渡米 帰国 その後 | パワカンのブログ(輸入車個人輸入代行)

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いつもご覧頂きありがとうございます。

 

前回まで、渡米の話を書いてみました。アメリカで経験したことは大きな宝になっています。

帰国してすぐ、神奈川県の川崎にあるアパレル量販店で修行をした時はすでに25歳。と言っても丁稚(でっち)のように無給ではなく、きちんと給与が貰えます。自宅から通えない距離ではないのですが、修行と言う意味でも、また一人暮らしが始まりますが、アパート、水道光熱費を差し引くと1日1,000円以下でやりくりしないといけない。弁当箱に白米を詰めて出社、あとはパートさん達におかずを貰ったりするような日々でした。毎日9:00から22:00、残業手当はないのが当たり前の時代で、休みの日でも出社したものです。日本の組織は違うタイプの人間や、同調しないものには圧力をかける習慣がありますよね。そういう所は相当苦労しましたが、言葉の通じない異国に居た苦労を考えれば、案外楽しいものでもありました。

 

3年の修業を終えたのが28歳、そしてちょうど2000年(29歳)には運よくアパレルの小売店を3店舗持つするようになっています。

一時もっと店舗数を増やした時もありましたが、失敗成功を繰り返して落ち着いたのが3店舗。31歳頃から輸入車の事業 パワーカウンティも始めたり、結婚と離婚を経験したと言うのも大きい。

そしてその数年後、ロサンゼルスに現地法人を立て、数年間ロサンゼルスに住むことになります。今は管理してくれるビジネスパートナーがいるので、アリゾナ州のフェニックスに移転していますが、こうして今に至る訳です。

そう考えると、21歳で渡米してから33歳まで目まぐるしい12年でした。

これが出来たのは読んでくださった皆さんにはおわかりと思いますが、出発点は間違いなく渡米してからです。

 

川崎での修業時代も、自分を貫けたのはアメリカで培ったものが大きかったし、店探しから店づくりに至るまで、WAL MARTで働いていた時にノートを書いていたと言いましたが、しっかりした青写真が出来ていたんですね。

 

パワーカウンティ(輸入車の事業)は全く想定外でしたが、たまたまこの仕事をする流れになったんですね。米国に現地法人を創ったのも、たまたまそうせざるを得なかったから。

学生時代に渡米していなかったら、考えもしなかった。

 

 

老子の言う「道」

水は高い所から低い所に流れる自然の摂理。

 

ご存知の方も多いと思いますが、アルケミスト(パウロ コエーリョ著)、羊飼いと前兆の話。

要は夢にたどり着くためには自分に正直になる事しかなくて、それが出来れば行くべき道(前兆)が見えてくる、と言う。

実感する人も多いのではないでしょうか?

嘘をつくと永遠に前兆は聞こえなくなってしまうそうです。これも分かる気がしますね。

 

感じたことに素直に従ったら辛いことが起きたと言う事がありますが、後になってそれは目標への通過点だったと気づく経験てありますよね。

僕にも色んな事がありましたが、今を構成する部品の一つだった事を実感します。

 

でも誘惑が多い世の中なので、楽しい事やお金に目を奪われて、ましてやそれを捨てて本心に従うのは簡単な事ではないんですよね。現状維持ってホント楽ですから飛び出そうなんで考えたくない。そうした邪念に取りつかれちゃう。

僕の場合で言えば、海外旅行したら経験したことのない楽しさを感じた。だから、渡米をした。ただそれだけです。新しく手に入れるために今あるものを捨てる、それが出来るかどうか、結局そこに尽きてしまうんですね。だから、人生ってそれが出来る人と出来ない人の差でしかなくて、能力の差ではないんじゃないかと。

 

僕の場合、英語を覚えたこと以上に海外で得た友人や経験は何にも代えがたい。

もっと言えば、国を越えて移住する事も出来る。

狭く資源も少ないこの日本に億の人がいて、物の取り合いをしている訳です。

この国がいつどうなるか、誰にも分かりません。だから変わっていくことへの免疫を身に付ける意味でも、行ける人は海外にでてください。

そして感じた事をやってみて欲しいんですね。

 

2年前に来た未成年の男の子は、着々とカナダ行きの階段を上っていて、資金は早いうちに貯まったようです。あとは英語力だと毎日英語のリモート授業を受けているようですが、なかなか会話力が向上しない、と言う事で、日本に住むフランス人の女性と付き合った。一心不乱に夢を追いかけてるみたいで頼もしいです。更に、僕はまだ親の資金的援助がありましたが、彼はそれに頼ることなく、そして僕が渡米した21歳と同じ事をしようとしている。

凄いことですね。

元々は彼も大学生でしたが、コロナのせいで学校にも行けず、徐々に増える奨学金の返済と言う未来に愛想が尽き、辞めて就職するも会社の運営が厳しく、再就職を模索中に弊社に来た。僕の「カナダに行ってみたら?」と言う言葉は、彼の心を打ったそうです。

辛いことばかりで、彼には失うものは無かった、のかも知れません。

楽しい青春を謳歌していると言うと聞こえは良いですが、その足かせを外して新しい事にチャレンジできない人が大半ですね。だから、逆に彼にとってはラッキーな環境だったんじゃないかと。いや、成るべくして成ったのかも。

アルケミストを思い出す今日この頃。

世界中で読まれている本です。是非読んでみては。

 

ブログもどんどん長文になり、まとまらなくなってきたので、今回は短く書いてみました。

 

では、皆さんまたよろしくお願い致します。