今回は夫婦別姓制度について、思ったことを書きたいと思います。

去年、最高裁で夫婦同姓強制は合憲である旨の判決が出ました。
これで夫婦別姓が導入されるのはずっと先になるということが決まったわけです。
自民党の議員は、夫婦別姓に批判的な人達が多いので、夫婦別姓の法案が提出されても可決されないでしょう。

昔から疑問に思っていることですが、夫婦別姓ってなんで認めてはいけないんでしょう?先進国で日本以外の国は、全て選択的夫婦別姓制度を認めています。反対派の人達の主張も読んではみたのですが、どれもいまいち納得ができないことばかりでした。以下、反対派の人達がよく挙げる理屈と、それに対する反論を書いていこうと思います。

理由その1 日本の伝統に反する
これは、よくありがちな勘違いです。夫婦同姓は日本の伝統ではなく欧米諸国の伝統です。日本を含めた東アジアでは、夫婦別姓こそが伝統でした。
元々東アジアでは、姓というのは出身の家を表すものであって、結婚しても変えないものでした。そのため、中国や韓国はずっと夫婦別姓でした。日本でも、明治より前はずっと夫婦別姓でした。例えば北条政子は結婚した後も北条政子という名前で居続けました。
制度が変わったのは明治以降になってからの話です。明治政府は新しい民法を作る時に欧米(主にフランスやドイツ)の民法を参考にして作りました。その結果、姓=家族共通の名称 という欧米の考えがとりいれられた民法が作られ、夫婦同姓が強制されるようになったわけです。
つまり、夫婦同姓が強制されるようになったのは、たかだか100年程度前の話。長い日本の歴史全体で考えればごく最近の話です。保守派の方々は明治以降の伝統を日本の伝統だと勘違いしていますが、夫婦別姓もその一例です。

理由その2 家族の絆が壊れる
まず、夫婦別姓の国である韓国や中国が家族の絆が薄い国とはいえない時点で説得力が低いです。
まず人間の心理として、「俺はこの人と苗字が同じだ→だからこの人を大切にしなきゃ」というふうにはならないだろうと思います。
確かに、初対面の人が同じ苗字が同じだったら親近感がわくこともあるかもしれません。でも、人間関係の維持の場合に考慮要素にはならないでしょう。

理由その3 子どもが可哀想
これは、夫婦同姓の家庭で育った人だから抱く感想なのではないでしょうか。別姓の家庭で育ったら、当たり前のものとして受け入れるでしょう。

理由その4 子どもの苗字でもめる
家の意識が弱くなったこの時代、自分の苗字を残すことに拘る人はかなり少数なのではないでしょうか?別姓の導入を望んでる女性の多くは、自分の苗字を変えたくないだけで残したいわけではありません。
子どもが生まれた時にその都度決めるということでいいじゃないでしょうか。夫婦の両方が自分の苗字を残したいと言っている時も、「一番目の子は夫の苗字、二番目の子は妻の苗字」という風な約束もできるので、むしろ現行の制度よりももめずらくなるのではないでしょうか?

最後に、別姓反対派の最大の矛盾点を指摘したいと思います。
別姓反対派の人達は、
「仕事で困るのならば、仕事では旧姓を使えばいい」
「旧姓を、身分証明書等にも併記できるようにすればいい」
等と主張します。
私が思うのは、夫婦別姓だと家族の絆が崩壊するとか、子どもが可哀想だというのであれば、旧姓使用を認めるのはおかしいのではないかということです。
仕事で旧姓使用を認めてしまったら、新姓を使う機会はほぼなくなります。せいぜい、銀行等で身分証明をする時くらいです。そして、身分証明書にも旧姓の併記を認めてしまったら、ますます新姓の使用機会はなくなります。
もし、子どもが可哀想だというのであれば、免許証とか名刺に旧姓を記載するのは駄目なのではないでしょうか?別姓で家族の絆が崩壊するというのであれば、旧姓使用を広範囲で認めるのは駄目なのではないでしょうか?

夫婦別姓に反対している人たちって、本当は確信犯なのではないか、と考えています。
今こそ変えよう!家族法―婚外子差別・選択的夫婦別姓を考える/日本加除出版

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ママだって、人間/河出書房新社

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この本も、男の目線では気づきにくいことを気づかせてくれる本です。
私自身もこの本を読んで、「ああ、確かに」と気づいたことがありました。

世の男たちは、「女には母性本能がある。母親が子どもをかわいがり、面倒を見るのは当たり前だ」と思っている。でも、母親だって人間である以上、いつでも子どもがかわいいと思えるわけではない、それなのに世の男たちはそれを理解していない。
性別分業をやめようという時代になっているのに、未だに家事育児は女の仕事という考えが消えない。雑誌には、男が家事をできるように躾をしようみたいなことが書いてあるけど、なんで大の大人相手にそんなことしなきゃいけないんだ・・・・・・・。

言われてみて初めて気づいたわけですが、確かに家事は女の役割みたいな考えはいまだにありますよね。男が自炊をするとすごいといわれるのに、女の場合は自炊をするのが当然のように思われているとか。
母性本能についていえば、大昔からの研究でそんなものは存在しないことは明らかになっているらしいです。実際、江戸時代の日本では間引き(生まれた後に子どもを殺すこと)によって子どもの数を調整していたらしいです。それも、子育てのために物見遊山ができないのは嫌だ、ということで間引く例もあったらしいです。

ベビーカーの話も、言われてみればおかしい話だと思いました。実際のベビーカーは大してスペースをとっているわけでもないのに、世論からは「邪魔だ」とか言われて攻撃の対象となっている。そのせいで世の多くの母親が肩身の狭い思いをしている、というのは改めて考えると酷い話だと思いました。

将来結婚しようとしている男性は(もっと言えばそうでない人も)、読んでおくとかなり参考になるのではないかと思います。



日本人の9割に英語はいらない/祥伝社

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「これからの時代は英語が必要だ。」
「子どもにも英語を勉強させなくては」
と思って、必死になって英語を勉強している人、子どもにも一生懸命英語を勉強させようと思っている人はたくさんいます。
でも、本当に英語は必要なのでしょうか?

著者の成毛さんはマイクロソフトの日本法人の代表まで勤めた人ですが、自身の経験からいって、本当の英語力が必要な人は外資系でもごくわずかしかいないと書いています。
そして統計等から判断して、日本人で英語が必要な人は全体にの一割に過ぎない、それなのにみんな必死に使いもしない英語を勉強していると、新入社員は覚えるべきことが他にもたくさんあるのに、英語を勉強させるのはかえって害悪になる。と述べています。

著者は、日本人の中にも英語が必要となる人がいることは認めています。しかし、あくまでも必要になった時に学べばいいことで、普段からの勉強が必要なものではないと言っています。
語学というのは使わなければどんどん忘れてしまうものであるので、ある時期に必死で勉強しても、半年もたてばかなり衰えてしまうからだそうです。

私自身も、成毛さんの言っていることはかなり真実に近いと思っています。
「今は違うが、君たちが大人になるころには英語が使えなければ話にならない時代になる。」
私は中学生のころ、担任の先生にこのように言われました。調べてみたところ、私(20代後半)の親世代が子どもの時も同じことを言われていたらしいです。
ところが、いつまでたっても「英語が使えなければ話にならない時代」はやってきません。周りの社会人に話を聞いていても、仕事で英語を使っているのは英語の先生くらいです。使う機会はほぼ無いと言えます。

詳しくは下に掲載した「英語の害毒」で書いてありますが、2006年と2010年に各分野の社会人に対して「過去一年間に一回でも仕事で英語を使用したことがありますか?」というアンケートを実地しました。
その結果、ほぼ全ての分野で「はい」と答えた人の割合が減少しました。(2006年の時の割合もはっきり言って高くないです。)
「グローバル化が進行して英語が必要になる」のであれば、英語を使う人は年がたつごとに増加をしてないといけないはずですが、実際はそうなっていません。これからは英語が必要だという主張の根拠が、かなり怪しいものに見えてきます。

将来必要になるかよくわからないのに、必死で英語の勉強をしている方は、一読して目を覚ましてみた方がいいと思います。
英語の害毒 (新潮新書)/新潮社

¥778
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男しか行けない場所に女が行ってきました/イースト・プレス

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この本はかなり貴重な本だと思います。男の目線では気づきにくいことを気づかせてくれる本です。

男が普段女に対して都合のいい幻想を抱いているうえに、都合が悪いことには見て見ぬふりをしていること、男が女に比べて恵まれていることはかなり多くある、ということを気づかせてくれる本です。

例えば、男が性欲を持つのは健全だと思われているのに女が性欲が強いと淫乱だと認定される、風俗嬢の紹介記事は、風俗嬢本人の本音ではないことが本音のように書かれている、男はキャバクラや風俗でストレス発散をすることができるが、女には似たような場所は無い、等々。

世の多くの男性陣は、一度読んでおいた方がいい本ではないかと思います。
昭和33年 (ちくま新書)/筑摩書房

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今では、絶版になっている本ですが、これも隠れた名著の一つだと思います。

「あのころは人情豊かだった。」「貧しいが夢や希望にあふれていた。」
そんな美化されたイメージで語られることが多い昭和30年代
しかし、当時の記録を見てみると、巷で言われているようないい時代ではなかったことが分かります。

「フロンティアのない日本経済」こんな見出しで書かれた記事には以下のようなことが書かれています。
「今後の日本経済がよくなるという見通しが全くたてられない。」
この記事が書かれたのは昭和33年です。
この記事から推測できるのは、別に昭和30年代は「夢や希望にあふれた時代」ではなかったということ。
今の我々は、あの時代が高度成長な真っ只中だったことを知っています。だから、「あの時代は夢や希望に満ち溢れていた」という幻想を抱いてしまうのです。

その他にも、当時の学校のいじめも酷かった、住宅環境はとんでもなく劣悪だった、就職の時も、今では考えられない理由で差別されていた、等々、美しい昭和三十年代というイメージが壊されるようなことがたくさん記載されています。

過去とは時の経過により美化されていくものであるということを教えてくれる本です。


エラい人にはウソがある ―論語好きの孔子知らず/さくら舎

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個人的には、今までで読んだ本のなかでもベスト3に入る名著だと思っています。
この作者が書いた本は基本的にかなり好きなものが多いのですが、この本が一番面白いと思いました。

内容は、実際の孔子がどのような人物であったか、というものです。
各種の資料を詳細に調べて、実際の孔子は世に言われるような偉大な人物ではなく、野望のほとんどが空回りしていたダメなおじさんであるということが述べられています。
現在でいう法務大臣のような要職についたとか、弟子が3000人いたとか、戦場で大活躍をしたとか、孔子の偉人伝説のほとんどをバッサリと切り捨てています。

論語の中には数多くの矛盾点があります。ある場面では、「恨みはすぐに忘れた方がいい」と言っているのに対し、別の場面では、「恨みには恨みをもって報いるべし」と言われていたり、「人に親切にするべきだ」と言っておきながら、親切を行った弟子に対して「そんな馬鹿正直なことはするな。」と言っています。

従来の孔子研究者は、
「孔子は弟子の性格を考えたうえで、発言をしていたのであるから、ところどころに矛盾点が見られるのは当たり前だ。」と言っています。
しかし、著者は、「孔子を頭から偉人だと決めつけていなければ、場当たり的な発言をしているだけ、というのが分かるはず」と述べています。
さらに、「孔子は、出川哲郎さんのような人だったというイメージを持てば、論語の内容は全て腑に落ちる」とも述べています。
出川さんのような、負け犬キャラで強がりな人だったというイメージを持てば内容がすんなりと頭に入るからだそうです。

著者は、かなり孔子のことをボロクソに言っていますが

内容が面白いだけでなく、本当にかなり詳細な部分についても調べたうえで記述してあるので、孔子についての研究所としてもかなりの出来栄えのものであると思います。

特に、論語の信奉者や、孔子を偉大な人間だと決めつけている人にこそ読んでほしいと思います。
著者が、本書を執筆するのに参照した、下記の本もお勧めです。
儒教 ルサンチマンの宗教 (平凡社新書)/平凡社

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戦前の少年犯罪/築地書館

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個人的に、かなりお勧めしたい本です。

「最近の子どもは怖い。」
「少年犯罪の凶悪化が進んでいる。」
こういった印象を持つ人は多いです。
「道徳教育の強化を」
なんて言う人もいます。

しかし、この本を読めばそれが思い過ごしに過ぎなかったことが分かります。
戦前から小学生による人殺しなんてふつうにあったことだし、それを「現代の病理」とか言ってしまうのは、ただ無知なだけです。
援助交際なんてのも、この時代から普通にあったことらしいです。
それも貧しさ故のものではなくて、金持ちのお嬢様が小遣い稼ぎとしてやっていたのだとか。
「現代の親は子供の躾がなってない」等というのも、あまり信用できない言説です。
最高級のフレンチレストランに行けるような金持ちの夫婦が、子供が店内で暴れまわっているのに、全く注意をしなかったという話もあります。
保守派の人が言うほど、戦前の人達は立派ではありませんでした。

この本の著者は、「少年犯罪データベース」というサイトを運営しているそうですが、サイトを運営してから、専門家から「このサイトの統計は本物か?」という問い合わせが頻繁にあったらしいです。
専門家ですら、基本的なことを全く調べないで、ただ印象だけで物事を語っていたというのも驚きです。

「教育勅語を復活させろ。」と言っている人たちは、是非この本を一度読んでみて欲しいです。
なぜ男女別学は子どもを伸ばすのか 学研新書/学研プラス

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こう言っては何ですが、この本はどちらかというとトンデモ本の部類に入るかもしれません。

今、全国で男女別学の学校はかなり少なくなっています。公立の別学の高校が多いのは、栃木、群馬、埼玉くらいなもの。他の都道府県立の高校はほぼ共学です。

この本は別学教育にはこんなメリットがあるといって、事例やデータを挙げて説明しています。
しかし、そのデータの解釈の仕方や、事例の選択の仕方が、自分に都合のいいように捻じ曲げられているように感じました。

まず、女子校の生徒は礼儀等がきちんとしている、という事例が挙げられています。
でも、私が今ままで見聞きしたことによると、むしろ女子校の生徒の方が男がいない分だらけているという方が真実に近いと思います。
私が高校生の時の家庭科の先生は、近くの女子校にも教えにいっていた経験がある方なのですが、とにかく生徒がだらけていたと言ってました。
寝癖があっても気にしない、昼食をコンビニのパンで済ます、夏の時にスカートをばさばさと仰ぐ、等,とにかくすごかったらしいです。(おまけに校舎も汚い)
しかも、その女子校は一応県ではかなり上位の進学校ですので、もっと下の女子校だったらかなり凄まじいことになっていたかもしれません。
少しネットで検索しても、女子校の実態についての描写はたくさん見つかります。
恐らくですが、生徒がきちんとしている女子校というのは、一部の躾に厳しいお嬢様学校の話なのではないかと考えられます。

また、女子校のメリットとして、リーダーシップを養成できる。というのが書いてありましたが、正直これは今の学校を知らない人の意見であると感じました。
私(26歳)が学生時代の時、女性の生徒会長や学級委員長、部長等は特に珍しいものではありませんでした。
大学時は、女性比率が三割程度の学校に通っていましたが、女性が代表を務めるサークルも数多くあったと記憶しています。周りの友人に訪ねてみたところ、やはり女性の生徒会長等はとくに珍しい存在ではなかったということでした。
むしろ、小学生の段階では女子がリーダーになることが多かったという記憶があります。
「やはり、生徒会長は男子でなければ。」と先生から言われた、という話もかなりの特殊ケースの可能性が高いです。
今の学校では、「男のくせに、女のくせに」という言葉は男女差別であって使ってはいけないと教えられています。先生も、男女差別的な発言をすると批判の対象になってしまうので、かなりそこら辺については気を付けて発言をしています。
この著者が在籍している男女別学研究の集会では、「昔の生徒会長は男子だと決まっていた。今は、男子が女子の影に隠れている。」と主催者が話をしていたらしいので、確信犯ではないかと疑ってしまいます。

テストを実地したところ、別学の中学校は、共学に比べてテストの平均点が高かったというのも、はっきり言って当たり前の結果です。
世の中の中学生の9割以上は受験無しで入れる公立の中学校に在籍しています。そして、そうした学校は全て共学です。
つまり、共学の学校はほとんどが、受験無しで入れてしまうところの生徒なので、入試に合格しないと入学できない別学に比べて平均点が下がるのは当たり前の話です。これを別学のほうが学力を伸ばせる証拠とするのは無理があります。

個人的には、自分にとって都合の悪い部分をかなり無視した本であると感じられました。

しかし、ほかの人が私と同じ感想を持つとは限りません。内容自体は興味深い本であるので、是非一読をしてほしいと思います。