まず、なぜ、今回の表題にしたのかを述べたいと思います。

 コロナ禍の為、久し振りの職場同窓会での再会の感動が、2~3日経ってもその余韻が心地よく残っている。心楽くし、心弾む思いが抜けず、正直驚きました。                  

 同時に、なぜそんなに長く感動が、続くのだろうという不思議な思いに捉われ、その原因をじっくり考えてみることにしました。

 あの時、一番印象に残っているのは、仲間のこもごものスピーチに出てきた仕事の辛さと厳しさ、それらを懸命に耐え抜いた苦労話です。それらに思わず頷いてしまうのです。

 皆、心底その大変さを身をもって味わっているので、懐かし気に頷けるのです。

 それは、単なる、字ずらの辛さ、厳しさ、苦労ではなく、文字どうり辛さや厳しさ、苦労のそれぞれの「質量」を実体験した者にしか、共感できない頷きなのです。

 出席者の誰もが、小なりといえども、府全体の教育の一翼を担ってなってきた、又その後も校長として最前線で頑張ってきたという、誇りに満ちた思い出なのです。

 与えられた仕事に、各自が全力疾走したゆえに、いつまで経っても色褪せることなく、キラキラ輝いた思い出となっているのです。

 これは、禅でいう一行三昧の状態の結果です。目の前の一瞬、一瞬の為すべきことを強い意志で実現する時にしかこの状態は成立しませんが、現役の全力疾走している時は無意識で一行三昧の状態にあったに違いありません。それ故、キラキラ輝いた思い出として思い出されるのでしょう。

 それ故、2~3日経っても当時の張が甦り、眩しい輝き再現されたのだと思います。