週・第60話のカットでは、菅波の首の後ろ側が "ハレーション " を起こしているようなライティングが施されているわけだ。これは、
[ " あの出来事 " は・・・ 今でも夢を見ているようだ。現実に起きたことは思いたくない。受け止められない。白昼夢であってほしい・・・ ]
といった菅波の心情を、 " 神の目線 " という構図と "ハレーション " というライティングで映像として表現していることが、第61話のアバンタイトルの映像と比較することで浮き彫りになってくるわけだ。
伏し目がちに菅波とは目線を合わせず、声にならない・・・ やっとのことで呟くように『はい』とだけ答える百音。菅波に " どのような言葉をかけていいか分らない " といった様子であり、それでいて " かける言葉 " を探しているようでもある。
さらに注目すべきは、タイトルに入る直前の百音の一瞬の所作だ。
タイトルに入る直前の一瞬だけ、菅波の目を見る百音。彼女の " 非常に強い眼差し " が印象的だろうか。静止画で見れば一目瞭然なのだが、この所作を・・・ 皆さんは気づいていましたか?
日本のテレビ放映では、 " 30fps(29.97fps) " のフレームレートを採用している。要するに映像が、1秒間に30フレーム(コマ)で記録されているということになる。ということは、1フレームあたりは " 30ms前後(0.03秒) " となるわけだ。
この百音が " 一瞬だけ菅波の目を見る所作 " のフレームを数えると、8フレーム前後である。ということは " 240ms前後(0.24秒) " という短い時間しかない。しかし、この彼女の所作と " 強い眼差し " が、
[ 先生の過去に・・・ 一体何があったというの? 私は・・・ どうしても " そのこと " が知りたい ]
といったような百音の強い意志がひしひしと伝わってくる。実はこの所作が、今後のストーリー展開の " 重要な伏線 " として、非常に効果的に機能してくるわけだ・・・・
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