カリオカとは、“ニューヨーカー”や“パリジャン/パリジェンヌ”のように、リオっ子のことを呼ぶ愛称。
彼ら(彼女たち)は、とにかくビーチが大好き。デートもビーチ、家族団らんもビーチ、友達と集まってもビーチ、暇さえあればビーチにいるのではないかというくらい。
*ちなみに、“beach”は英語。ブラジルポルトガル語では“praia(プライア)”と言う。

しかもここコパカバーナのビーチでは、平日の真っ昼間から大の大人の男たちが水着姿でビーチバレーに熱中していたり、少年のようにキャッキャと波と戯れていたりするから、
「おじさん、仕事は…?」とつっこみを入れたくなる。
日が暮れて真っ暗になっても、まだまだ飽きずに遊んでいる。

砂浜で裸足で走り回り、サッカー
をしている子供たちも多い。
これでは足腰も鍛えられて、逞しく育つこと間違いない。
オリンピックでスポーツを観る機会も多かったが、多くの競技でのブラジルの強さは、こういう環境によるところが大きいのだろうとつづく思う。
週末ともなると、近郊からもたくさんの家族連れや恋人たちがやってきて、露店を出す物売りの数も増え、さらに賑わう。
ド迫力bodyにほとんど何も隠れてないくらいの小さな水着のお姉さまがいたり、
若いカップルが歩道の真ん中で堂々とキスをしていたりもする。
(一度などは、歩いている時に前のカップルがいきなり立ち止まり、その1秒後には音が聞こえるくらい濃厚な2人の世界が始まった。なぜかこちらが「見てないよー」
という演技をしてそそくさと通り過ぎるはめになった。)
もちろんカメラをさげた観光客もたくさんいる。肌の色も人種も、人の数だけ違いがあるというくらい、様々で面白い。
特に目がいってしまうのは、ピチピチの海水パンツ一丁の“ギラギラおじいさん”たちの多いこと。
(おじいさんに限らず、日本のように大きなボクサーパンツみたいな水着を着ている人は少ない。みんな揃ってピチピチのをはいている。たまに目のやり場に困る。)
そして筋トレしたりビーチバレー(どの人も驚くほど上手い!)をしたりと、若者よりもずっとずっと激しく体を動かしている。
真っ黒に日焼けして、ギラギラと大きな眼ぢからも強烈。
牛肉の塊にかぶりつき、ビールを水のように飲み、目の前にビキニ姿の美女がいたら「セニョーラぁぁ♪」なんて大喜びで駆け寄っていきそうなオーラが、体中の毛穴から漏れ出ている感じ。
年齢を重ねてますます生へのエネルギー全開。
動物的な感覚に正直に生きていると、あんな風にいつまでもギラギラできるのかもしれない。
東京の機械的な世界では見ることのないありのままの人間の姿に、
「人間らしいなぁ」
と、なんだかこちらの肩の力も抜けていく。
そんな愛すべき“ギラギラおじいさん”たちもたくさんいて
私が最も好きなのは、早朝のビーチだ。
(おじいさんたちは一日中いつでもいるのだが…)
6時頃の日の出とともに続々と人がでてきて、あっという間に活気づく。
日本では、早朝の海岸といえば人影もなく鳥の声と波の音だけの静かな世界をイメージするが、ここではいきなり活動の場。
砂浜沿いをおしゃべりしながら歩いているマダムたちがいたり、
ビーチサンダルを手にはかせて裸足で砂の上をジョギングしているお兄さんがいたり、
犬を連れてベンチで一人でひたすらボーーーーーっとしている女性がいたり、
…と、まさに“眩いほどに輝く”朝陽の下で、気持ちよさそうに思い思いのことをしている。

実は、コパカバーナのビーチのそんな風景を家の窓から眺めていたが、
ついに先日、
私も早朝のビーチに降りてみた。カリオカのマネをしてちょっとだけ走ってみた。
そして。
ハマってしまった!
運動嫌いの私が、毎朝ビーチに行って、あのキラキラした光と澄んだ空気の中を走りたくなるのだ。
(ただし、200mも走ったらもう苦しくなるのが実際のところなので、毎朝走り「たく」なるだけで、毎朝走って「いる」かどうかは伏せておく。)
そこにいるだけで、自然の大きなエネルギーが自分に注ぎ込まれてくるような高揚と解放感!
そんな中で走っていると、あまりに気持ちよくて、
1. スーパーのレジのお姉さんの言葉が聞き取れず何度も聞き返たら、しまいには「はあーあ」と大きなため息をつかれたことも、
2. 「今日の夕食は和風に♪」と張り切って作ったお好み焼きがあまりに不味くて夫の顔が引きつったことも、
なんだか可笑しいことに思えてくる。
(白状すると、そんなことでもいちいち落ち込んでいたのだ。)
海とかビーチリゾートはどちらかというと苦手だった私でも、ここはこんなに心地いいのだ。
カリオカたちがビーチをこよなく愛する気持ちが少しでも分かった気がする。