先日、知人から来たメール
「 イヤァ溝江さん…パンチラの季節になりましたね 」
‥‥まったく
どう返信しろと。
そして
しばし熟考した後
「一枚の布のたわめきと
そこに垣間見得るかもしれない
「光」を求めて一喜一憂する
この背徳感が、たまりませんね。
神風に期待したいです」
と、返信させていただきました。
いつの世も
「うす~い、エロ」は
世代を越えて、人を虜にするネタで
だからこそ
その「うすさ」を
ちょうどいい塩梅に仕上げられるか
冷静と、いやらしさの間を
うまく嗅ぎ分けられるかどうか、が
今も昔も
コミュニケーションスキルとして
ジャブの応酬からの
ギリギリの瀬戸際を嗅ぎ分ける
ある種の、動物的なセンスに位置するものではないか、と感じます。
たかが、パンチラ。
されど、、、パンチラなんですね。
この
「見えそうで、見えない」
というところに
決して抗うことの出来ない、
引力にも似たパワーがありまして
それは、
男の性(さが)という部分に
触れさせていただきますと
例えば、真夏のある日に
道端で、80過ぎのおばあちゃんが
サイズオーバーのくたっとしたTシャツなんぞ着てて
なんか拾おうとして、
屈んでごらんよ
そこには胸元から
見えそうで見えないもの
しわしわのたくあん、ふたつ。
‥‥
見たくないんです
でも、しょーがないよ
見ちゃうんだよ
釘付けなんだよ
目が、離せないんだよ
相手が、誰、とか関係ないんだ
ただ、その
「見えんの?見えないの!?」
という一点において
その瞬間、世界は、止まるんだ
だから‥
今の時期
もし、男の子の目線が
何かに釘付けになっていたとしても
どうか、許してほしい。
それは
「誰」が問題なんかじゃないんだ
決して、
パンツがどう、とかじゃないんだ
一言でいえば
春が、そうさせたんだ
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