例えば、事故や病気で、腕や足は、存在はするけれども、麻痺して全く感覚が無い場合は。
叩かれようが、切りつけられようが、痛くないと思う。
そういう感じ。
ある感情を停止してる時は、そういう事に訴える扱いを受けても、何も感じないで済む。
無いから、痛くない。
でも。
ある時と比べた、「それが無い事による、悲しみや辛さ」は、同じように残るの。
昔は、自分の足で歩けたのに、車椅子が無いと移動出来ないから・・・・・・とか、そういう風に。
肉体と違って、人から見えない解らない分、変な同情も無い代わりに、不自由による苦痛も、見えない。
(私の場合は、自業自得だから良いのですが)
ただ、確実に、今、私は、通常よりは狂ってる寄りに近いんだろうな~と、ふと思う。
完全に狂ったら、本人は楽なんですけどね。
認知や痴呆と同じだろうから。
しかし、正常な部分も保たないと、施設にぶち込まれるから(私も子供もバラバラに)、普通を残して、生きるしかない。
頑張ろう。
生命を維持するために。子供の為に。
心はいくら死んでも、身体が元気で、見かけが健常なら、世間一般的には、何も問題ないから。
こういう人間は、あんまり世の中には居ない方がいいんですけどね。
自覚があるだけ、まぁ、マシかと思う事にします。
ネジが何個か確実に無くなって、犯罪を犯した後に、
「そんな事をする人(子)には見えませんでした」
とか、そういうのが一番、最悪のような気がするから。
と、自分を無理やり、励ましています(笑)
楽になったか?といわれれば、
「不自由だけど、もう、”それ”の痛みを感じなくて良いだけ、かな」
でしょうか。
以前、読んだ某本の中に、事故で感覚を殆ど失って、ベットで寝たきりの男性が主人公の話がありまして。
目も口も鼻も役に立たない、身体も全く動けないし、機能しない。
点滴と人工臓器の手伝いで生きてるだけ。
ただ二つ。
耳が聞こえることと、指を1本だけ、微かに動かせること。
それだけで、医者や妻と意思の疎通を交わしていたのです、最初は。
(1回動かしたらYES、みたいな感じで)
献身的に妻は毎日、朝から晩まで病院で付き添うのですが。
数年経つと、主人公は思い始めるんですよね。
あまりにも酷い状態の自分に付き合わせて、幸せを奪うべきではないだろう、って。
まだ若い妻は、いくらでも再婚できるだろうし。
娘も、身動きも出来ない父なんか、一生かけて面倒なんかみさせられない。
妻と子を思うと、自分は結局、何もせずに、全く動くのを止めたら、植物人間扱いされて、見捨ててくれるだろうから、と、意識があるだけの状態で十何年もベットで一人、孤独に死ぬ、という最期でしたが。
意識だけあって、ずーーーーーっと何も出来ないって、凄く凄く、悲しいと思いました。
死ぬ事も叶わない。
永遠に、一人。
感想文になってしまいました。すみません。
なんか、ふと思い出して。
でも、自分が仮に同じ立場になったら、同じように、したい。
家族を含め、大切な人を縛り付けるのは、一番、自分が許せないと思うから。
だから、今回のように、した訳なんですが。
大事な人たちに、優しく、温かく、接していくために。
傷つくのは自分ひとりで充分なんだもの。
どうか、周囲は幸せでいてくれますよう。