縁。ひとりごと。 | つれづれのーと

縁。ひとりごと。

体調がイマイチな事もあって
ウトウトしていたら、色々な夢を見た。
好き人が登場してくれたけど、あまりよく覚えていない....けど、夢の中で幸せだった。


高校在学時から文通をしていた友達、Tちゃんのお話。

1年で同じクラス、2年で別のクラスになってしまってから、手紙の交換が始まったんだよね。

他愛のない事、沢山話したね。

高校を卒業して、私が地元を離れる時、最後に遊んだTちゃん、本当にいろんな事を話したね。Tちゃんのお家のお墓参りにも一緒に行かせてもらって、当時二人で好きだった紅茶の色々なフレーバーを飲みながら、将来の事を話したり。


最後名残惜しくてズルズル夕方になってしまって、自宅に帰ったら、引っ越しの準備を親が全部していてくれて、ちょっと怒られた記憶があるから、あれは旅立ちの前日にTちゃんに会えたんだな。



あれから約20年。

通信手段も、メールにとどまらず、SNSやLINE等がこれだけ普及しても、ずーっと文通だったんだよね。そこは何となくお互い最初の始まりの文通を意識していたというか、守っていたと言うか。

これからも3~6ヶ月に一度くらい、お互いの近況報告や他愛のない話が出来たらいいな、と思っていた。
励まされることも沢山あった。
悩みも沢山聞いてもらった。
手紙も全て保管してある。

でも....
2年半前に手紙が途切れたまま。この初夏が来て3年になる。


ずっと、何かいけない事を手紙に書いてしまったかなと悩んでいた。
傷付けてしまったのかも、と悩んだ。Tちゃんに何かあったのかな、と心配にもなった。

悩んで悩んで、最後にしよう、これで返事が来なかったら諦めようと勇気を出して葉書を書いたのが去年の6月。

結局、返事は来ず。

今はどうしているんだろう。元気でいるのかな。

縁はもう切れてしまったのかな...

お互い生きてさえいれば、縁さえあればいつかはまた会える、つながる事が出来ると思ってきた自分。

そう考える事で、実際もう会えないって分かりきっている人に対しても『縁』という言葉で希望をつないできた。
これは寂しくならないように、私がしてきた自分勝手。都合のいい解釈。

でもそれは間違いだったみたい。

縁は多分少しの事で途切れてしまうこともあるんだ、と今なら思う。
相手の気持ち、自分の気持ち次第な所もあるし、物理的な理由かもしれない。

それらを全て飛び越える力があるのが縁だと思ってきたけど、間違いなのだろうな。

元をたどれば、出会えただけで立派な縁だったんだよね。
もし別々の高校だったら、もし1学年違っていたら、ともし、を考え出したらきりがない。

途切れてしまった理由は分からないけど、
単にもう手紙なんて書くのが嫌になった、とか
私が傷付けてしまったのかも、とか
考えても仕方がないのかなぐすん

Tちゃんが元気に毎日を送れている事だけ祈ろう。

だから、寂しいけどいったんバイバイなのだ。

縁がなかったと諦める、今年はこの気持ちの切り替え方を身に付けよう。これは自分の為でもある。

そしていつまでも後悔するのはやめよう。

会いたい人、近況を知りたい人は沢山いるけど、それは私の自己満足な思いでしかないから、どこかで元気に生活してくれていれば、それで良い、と思う。

縁と言う言葉にがんじがらめになっていた自分にもさようならしよう。

大切に思う人が今日もどこかで元気に生きていてくれますように。