私は週3回透析のため、迎えの車のお世話になっている。その度に、「現実社会での厳しさ」を思い知らされる、毎回だ。
と言うのも、走りはじめて直ぐ路面の凸凹、詰まり振動が直接響いてくる。ついさっきまで柔らかいベッドに居過ぎたからこの振動でも今の私には衝撃なのだ。「現実の辛さ」と映る。軟弱になった自己を叱る、頑張らねばと思う。4時間の苦行の透析、何んとか1日を感謝のうちに終える。
ベッドに横になり、連想ゲームを楽しむ。「現実の厳しさ」である。現役時代は矢張り厳しかったな。職場に行きたくなくて、地下鉄を2台3台と乗り過ごしたことを思い出す。こんな経験が1度あった。職場を変わったときだ。ここまで頑張ったのだからと励ましたっけ。
しかし、いいこともあった。家内と一緒に皇居で陛下にお会いできたことだ。
見学もあり、貴重な経験だった。
とは言え、脳梗塞、入院、リハビリと経て、幾つになっても懸命に頑張っている人達を見て、人間とはどんな状況でも更により良いものになっていこうとする原理が働いていると感じる。これに勇気がもらえる。だから、振動の小さな衝撃くらい当然の試練である。ここで連想ゲームは終る。そして、結局、神は居られるの結論だ。人生が退屈にならないように絶妙な配剤をなさる。例え、脳梗塞や入院、リハビリのような辛い配剤であろうと。
変なブログになり、すいません。どうか好意的にお読みくださるようお願い申し上げます。次回は、もう少し良いブログを書きたいと思います。