じみぃべいつです。

 

 やりました!!!

 海の向こう、米国ジョージア州アトランタから素晴らしいニュースが飛び込んでまいりました!

 …そうです、サンディエゴ・パドレス在籍の「ダルビッシュ有」投手が、記念すべき日米通算200勝!!の偉業を成し遂げたのです!

 

 

 昨年私は「名球会入りの投手が三人誕生する可能性がある」と言っていましたが、ふたを開けてみれば一番不利とみていたオリックスの「平野佳寿」投手が日米通算250セーブをあげたのみでした。

 ダルビッシュ有投手は昨シーズン末にDL入りしそのまま残り4勝でシーズンを終え、一番期待していた東北楽天の「田中将大」投手は残り3勝を残しシーズンを終えたのです。

 今年同時期に達成なるか?とみていましたが、ご存じのとおり田中将大投手は昨シーズンオフに受けた「右肘クリーニング手術」の回復も思わしくなく未だ一軍登板なし。

 そしてダルビッシュ投手も今シーズンはなかなか勝ち星に恵まれなかったのですが、今季初勝利を挙げてからは順当に勝ち星を重ねてとうとうこの日がやって来たのです!

 …思えば”未成年で喫煙しながらパチンコを打っていた”ヤンチャな野球小僧がここまでやってこれたのは、周りの力もあったのでしょうが、彼自身が常に先を見据えて努力を怠らなかったからなのでしょうね!

 NPB出身投手での通算200勝以上は27人目で、日米通算では「野茂英雄」投手(201勝)と「黒田博樹」投手(203勝)に次いで3人目です!(MLBでの到達は野茂投手に次いで2人目だそうです)

 関係各位からもお祝いの声が届いていましたが、その中には前述の田中投手からもありました。

 今となっては難しいかな?とも思えてしまいますが、尊敬する先輩の後に続いてこの偉業を成し遂げて欲しいと心から思っております!

 そして最後に、ダルビッシュ有投手日米通算200勝おめでとうございます!

 これからもますますのご活躍を期待しております!!

 

 

 

 

 そんな「ダルビッシュ有」投手の偉業の様に胸躍る「あかね噺」の、マンガアプリ「ゼブラック」で本日5月20日に更新されていた「第106席」の記事を書きたいと思います。

 これは「週刊少年ジャンプ」本誌では4月15日発売の「20号」に掲載されていたものです。

 1ヶ月程の遅れではございますが、お付き合いいただければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「阿良川全生」師匠が阿良川泰全師匠の楽屋を出ていきましたが、不安そうな顔のあかねの肩を泰全師匠が、『気にするな』とばかりにポンと叩きます。

 

 

 あかねの師匠「阿良川志ぐま」師匠も“二ツ目の推薦は四天王個人の判断”だから「どーんと構えてろ」と諭すのです。

 

「ケツなら俺が持つからよ」 とセクハラ発言をしつつw

 

 

 

 …そして口上の時間がやってきます。

 

 主役の「今昔亭朝がお」兄さんの両脇に「今昔亭ちょう朝」師匠に泰全師匠が並び、あかねの父「桜咲徹」が拍手をします。

 

「月刊落語」の樫尾記者は古味記者に口上の説明をしています。(小言交じりにw)

 

 

ちょう朝師匠が朝がお兄さんの紹介をした後こう述べるのです、「俺の自慢の一番弟子さ」と。

 

 

 割れんばかりの会場の声援にも負けないくらい、威風堂々の体の朝がお兄さん。

 

神妙に礼を述べますが、昔からのダチたちがすでに涙ぐんでいるので、兄さんは彼らに「もう泣いてんじゃねぇ!」とツッコミを入れるのです。

 

 

 そんな兄さんの高座は開口一番のあかねはもとより、二人の大看板に引けを取らないくらい素晴らしいものでした。

 

 

「こりゃ勝てないや」

 

嬉しそうに微笑むあかね。

 

 

 そんな高座を観て、ちょう朝師匠と泰全師匠の顔つきが変わるのです、

 

 

 「さぁて… こっからが本番よォ」

 

 

…そうです、御披露目の打ち上げの式が本番だとちょう朝師匠が言っていたのですw

 

 

 そんなあかね、志ぐま師匠がいないことに気が付きます。

 

ちょう朝師匠いわく、「三禄の親分とさっき帰ってったぜ」

 

 

 そんなちょう朝師匠、クソアフロ(全生師匠)と揉めたなら俺を呼べとあかねに凄むのですが、泰全師匠が「必要ない」といつもの無口がどこに行ったのやら、やけに饒舌にちょう朝師匠に食って掛かるのですw

 

 

 そんな三人の前に、主役の朝がお兄さんが感涙にむせびながら現れます。

 

泣いている朝がお兄さんを怒るのかと思えば、ちょう朝師匠はもらい泣きして抱き合うのですw

 

 

 そしてあかねもちょう朝師匠から二ツ目昇進を祝われ、「じゃあパーっと踊りますか!!」とそれに応えます。

 

曲が流れ、参加者全員思い思い好き勝手に踊りまくるのです!

 

 

 …かつての友の関係改善(ちょう朝師匠と泰全師匠)と主役の御披露目の大成功(朝がお兄さん)、そしてあかねの“二ツ目”の推薦決定を祝うかのように。

 

 

 

 熱気にあてられ会場からいったん出たあかねのもとに、ジュースを持った父徹が姿を現すのです。

 

「…おっ父」

 

「少し話せるか?」

 

…ここで父は娘に何を話すのでしょうか?

 

 

 不安げなあかねの気持ちを和らげようとする泰全師匠は、もうすっかり彼女の味方ですね。

 そして父志ん太の時の二の舞にならないようにと、覚悟を決めた志ぐま師匠も頼もしいです。

 ちょう朝師匠の見事な口上も素晴らしいものでしたが、その後押しを得ての朝がお兄さんの高座も見事なものだったようですね。

 「主役は兄さん」と言い続けたあかねの言葉を証明してのけた朝がお兄さんは素晴らしいですね!

 余計な回り道をしましたけれど、今後は立派な噺家としてさらなる飛躍を遂げることでしょうね。

 そしてちょう朝師匠らしいといえば打ち上げですが、皆の本性が見れておもしろかったです。

 朝がお兄さんとちょう朝師匠は泣き上戸で、泰全師匠は…w

 そしてあかねもいいですね、志ぐま師匠やまいける兄さんの教えをちゃんと守っていますね!

(第4巻  第29席「素敵な世界」より)

 最後父徹があかねのもとにやってきましたが、いったい彼はどんな言葉をかけるのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Quiet Riot   Party All Night

 

 LAメタルで初めてアルバムが全米一位を獲得した彼らの、2ndアルバム「Condition Critical」からのシングルカット曲です。

 ’70年代には 故Randy Rhoadsと一緒に活動しあの Van HalenとLAでは人気を二分していた彼らでしたが、片方は世界中に衝撃を与える鮮烈なデビューをしますが、こちらは芽が出ずに Randyは Ozzyに引き抜かれます。

 残された 故Kevin DuBrowは後任にLAでは腕利きで鳴らしていた Greg Leonを、 Randyの推薦で後任に迎え名を「DuBrow」と変えて活動します。

 …しかし腕には定評のあった Gregは Kevinとソリが合わずに、1年ほどの活動の後 Dokkenに移ります。

 その後メンバーチェンジを得て Calros Cavazoをメンバーに迎えて、ようやく彼らはレコード会社との契約にこぎつけます。(Randyの死後との説がありますが、存命中で「Quiet Riot」を名乗る承諾を得たと Rudy Surzoの「Off The Rails」に書かれております)

 デビュー後に彼らは精力的に有名バンドの前座をこなし、’83年の「USフェスティバル」で一躍その名を上げました。

 またこのジャンルのアメリカのバンドがこの頃手薄だった(MotleyやNight Rangerでは小粒で、Van Halenはレコーディング中)せいか、彼らに注目が集まっての「Cum On Feel The Noize」と「Metal Health」の大成功だったのです。

 2ndアルバムが’84年にリリースされて「クレイジーママ(邦題)」が全米51位のヒットとなりましたが、これも『Slade』のカバー曲です。

 しかし、彼らのオリジナルのこの曲はBillboadのチャートインを逃します。

 なお、’17年5月号のB!誌で Gregは「この曲は100%自分のアイディアだ」と主張しております。

 

 

 志ぐま師匠の喝!他、見どころ一杯の第4巻です。

 

 

 最新第11巻は泰全師匠がフューチャーされております。

 

 

 Quiet Riotの前作の焼き直し!?と言われたアルバムです。(内容は悪くないですが…)

 

 

 Rudy Surzoの 故Randyと過ごした日々の記録です。