母の日があるのは知っていたが、父の日ははっきりと意識していたかけでない。ある日、透析から帰ると、奥さんと同居している息子が笑顔で迎えてくれる。そして、父の日おめでとうと声掛けがあった。面食らった。そうか、今日は父の日か‥少し、居心地の悪さを感じながら透析で疲れた体をいつものようにソファーに預け、座り込んだ。奥さんがソファーの前の机に正方形の箱を静かに置いた。えっ、メロン!!?

 これ買ったの?‥ソファーに身を任せ、固まる私。間の抜けた質問だ、と呆れながら、と奥さんと覗き込む息子を見上げ、その反応を推し量ろうとする。待てよ、ヒントがあるにはある。母の日だ。子供達が相談して、ネットショップで母のプレゼントとして、花の鉢植えを用意したのだ。カードが添えてあり、そこに「いつまでも元気でいてください、と二人の子供と私の名前も添えてくれていた。花好きな奥さんは大喜びだ。勿論私もネットでの買い物だと言う、その意外性に時代の推移を感じながら、顔をくしゃくしゃにして喜ぶ奥さんを眺め、こちら迄嬉しくなった。「これは、クリーンヒットではなく、ホームランだな!!」と興奮していた。(ハハーン、その父の日版だな・・悪い気はしない。ここは大仰に感謝し、喜ばなければ・・)しかし、これで、直ぐ食べられた訳ではない。数日置くとメロンの表面の色が変化して、甘く瑞々しいものが食されると表面の色の変化の写真がアップされていた。確かに、二日待つと最適な色に変化していた。まず半分に切り、美味しく頂いた。甘くて瑞々しい。私はその瞬間久々に主役だった。主役はこんな瞬間は大体多少のむりが言える特権がある。

子供の誕生会、孫達の鼻の孔を膨らましケーキをは恥ずかしそうに食べる顔やローソクを吹き消す少し緊張した誇らし気な顔が思い出された。今の私もきっと、孫のそんな主役を意識した表情をしているんだ、と思った。誕生会の幼すぎる孫の気持ちを少しは理解できたと思えた。同時に、校長として、式典に臨む緊張が思い出された。保護者や来賓を前に、自分が主役だからしっかり務めなければ、と自己を励ました卒業式や入学式の極度の緊張だ。幸い自分の人生にも華のある瞬間があったのだ。満更、私の人生も無駄な人生でもなかったんだ。少しほっとした。