文明の衝突とは、一昔前の流行った言葉である。アメリカの政治学者ハンティトンが1996年に、世界を西欧・中国・日本・イスラム・ヒンドゥー・スラブ・ラテンアメリカ・アフリカの八つに分け様々な紛争を異文化間の衝突と捉えた仮設である。私がこれをよく覚えているのは、八つの中にたった1か国の日本が分類されているのが誇らしく、強く印象に残っていたからである。

 話は変わるが、「188日連続」というフレーズで何を思い出される所だろうか?ピンと来られる方は、新聞をよく読んでおられる方である。

 尖閣諸島への機関砲を備えた中国海警局の連続侵入回数である。

 頭にくる。一体日本の政治家は何をしてるのか。最近もブイ一つを流され右往左往している。この時点で日本の負けである。精々、遺憾伝えたの口先だけの抗議である。日本人全体も無反応。これでは既成事実の積み重ねを策とする中国の思う壺である。相手には痛くも痒くもない。政治家駄目、日本国民もだ駄目。これでは将来心配ではないか。

 それ故、まず相手をよく知らなければ、と「中国思想を考える」金谷 治著を読んだ。少しは中国の事の理解が深まった。この本の中で、仏教が大きく変質していることを知った。仏陀の教えの要である三法印たる「諸法無常」、「諸法無我」、「涅槃寂静」が中国風に大きくかえられている。というよりは、素人目にも仏陀の正しい教えが正しく伝わっていないのだ。日本の方がはるかに正確に伝わっている。この事実に私は「文明の衝突」の激しさを見たのである。ハンティンソンのいうインド文明と中国文明の激突である。

 中国人は基本的に「現実的な人間としての生き方を追求する。」「人間がどうして生まれたか、死んでからどうなるか」などは、問題として意識された形跡はありますがそれを表立って追及する姿勢はまったくありません。(金谷 治)

 詰まり、前にも述べた深い内省は苦手なのだ。それ故前回ブログにある禅宗の法灯も日本で灯り続け、中国では消滅したのも頷ける。中國も結構弱点が多いのだ。もう少し書きたいが紙面がない。