いまさら読みました。
出版されたのは2003年。20年前なんですね。
出版されたとき話題になっていた覚えはあるんですが、具体的にどんな内容なのかはサッパリ知りませんでした。
タイトルが独り歩きして、あんまり中身に触れられていた記憶もないんですが。自分が目につかなかっただけで、紹介されてたのかな。
まあ、それでも話題になってた頃に読んでも、あまりピンとはこなかったかな、と思いました。
それこそ、バカの壁ってやつですね。w
y=ax
算数の時点から嫌いなんで、数式とか理解する気にもなれないんですが、これは印象的でした。
xは入力。出来事や情報とか、自分の中に取り込んだ物事。
aは係数。「現実の重み」と著者は書いていますが、心の動きかな、と理解しました。
入力された出来事(x)に対して、どういう方向に心が動いた(a)のか。その結果がyという出力。
バカの壁という本を読んだ=x。
内容に感じ入るところがあった=a。
ブログ記事で感想を書く=y。
な感じ?
このaがプラスに振れるか、マイナスに振れるかで出力の結果も変わる。
私は良い本だと思った(aプラス)ので、記事の内容も肯定的なものとなっている。
みたいな?
これで、aが無限大に振れると原理主義。aがマイナスに振れるとアンチ。プラスにもマイナスにも振れず、0なら無関心。でも、マイナスであってもxという出来事に向き合ってはいるから、0の無関心よりはマシ。
的な説明もあって、なるほど、と納得。
20年前に読んでいたら、きっとy=0xだったかなぁ、と。
aの値は人それぞれ。経験とか価値観とか嗜好とか、その時の気分でも変わる。万人が違うのは当たり前で、個人の中でもその時その時で変わるもの。
万物は流転する。
それを不変のものだと思ったり、自分のaと違うaが存在することに目を向けず、常に自分のaのみが正しいと思うことが、バカの壁なのかな、と理解。
正しく読解できてるか分からんけど。(;´Д`)
他にも印象的な言葉はいくつかあって、知識と常識、個性、共通性、日本語の定冠詞、共同体、ニューラル・ネット、一元論と二元論。
ほぼ内容全部。w
いくつか抜き出して言うと。
常識と雑学は違う。
と書けば、そりゃそうですね。(´_ゝ`) って答えが返ってきそうだけど、日本人は常識を雑学だと思っている、と。
最初、その部分を読んだときはイマイチ理解出来なかったんですが、クイズ番組を見てるとき間違えた人に対して、ふと「常識ないなー」って感想が浮かんだんですよね。
で、あ、これが常識=知識、雑学だと思ってる、ってことか、と。
「常識」は誰が考えても「そうだろう」と思うことで、知識や雑学は常識ではない。
雨が降ったら濡れる。これは常識。
雨が降ったら傘を差す。これは知識。
傘を差さない人も国も事情もありますからね。
この勘違いも、またバカの壁なんだなぁ、と。(/ω\)
個性と呼べるのは身体だけ。中身の個性なんて求めるな。
中身が「個性的」だと理解不能な危険人物認定されるだけ。
身体は別。例えばアスリート。恵まれた体格は真似しようとしても出来ない唯一無二の「個性」。(例として挙げられてたのはイチローさんだけど、いまなら大谷選手とか?)
ヒロアカの「個性」が見た目に現れているのは、漫画的表現ではあっても本質を突いているんだな、と。
日本語にも定冠詞、不定冠詞はある。
「昔々、おじさんとおばあさんがおりました。おじいさんは、山へ柴刈りに……」
このはとがの助詞が、そのまま定冠詞、不定冠詞と同様の機能を持っている、と。(´・∀・`)ヘー
ギリシャ語でも冠詞は名詞の後ろにあっていいことになってるから、「冠詞=冠(頭)につくもの」という形式に囚われて考えるな、と。
ニューラル・ネット。いまだとネットワークと書くのが主流なのかな。プログラミング、そして脳の作りの話として出てきましたが、昨今のAIでも応用されてる技術。
やっぱり、知ってる人は昔から知ってるんだなー、と。
それだけなのですが。(/ω\)
まあ、そんな感じで。
多分、いま読んだからこそ気づいたり、理解できることがあったのだろう、と思いました。
自分の中のバカの壁を、一つ二つぐらいは越えたり、壊せたりした……のかな?
万物は流転する。
君子豹変す。
変わるのは当然。変わるのは悪いことではない。
でも出来れば自分で良い方向へと変わりたい。
簡単に分かった気になるな。
とも書かれていたので、この感想を読んで、なにかしら引っかかった方は是非ご自分で読んでみてください。
自分の目で確かめるの大事。
私も自戒せねば、と改めて思いました。(;´∀`)